90 偽チェリシア
魔女からアンリーシェとの出会いを聞いたチェリシアは、思わず怒声を上げていた。
結果、時間を巻き戻す黒魔術は成功に終わったようだが、失敗していたらと思うとゾッとする。そんな危険な魔法に彼女を巻き込んだのか。いや、それよりも――
「あなた、アンリーシェを騙したのね……!?」
そのことがチェリシアにとって、許せなかった。
魔女はそんな彼女を前に、赤い唇を醜く歪ませた。
「あら、それはあなたにも言えることでしょう?――あなた、本物のチェリシア・ロクサーヌではないみたいだし」
「……ッ」
チェリシアは言葉を詰まらせた。
(バ、バレていたというの……!?)
最初から、魔女はチェリシアの正体に気付いていたのだ。
それでも何もしなかったのは、彼女が本物だろうが偽物だろうがどちらだってよかったからだろう。つまり、最初からアンリーシェのことなど眼中にも無く、彼女の願いを叶えるつもりもなかったということだ。
「あの娘がどれだけチェリシアに会いたがっていたか、あなたは何もわかっていないでしょうね。初めてあなたを見た瞬間、それはそれは落胆したはずよ」
「……」
魔女の言っていることは的を得ていて、チェリシアは何も言葉を返すことができなかった。
あの日、本物のチェリシアの居場所を言えと華奢な手で剣を突き付けたアンリーシェの目がそのことを物語っていたからだ。
僅かに揺れ動く瞳孔が、彼女の心の余裕の無さを切実に表していた。
チェリシアは至って平然を保ち、尋ねた。
「帝国を滅ぼすとは……一体どういうことかしら?この国に住む一国民として聞き捨てならない言葉だわ」
「それはお前が知らなくていいことよ――どうせ帝国民は全員死ぬんだから」
そう口にした魔女の瞳には、並々ならぬ憎しみが込められていた。その目は、普通の人間がすることのできるものではない。つまり、彼女と帝国の間に何かがあったということだ。
(帝国を憎んでいるの……?どうしてそんなに……)
チェリシアが口を開きかけたその瞬間、突然拘束が解けた。彼女の闇魔法が、解除されたのだ。
「どうせみんな死ぬんだから……ここでやるまでもないわ。誰かに言ったところで、誰もあなたの言葉なんて信じないんだから」
「ま、待ちなさいよ……!」
自由になったチェリシアがその体を掴もうと手を伸ばすが、魔女はそれを華麗に躱した。
どこに行ったのか――とその姿を見失った瞬間、彼女の背後で何かが動く音がした。
気付けば魔女は、チェリシアのすぐ後ろにいた。
「――じゃあね、偽チェリシアちゃん」
「……!」
ビクリと肩を上げて後ろを振り返ると、既に彼女の姿はどこにもなかった。
一人になった部屋では、外に降りしきる豪雨の音だけがしきりに鳴り響いていた。
(レイド……無事なの……?)
――何故か、とても彼に会いたくなった。
***
それから数日後。
チェリシアは公爵邸にある自室で、一人呟いた。
「レイド……手紙を送っても会えないってはぐらかされてばかりだなぁ……」
魔女に会ったあの日から、いくらレイドに連絡を取ろうとしてもまともに取り合ってもらえない日が続いていた。
ほんの少し前までは彼自らがここへ足を運んでいたというのに。最後に会ったのはいつだっただろうか。それすら曖昧だった。
(あの魔石……もうずっと使っていない)
彼女は机の上に置かれていた赤い魔石を視界に入れた。レイドから、前にプレゼントされた転移の魔石。
あの石を使えば、彼のいる第二皇子宮に行くことができる。
しかし、どうもその勇気は出なかった。
――行けば、何か大きなショックを受けてしまいそうで。
どうしても、一歩踏み出すことができなかったのだ。
それに加え、自分の気持ちに説明がつかない。
(……どうして、私はレイドにこんなにも会いたがっているのかしら?)
ただ単に、彼のことが心配だから?
いや、それとも何か別に……
チェリシアはそこで考えるのをやめた。
気付いていながらも、気付かないフリをしたのだ。
「とにかく、今は就任式に向けての準備をしないといけないわ……」
レイドに会いたいのはやまやまだったが、それよりも他にやるべきことがあった。
ステインの皇太子就任式は残り二週間を切り、着々と迫ってきていた。
帝国にいる全ての貴族が出席しなければならない特別な祭典に、中途半端な状態で行くわけにはいかなかった。
公爵家の名誉にもかかわることだ、服装選びもきちんとしなければならない。
チェリシアはドレスルームへ行き、前に父親からプレゼントされたドレスを眺めた。たくさん贈られたドレスは、まだ大半が未着用の新品である。新しく買うのも勿体ないし、どうせなら全て使い切ってしまおう。
どれにしようかと悩んでいたそのとき、一人の侍女が部屋に入って来た。
「――お嬢様、レイド殿下からお手紙が届いています」
「何ですって!?」
チェリシアはすぐに侍女からその手紙を受け取った。久しぶりに、レイドから手紙が届いたのだ。落ち着いていられるはずがない。
慌てて封を開けると、中に書かれていたのは――
「……就任式には、一緒に行けない……?」
――彼からの、拒絶だった。
ステインの皇太子就任式は一緒に行けそうにはないから、自分を待たないでほしいとのことだった。
その文面を見た彼女は落胆した。ほんの僅かでも期待していた自分が馬鹿馬鹿しい。
(あぁ……やっぱり……)
アンリーシェの言う通り、彼は本当に彼女を選んでしまったのだろうか。
彼だけは、絶対に自分を見捨てないとそう思っていたチェリシアは茫然自失状態だった。
ついこの間までは彼から離れようとしていたくせに、いざ彼の方からいなくなられるとこんなにも悲しいのか。彼女は自分自身を嘲笑した。
(そりゃあそうよね……チェリシアは悪女で、アンリーシェは誰からも愛されるヒロインだもの)
全員がチェリシアよりもアンリーシェを好きになるのは至極当然のこと。
愚かにも、彼女は今になってそのことを悟ったのだ。
「仕方ない……就任式には一人で行くかぁ……」
「お、お嬢様……」
侍女が元気付けようと、ドレスルームから一着のドレスを取り出した。
空色のそのドレスは肩の部分にリボンがあしらわれており、可愛らしくもゴージャスな印象を与えるものだった。
「お嬢様、こちらのドレスはいかがですか!?淡い青色がとてもお嬢様にお似合いになると思われます!」
「……そうねぇ、じゃあそれで行こうかしら」
レイドが来ないのなら、何だかドレスも髪型もどうでもよくなってしまった。
突然やる気を一切無くしたチェリシアに、侍女は困惑した。
「レ、レイド殿下が来なくとも、きっと旦那様が代わりにエスコートしてくださいますよ!」
「あの人にされるくらいなら一人で入った方がマシね」
「そ、そんな……お嬢様……!」
父親と手を繋いで会場に入るだなんて、御免である。
前世で社会人だったチェリシアにとっては余計に憚られる行為だ。
「仕方が無いわ……レイド殿下は……」
そんなこんなで、皇太子就任式の日がやって来た――
いつも読んでくださってありがとうございます!
ブクマ、評価、いいねなどしていただけたら励みになります!




