94 チェリシアvsレイド
デボラの命令を受けたステインは、チェリシアとアルセリアの方を振り返った。
鋭く光る赤い瞳が、二人を捉えた。アルセリアはビクッと肩を上げた。
「……ステイン?」
そんな彼を見たアルセリアが不安げに呟いた。見た目はステインだったが、魂は全くの別人のように思えてならない。
その瞳に別の何かが含まれていることを、チェリシアも感じ取った。
(何かしら……?何か……)
二人はその場から動くこともできず、あ然としたままステインを見つめていた。
「……!」
――その瞬間、剣を抜いたステインがチェリシアとアルセリアに向かって猛突進した。
彼はとんでもないスピードで目の前まで来ると、容赦なく剣を振り下ろした。
「キャアッ!!!」
チェリシアは動けないアルセリアの腕を引き、何とかその一撃を避けた。
チェリシアはともかく、アルセリアは戦闘に関しては完全に未経験だ。当たれば終わりの一撃を避けたアルセリアは、そのままへたり込むように床に座った。
「チェリシア……」
「アルセリア、ステイン殿下の様子が変だわ」
チェリシアは床に座り込んで動けないアルセリアを庇うように、前に出た。
彼女の視線の先には、剣を片手にこちらを見つめるステインの姿があった。いくら彼が残酷な人だろうと、何の理由も無く女性を手にかけるような人間ではない。
(パワーもスピードも……前に見たときよりも格段に上がっている……どうして……)
ステインの一撃は、チェリシアたちの後ろの壁を破壊していた。
前に見た彼の攻撃は、ここまでの威力を出すことなどできなかったはずだ。なら、考えられることは一つ。
「こんな殿下は初めて見たわ……」
「――ええ、どうやら何かの術をかけられたようね」
ステインはおそらく、デボラによって何らかの術にかけられているのだ。
(あの女……ステインに一体何をしたわけ……?)
魔女デボラはこの世で皇帝のみが座れる玉座に足を組んで座り、面白そうにこちらを眺めていた。
かなりの猛者であるステインが呆気なくかかってしまうということは、かなり強力な魔術なのだろう。
チェリシアは動けないアルセリアを背に、ステインと対峙した。
「彼に何をしたの!?魔女デボラ!」
「あらぁ、あなたも気付いているんでしょう?――ちょっと魔法をかけただけよ」
やっぱり、チェリシアの予想は的中していた。
デボラはニヤッと口角を上げた。
「その男はアンリーシェをよほど信頼していたようね。まんまと私の術にかかったわ。次期皇帝とか言われてるけど、案外大したことないのね」
「……一体何の術を」
デボラに向かって叫びかけたチェリシアの目に、ある物が入った。
彼女がその右手に持っている、古びた紫色の杖。妙なオーラを放つその杖は、何故か初めて見たような気がしなかった。
あれは、もしかして……
「魅了の……杖……?」
ご名答、とでもいうかのようにデボラは笑みを深めた。
彼女が持っているそれは、前にチェリシアがレイドから貰った時空の杖にそっくりだった。そこでチェリシアは確信した。
間違いない、デボラがステインにかけた魔法は魅了魔法だ。
一体彼女がどこでその杖を手に入れたかは知らないが、ステインを魅了魔法で長年操っていたのだろう。
チェリシアはステインの置かれた状況を知り、後ろにいたアルセリアに尋ねた。
「アルセリア、ステイン殿下を正気に戻す方法は無いのかしら」
「……魅了の魔法については何度か聞いたことがあるわ。たしか、精神に干渉するとても危険な魔法よ。あまりにも長期間かけられていると、相手は次第に壊れてしまうって言われているわ」
「……ステイン殿下は、たしかアンリーシェと出会って一年近く経過していたわよね」
そのとき、チェリシアは直感的に感じ取った。
――このままだと、ステインは壊れてしまう。
「私に気を取られてばっかりだと、やられるわよ?」
「……ッ!」
その声で前を向くと、ステインが再びこちらへ駆け出していた。絶対に逃がさない――とでも言いたげにその目は二人に固定されていた。
チェリシアは座り込んでいたアルセリアを連れ、彼の攻撃を何とか避けた。
(一撃でも食らったら、間違いなく死ね……)
魅了魔法が彼の攻撃のパワーを上げているのか、床に穴が空いた。今のステインの攻撃力は、神殿長や皇立魔術師たちが使用する上級魔法と同レベルだった。それに加え、身体能力もかなり上がっている。
