91 ステインの皇太子就任式
「――お久しぶりですね、ロクサーヌ公爵令嬢」
「ええ、お久しぶりです、オルディウス侯爵令嬢」
皇太子就任式の日。
侍女が選んだ青いドレスに身を包んだチェリシアは、会場でオルディウス侯爵家の令嬢と話をしていた。
燃えるような赤い髪に、真っ黒な瞳。いかにも気の強そうな彼女は、見た目そのままの性格である。
今日彼女が真っ先に挨拶に来たのも、きっとチェリシアを貶めたいがために違いない。
オルディウス令嬢はチェリシアの姿を上から下まで眺めると、口元を扇子で隠して目を細めた。
「ところで……今日は一人ですの?」
「ええ、殿下は特別な用がありまして……一緒には来られなかったので」
「ふぅん……そうでしたか」
今日のチェリシアは皇族の婚約者らしからぬ格好だった。
象徴である赤色を一切身に着けておらず、彼から貰ったネックレスすらつけてはいない。
それが彼女の置かれた立場を、切実に表していた。
それを見た令嬢が笑ったのを、チェリシアは扇子越しでも感じ取った。
オルディウス侯爵令嬢は顔をグッと近付け、嘲るように囁いた。
「――令嬢もとうとう、殿下から見放されてしまったようですね」
「……」
チェリシアは返す言葉も無かった。
「まぁ、そうなるのも当然ですからそんなに落ち込むことはありませんわ。殿下に捨てられたとしてもロクサーヌ家なら……いくらでも婿入り目当ての男性たちがいらっしゃるでしょうから」
「ええ……そうですね……そのようなお方と結婚するのは御免ですが」
彼女はニコッと笑うと、早々に侯爵令嬢の前から立ち去って行った。
話を中断されたことが気に入らないのか、彼女は後ろで喚いていたが振り返らない。
(今は生憎、あなたのくだらない話を聞いてあげられるような心境じゃないんでね……)
会場の隅へ移動したチェリシアは、ホールを見渡した。
皇太子就任式が行われるのは、皇宮に併設されているパーティーホールだった。
普段舞踏会や夜会が開かれる場所で、今日はステインの就任式を行う。
(皇族たちはまだ来ていないみたいね……もちろん、レイドとアンリーシェも)
ステインにレイドにアンリーシェ、そして皇帝夫妻はまだ会場に到着していなかった。
このようなパーティーの場では、皇族が登場するのは一番最後となる。そのため、彼らがまだ来ていないのも不思議ではなかった。
そのとき、突然扉の前に立っていた騎士が声高らかに叫んだ。
「――レイド・フォン・ベレニウム第二皇子殿下です!」
「……!」
会場にいる人々の視線が、レイドへと集中する。
今日のレイドは兄の皇太子就任を祝うため、華やかな装いに身を包んでいた。
もちろん、祝うというのは表向きの理由だが。チェリシアは扉から入場してくるレイドをボーッと見つめていた。
「――リシア、レイド殿下がいらっしゃったみたいよ。行かなくてもいいの?」
「……リア?」
いつの間にか後ろに来ていたアルセリアが、チェリシアに声をかけた。
彼の傍に行きたいという気持ちはあったものの、どうしてもそれが憚られた。
「……私が行っても迷惑になるだけだから」
「……そう?」
アルセリアは浮かない顔のチェリシアを不思議そうに眺めた。二人の間にあったことを、彼女は想像もしていないだろう。
入場してきたレイドは、ホールの隅で立ち止まった。
彼はキョロキョロと周囲を見渡し、誰かを探しているような動きを見せた。
(きっと、アンリーシェの登場を待っているんだわ……)
彼女はその姿を見たくなくて、彼から目を背けた。
レイドが入場を終えてすぐ、突然会場にラッパ音が鳴り響いた。楽団が演奏していたのは、祝福の音楽だ。それは紛れもなく、新しい皇太子の誕生を祝うものだった。
その演奏で静まり返った会場に、再び騎士の声が響いた。
「――ステイン・アル・ベレニウム第一皇子殿下と、聖女アンリーシェ様のご入場です!」
今回の主役となる二人の入場だった。
