93 魔女の悲しき過去②
いくら戦場で大活躍した魔女とはいえ、皇家の全てを相手にできるほど力を持っているわけではなかった。
そのため、復讐のための力を蓄える必要があった。
(今すぐにでも殺してやりたいけれど……まだ早い……)
彼女は辺境にある小さな家でひっそりと暮らしながら、アルベルトたちへの報復計画を練っていた。ゆっくりと、時間をかけて。絶対に計画が上手くいくように。
しかし、アルベルトたちが暮らす皇宮ではデボラが予想していない事態が起きていた。
「――陛下、南部で魔物のスタンピードが起きたそうです」
「……さっさと騎士団を向かわせろ」
「それが……騎士団長は前の反乱軍との戦いで負傷しており……」
「……もういい、下がれ」
アルベルトは一度宰相を下がらせ、彼は一礼したあとに部屋を出て行った。
一人になった部屋で、彼は思わず頭を抱えた。
「あの女がいなくなってからというもの、何故こうも上手くいかないんだ……」
邪魔な女を追い出し、最愛の人と結婚して幸せを手に入れたと思われていたアルベルトだったが、実際はそうではなかった。
デボラがいた頃、彼女が全て担っていた帝国の守備に綻びが生じ始めていたのだ。
「リーナが妊娠しているんだ……彼女に負担をかけないようにしないと……」
リーナとは彼の最愛の皇后だ。
彼女との関係は、デボラにプロポーズをする前からのものだった。
当時名のある貴族家の嫡男だった彼は、市井で偶然出会ったリーナに恋をした。
宝石のように美しい彼女の赤い瞳に、彼は一瞬で心を奪われてしまったのだ。
しかし、リーナは平民で貴族の妻になれるような器ではなかった。
しかし彼女を諦めることなんてできるはずがない。
『何が何でも彼女を私の妻にする……!』
彼はより高い地位と権力を手に入れるため、魔女であるデボラを利用した。
人間から迫害され続けてきたデボラは、ちょっと優しくしたらすぐに惚れ込んだ。
彼女を駒として利用した彼は自身の望むものを全て手に入れた。
地位、権力、富、最愛の女性まで。この世の全てを手にした彼を、周囲の人間は羨ましがった。羨望の視線を向けられるたびに優越感に浸ることができ、気分が良かった。
だが、今はそれどころではなかった。
彼は大きな問題に直面していた。
最強種の魔女であるデボラの代わりを務められる人材が、この国にいないのだ。
帝国最強と呼ばれた騎士団長ですら、デボラの足元にも及ばない。そのことでアルベルトは頭を悩ませていた。
それと、気にかかることがもう一つ。
「呪いというのは……一体何なのだ?」
彼はポツリと呟いた。
魔女デボラが崖に落ちる前、アルベルトに対する呪いの言葉を口にしていたことは、騎士たちを通じて彼にも伝わっていた。
最初は愚かな女の戯言だと気にも留めなかったが、こうも上手くいかないと本当に呪いのせいなのではないかと思えてくるのだ。
――それが確信に変わるまで、そう時間はかからなかった。
数ヵ月後、リーナが男児を産んだ。
帝国にとってもアルベルトにとっても喜ばしいことだったが、彼は後継者の誕生に目もくれずただ泣き叫んでいた。
「リーナ!そんな、リーナ!何故だ、何故!」
アルベルトの愛するリーナは、出産と同時に命を落としてしまったのだ。医師でも原因はわからず、彼は悲しみに暮れた。
(何故だ……彼女は身体が弱いというわけでもないのに何故……)
最愛の女の死に直面した彼の脳裏に、一人の女の顔が浮かび上がった。
『お前たちを……呪ってやるからな……』
まるで彼女が地獄の底から自身に話しかけているかのように、ハッキリと声が聞こえた。
呪い、と聞いた彼は確信した。
あぁ、そうだ。
きっとあの女が私たちに呪いをかけたんだ。
だから、リーナが死んでしまったんだ。
縋り付くようにその手に触れるが、リーナはピクリとも動かない。
そんな彼女を目の前に、アルベルトはとうとう正気を失ってしまった。
「呪いだ、あの女が私たちを呪っているんだ!!!」
「陛下!落ち着いてください!」
念願の皇帝の座を手に入れたアルベルトは即位してから僅か一年で壊れ、まともに執務を遂行することができなくなった。臣下たちは困り果てたが、呪いを信じきっているアルベルトの心の病を誰も治すことはできなかった。
