87 予期せぬ誘惑 レイド視点
チェリシアが宮殿を去った後、入れ替わるように部屋に入ったロイが嬉々としてレイドに話しかけた。
「殿下、ついにやりましたね!」
「……何がだ」
書斎の椅子に座っていたレイドは、赤くなった顔を隠すように窓の方を向いた。
その反応から、ロイは全てを察していた。
ついさっき、宮殿を出て行くチェリシアの顔も赤くなっていたのだ。
その状況から、考えられることはただ一つ。
「ロクサーヌ令嬢に告白したんでしょう!?愛していると」
「……何故お前がそれを知っている」
「いやあ、わかりますよ!どれだけ殿下のこと見てきたと思ってるんですか!」
ロイは何故か、昔からこういうことには鋭い方だった。
付き合いが長いからだろうか、ラリサの次にレイドのことを理解しているのは間違いなく彼だろう。
ロイは迫るようにレイドに近付き、尋ねた。
「で、告白の返事はどうだったんですか?」
「俺の顔見てわからないか?」
「まさか、振られたんですか!?いやぁ、殿下を振るとはロクサーヌ令嬢はなかなか肝が据わ……」
「お前、一発殴っていいか?」
急に声のトーンを落としたレイドに、ロイは慌てたように首を横に振った。
今の状況なら、きっと本気で殴ってくる。彼は瞬時にそう悟った。
「じょ、冗談ですよ殿下……返事はきっとまだなんですね……」
「二度とくだらない冗談を言うな」
レイドはステインと違って冗談が通じないような相手ではなかったが、チェリシアのことになると話は別だ。
そして、ロイにとって予期せぬ事態はもう一つあった。
「それより殿下、ステイン殿下の皇太子就任式の日程が正式に決まったとお聞きしました」
「ああ、そうだ」
レイドはロイを見ることなく、頷いた。
彼の机の上に置かれていた一枚の紙には、ちょうどその詳細が書かれていた。日程、当日のスケジュール、参加者などが事細かに記載されている。こんなにも早く就任式を行うとは。レイドはハッと嘲るように口角を上げた。
(ステイン……俺がロクサーヌ家の令嬢と婚約したからって慌てているようだな)
皇后から生まれた正当な嫡子であるステインが皇太子になることは想定していたが、こんなに急に就任式が行われることは予想していなかった。
「殿下、ステイン殿下の就任式には出席なさるおつもりですか?」
「ああ、もちろんだ。チェリシアも連れて行く」
ロイはレイドの返答に、驚いた。
因縁の異母兄が皇帝に一歩近付く祭典に、わざわざ出席するとは理解ができない。貴族たちに何を言われるか、わかっているだろうに。
彼が皇帝の座を狙っているのなら、なおさらだった。
「まぁ、手は打ってあるし……」
そう呟いたレイドに、ロイが嬉しそうに声を上げた。
「やはり、殿下は就任式で何かなさるのですね!さすがはウチの殿下!ステイン殿下の皇太子就任をただ黙って見ているような男ではないと、私は確信しておりました!」
ロイがレイドを褒め称え、パチパチと両手を叩いた。
ちょうどそのとき、ラリサが扉を開けて中に入って来た。
「――殿下、お客様がいらっしゃっています」
「……こんなときに、一体誰だ?」
レイドは思わず眉をひそめた。
普段なら先触れの無い失礼な来訪者にもそこまでの反応にはならないはずだが、今日は違った。
ステインの皇太子就任が決まったばかりの今、彼に会いに来る貴族なんてほとんどいない。
全員が次期皇帝となるステインに、ここぞとばかりにすり寄っている頃だろうから。
しかし、ラリサがわざわざここに来るということは追い返すことができない相手だという意味だ。
レイドは仕方なく立ち上がり、無礼な訪問客に会いに行った。
(この時期に俺に会いに来るとは……何とも命知らずなお客様だな)
その勇気を称えて、盛大に歓迎してやろう。
そんなことを考えながら、レイドは宮殿の隅にある客間に足を踏み入れた。
部屋の中で彼を待っていたのは――
「――レイド殿下、ご機嫌いかがでしょうか」
「………聖女?」
――真っ白なドレスに身を包んだ、聖女アンリーシェだった。
清楚なドレスに加え、今日は頭に花の装飾をつけている。その姿は誰から見ても美しかったが、レイドが心を動かされることは当然無かった。
(……ラリサが追い返せないわけだ)
帝国唯一の聖女であり、ステインの婚約者でもある彼女に無礼を働くことのできる人間なんてほとんどいない。
いるとすれば相当な命知らずだ。
第二皇子のレイドですら、慎重に扱わなければならない相手だった。
アンリーシェは人当たりの良い笑みを浮かべてレイドに挨拶をした。
「こうして二人きりでお会いするのは初めてですね、殿下」
「ええ……そうですね。聖女様が何故私の元へ来られたのかは理解できませんが」
レイドはアンリーシェの正面に座り、足を組んだ。
その不躾な態度は、彼女を尊重するつもりは無いという意思を表していた。
いくら聖女とはいえ、皇族よりも偉くなったわけではないのだから。非礼な真似をしたのだから、そのように言われても文句は言えまい。
彼のそんな意思を汲み取ったのか、アンリーシェの目がスッと細められた。
「……突然の無礼をお詫びします。今日、私がレイド殿下に会いに来たのはきちんとした理由がありますから、ご心配なく」
「用件は手短にお願いしますね、私もあまり暇ではありませんので」
レイドはラリサが置いて行った茶を一口飲んだ。
アンリーシェと二人きりになるのは、何気に初めてだった。彼女は人当たりの良い笑みを浮かべ、口を開いた。
「もうすぐ、ステイン殿下の皇太子就任式が行われるのはご存知ですか?」
「……ええ、もちろんです」
その一言で、彼は一気に興が冷めた。
どんな面白い話をするのかと思えば、そんなこととは。理由を付けて適当に追い返すべきだったな。彼はアンリーシェを部屋に招き入れたことを後悔した。
「話を遮るようですが、こんなところへ来てよろしいのですか?第一皇子殿下が皇太子になる以上、私とはあまり関わらない方が……」
「レイド殿下の言いたいことは理解できます」
実は、レイドはアンリーシェのことが最初から気に入らなかった。
元々いた婚約者を追い出すような形でその座に就いた女だ。何故チェリシアがこんな女を好いているのかも理解できない。
(表では聖女のように振舞っているが、内面は……)
アンリーシェはそっとソファから立ち上がると、向かいに座る彼に近付いた。
頭がおかしくなったのか。異様な距離感で眉をひそめる彼に、アンリーシェは構うことなく歩み寄った。
何のつもりだ――と口を開きかけたそのとき、彼女の手がレイドの肩に触れた。
「――殿下、今だけは愛する婚約者のことなんて忘れて私の話を聞いていただけませんか?」
「……何をする」
アンリーシェは彼の首に腕を回し、耳元に顔を近付けた。
男を誘惑する真っ赤な唇を動かし、彼女はレイドの耳元で何かを囁いた。
何故か、全てがどうでもよくなるような、虚無感が唐突に彼を襲った。
「……」
フローラル系の甘い香りが、ほんの一瞬彼の思考を停止させた――
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