並んで入ってきたステインとアンリーシェは、仲睦まじく微笑み合いながら会場へ足を踏み入れた。
ステインは赤い軍服を着ており、横にいる彼女もまた、合わせるように赤いドレスに身を包んでる。
胸元には大き目のリボンを、そしてその周りを彩るように鮮やかなフリルがふんだんに使われている。
さらには、深紅のネックレスやイヤリングで元々の華やかな容姿を煌びやかに飾っていた。
(アンリーシェ……)
彼の隣で頬を染めて愛らしく笑っているのは、おそらく本物のアンリーシェではなく魔女だろう。
ステインはそのことに気付きもしないまま、彼女の額にキスをした。チェリシアはそのことを考えると、とても複雑な気持ちになった。
ステインとアンリーシェが入場を終えたあと、皇帝夫妻が同時に会場入りし、就任式が幕を開けた。
皇帝陛下が壇上に上がり、貴族たちは一斉に礼を取った。皇帝はこの国の最高権力者である。それに倣い、皇族であるレイドとステイン、そして聖女アンリーシェも胸に手を置いて彼に敬意を示した。
皇帝は貴族たちを見下ろし、口を開いた。
「皆の者、今日は我が息子ステインのために集まってくれて感謝する。日取りがずいぶんと急になってしまったが……予定通り、皇太子の就任を行おうと思う」
その言葉を聞いたステインの口角が上がった。
「ステイン、こちらへ」
「はい、陛下」
皇帝から指名されたステインが、赤いマントを翻しながら壇上へ上がって行った。
後ろには、数人の神官と近衛騎士、そして勝ち誇ったような笑みで息子を見つめる皇后陛下が控えている。
ステインは皇帝の前で跪き、彼の言葉を待った。
「かなり遅くなってしまったが、私は第一皇子のステインを皇太子に任命する」
皇帝は息子にゆっくりと近付き、その肩に手を触れた。
「ステイン、君なら民を導く良き皇帝になれると信じている」
「もちろんです、陛下……次期皇帝は私以外にあり得ません」
ステインは自慢げな笑みを浮かべ、頷いた。
その後、後ろに控えていた神官が前に出ると、彼の頭に聖水を垂らした。
アンリーシェを聖女に任命したときと同じやり方だ。
「――では、皇太子の冠を」
そして、側近の一人から皇太子の象徴である冠を受け取った皇帝が、跪いた彼の頭に着けようとした。
――そのとき、突然彼の肩を一筋の光が貫いた。
「グッ……」
「陛下!!!」
肩を撃たれた皇帝が、手に持っていた冠を床に落とした。
ガンッ――と鈍い音を立てた冠が床を転がり、椅子の足にぶつかって停止した。
肩を押さえた皇帝の手から、真っ赤な鮮血が流れ出る。
彼は信じられない、というように自身の傷付いた箇所を見つめていた。
「キャー!!!」
突然の出来事に、会場中が大パニックに陥る。
皇帝の暗殺未遂を目撃した人々が、我先に会場から出ようと逃げ惑った。誰もが予想だにしていないことだった。
「何が……一体何が起きたんだ……!?」
立ち上がり、状況を把握しようと辺りを見回したステインの前に、ある人物が現れた。
コツコツとハイヒールのかかとを鳴らしながら、ゆっくりと彼に近付く。
「――落ち着いてください、ステイン殿下」
「……リーシェ?」
聖女アンリーシェはいつものように穏やかな笑みを浮かべながら、ステインの前に立ちはだかった。
彼女は床に転がった冠を手で拾い上げると、再び皇帝に向けて光の弾丸を放った。
流れ弾は皇帝を守ろうと立ちはだかった近衛騎士たちにまで命中した。
「グゥッ……!」
「リーシェ!何をしているんだ!」
肩に加え、腹部を何度も魔法で貫かれた皇帝はとうとう意識を失って倒れた。後ろでは皇后陛下が真っ青な顔で震えている。
息をしていない皇帝を見下ろしたアンリーシェは、恍惚の表情で呟いた。
「――あぁ、この日だけをずっと待ちわびていたのよ……」
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