そんなアルベルトの代わりを務めたのが、彼の叔父である公爵だった。
公爵はアルベルトとリーナの息子カイゼンをそれはそれは大切に育てた。幼い頃にほぼ同時に両親を失った彼を憐れに思っていたのだろう。カイゼンが良き皇帝になるようにと、愛情を注いだのだ。
その間もアルベルトは部屋に閉じこもっては、呪いだと口にするばかり。まともに子育てなどできる状態ではなかった。
世間体を気にしてか、叔父は彼を廃位することはなく、お飾りの皇帝としてその座に座らせ続けた。
カイゼンは公爵の元ですくすくと育っていき、アルベルトがいなくても帝国の未来は安泰だった。
――数年後、力を付けたデボラがアルベルトの元へ行った頃には、既に彼は死人も同然だった。
「……誰よ、コイツ」
「……あ、うあ」
デボラは、かつて全てを捧げてもかまわないとさえ思ったほど愛した男の悲惨な姿を目の当たりにした。
伸びきった髪の毛はボサボサで、何日も風呂に入っていないのか全身から悪臭を放っていた。
手足はガリガリに痩せこけ、うめき声を発している。
デボラを視界に入れても、動じる素振りを見せない。まるで予想していたかのように、落ち着いていた。
彼女はそんな彼に短く尋ねた。
「死にたい?」
彼は正常に動くこともできなくなっている唇から、何とか言葉を紡いだ。
「こ、ろせ……さっさと……ころせ……」
「そう……」
アルベルトはまともに話ができる状態ではなかった。
ただ、死を望んでいたからデボラはその体を闇魔法で貫いた。
抵抗する素振りも見せない、呆気ない終わり方だった。
その数日後、皇帝アルベルトは長い闘病の末に病死したと発表された。
当然、デボラはアルベルトの死だけでは満足せず、彼の息子であるカイゼンも殺すつもりだった。
しかし、そんな彼女に邪魔が入った。
アルベルトの恋人だった頃、彼女に親兄弟をやられた者たちが復讐しにデボラの元を訪れたのだ。
彼女はアルベルトを憎んでいたが、それと同時にあまりにも多くの恨みを買いすぎていた。
結果、デボラは長い戦いの末に昏睡状態に陥ってしまった。それを死だと思い込んだ国民たちのおかげで、何とか今も生きれているが。
一通り過去を語り終えた彼女は、振り返ってステインを見下ろした。
「そう、私はとっても辛かったわ。その後、約千年の眠りに就き……再び目覚めるまで地獄のような日々だった」
「ちょっと待て……お前が復讐したいのはわかったが、俺たちは何の関係も無いだろう!」
「あるわ。あの女の血を継ぎ、その赤い瞳を持っているというだけで万死に値するのよ」
デボラのやっていることはただの逆恨みだった。
アルベルトやリーナにならまだしも、無関係なステインや現皇帝を狙うだなんて。
(復讐に取り憑かれて、まともな判断もできなくなったようね……)
気付けば、会場にはほとんど人がいなくなっていた。混乱に乗じて全員逃げ出したようだ。
残ったのはステインとレイド、そしてチェリシアにアルセリア。
四人がそれぞれ別々の場所で、魔女デボラと対峙している状態だった。
ステインは目の前にいるデボラに対し、声を張り上げた。
「俺はお前なんかに屈しないぞ!必ずアンリーシェと帝国を守り抜く!」
「そう言っていられるのも今のうちだけよ……愚かな皇子様」
そのとき、デボラは右手を目の高さまで持ち上げた。
何かの術を発動したかと思えば、すぐ傍にいたステインの体が真っ黒な霧に包まれていく。
「グッ…何だ……この霧は……」
ステインは暴れるが、膨れ上がった霧は彼を呑み込んでいく。
最初は抵抗しようと手足をジタバタさせていたものの、十秒ほど経過した頃にはその気力すらないのか大人しくなった。
「ステイン殿下!」
「……」
ステインが霧の中からその姿を現したときには、彼の目の色が明らかに変わっていた。暗く淀んでいるはずの赤い瞳が、ギラリと鋭い眼光を放った。
デボラはそんな彼を見て面白そうに笑い、命令を下した。
「――さぁ、ステイン。私の駒として、アイツらを懲らしめてちょうだい?」
「……あぁ、お安い御用だ。我が愛するリーシェ」
いつも読んでくださってありがとうございます!
ブクマ、評価、いいねなどしていただけたら励みになります!