デボラは手も足も出ないチェリシアを憐れむように見つめながら、ホールの隅でじっとしていた”彼”を手招きした。
「――レイド、こっちにいらっしゃい」
「……ああ、アンリーシェ」
彼女が呼び寄せたのは、ずっと傍観に徹していたレイドだった。
彼は絶体絶命のチェリシアには目もくれず、真っ直ぐにデボラの元へ歩いて行った。
(やっぱり……レイドもデボラの魅了魔法を受けてしまっているんだわ)
彼だけはそんなことないと信じていたのに。チェリシアはここへ来るまで、僅かだがレイドがそんな術にかかるわけがないと思っていた。しかし、今になってその期待は粉々に砕け散った。
デボラは完全に自身の術にかかっているレイドの耳元に唇を寄せ、囁いた。
「レイド、あの女はあなたを惑わす悪い魔女よ。ステインに加わってあの女を――殺してしまいなさい」
「……」
――その瞬間、ロボットのように首を回したレイドがチェリシアを視界に入れた。
「……!」
真っ赤な瞳が、ギラリと鋭く光って彼女を正面から捉えた。
以前、彼女に向けていた愛情に溢れるものではなく、憎き仇を見るかのような目だった。
チェリシアはレイドが本気であるということを、瞬時に察した。
「マズい……レイドが来るわ……」
その言葉で状況を理解したアルセリアが立ち上がった。
彼女はどうやら、覚悟を決めたようだった。
「リシア……ステイン殿下は私が引き付けるわ。あなたはレイド殿下の方を」
「リア……!」
ステインとレイド。
どちらか一方に二人でかかっても勝てる相手ではなかったが、今はそうするしか方法がない。
チェリシアが一人で二人を相手するよりかは、その方がまだ生き残れる可能性が高かった。
「リシア、無事を祈るわ」
「ええ、あなたもね」
二人は最後に固く手を握り合うと、ステインの前に出たアルセリアが遠くへ駆け出していった。
ステインはチェリシアから狙いを変え、すぐに彼女を追いかけて行った。
その一方で、チェリシアはレイドと向き合った。
彼はステインと同じように腰の剣を抜き、ゆっくりとチェリシアに向かって歩いてくる。
(絶体絶命って、まさにこのことを言うのね)
こうやって彼と向き合っていると、最初にレイドに出会ったときのことが思い出された。
ああ、あのときもこんな風に絶望していたっけ。あのときと今では、絶望のレベルが違うけれど。
少なくとも、気持ちを伝えられたあとである今の方がショックなのはたしかだ。
チェリシアは倒れた騎士の腰にあった剣を抜き取り、レイドに向けた。
しかし、どうしてもそれを彼に向かって使うことができなかった。ただ向けるだけで、動かせない。
自分でも驚いていた。
――彼を、傷付けたくない。
抵抗しないと自身が死ぬというのに、そんなことを考えてしまっている自分がいるのだ。
剣を両手で握るチェリシアの手が震えた。
「レイド、目を覚ましてよ……私のこと忘れたの?」
「……」
彼は何も言わないまま、剣を彼女に向けた。
攻撃を仕掛けることもできず、今は言葉で伝えることしかできなさそうだった。
「愛してるって、言ってくれたじゃない……!どうして覚えてないのよ……!」
「……」
彼女の言葉はもはや、彼には届いていなかった。
そのことが辛くて悲しくて、チェリシアの目から涙が零れた。
――もう、レイドは私を愛していないのか。
愚かにも、彼女は今になって自身の気持ちに気付いたのだ。
彼女の持っていた剣が、ゆっくりと下ろされた。
それは、抵抗する意思がないということを表していた。どうしても、彼を傷付けることができなかったのだ。
「ねぇ、レイド……私、あなたを愛しているわ……だから、元に戻ってよ……あんな女のことなんて、見ないで。私だけを見てよ……」
「……」
俯いた彼女の足元を、涙が濡らした。
彼にだけは絶対に殺されたくないと思う気持ちですら、今はどうでもよかった。そんなチェリシアに、レイドは何も答えることなく見つめていた。
「……」
そのまま目の前まで来たレイドに、チェリシアは死を覚悟した。
しかし、その剣は彼女に振り上げられることはなく、剣先はそっと床に下りた。
「――俺も愛してる」
「……え?」
驚いて顔を上げたその瞬間、レイドがチェリシアの唇に自身の唇を重ねた――
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