86 愛の告白
照れたように綴られたその言葉。
それはまるで、愛の告白のようだった。
冗談を言っているのかと思ったが、レイドの顔は真剣そのものだった。
そんな真摯な表情が、余計にチェリシアを困惑させた。
彼女は前世で読み込んだ物語の中の悪役皇子レイドをよく知っている。
だからこそ、彼がこんな風に愛を語る姿が信じられなかったのだ。
いずれ婚約破棄をするつもりだったチェリシアにとって、その告白は予想外のものだった。
「殿下……」
「チェリシア……お前が俺から離れようとしているのはわかっている」
レイドはゆっくりと、彼女の元へ歩み寄った。後ずさりすることもできず、あっという間に手が触れる位置までやってきた。
彼が目の前まで来ると、そっと頬に手を触れる。
「――だが俺は、お前無しでは到底生きていけない」
「……」
彼女は何も言わずに、彼を見上げた。
いつも鋭いその瞳が、チェリシアを見つめるときだけ僅かに光を宿し、柔らかくなることに彼女は薄々気付いていた。
真っ白な肌が上気し、口元に笑みを浮かぶのも彼女の前だけだった。
――気付いていながらも、見て見ぬフリをしていたのは彼女自身だった。
レイドはチェリシアの手を握り、自身の口元まで持ち上げた。
縋り付くように、彼女を見下ろしている。
「どうか、俺の傍にずっといてくれないか?」
レイドはそのまま、チェリシアの手の甲に口付けた。
ベレニウム帝国では、男性が女性に求婚する際に行う動作である。
つまり、レイドは今チェリシアに冗談抜きで結婚を申し込んでいるということだ。
そういえば、婚約式の日もこのようなことをされたっけ。
「俺は……そう遠くないうちにこの国の頂点に立つ。そのとき、お前に隣で笑っていてほしいんだ」
「……」
「お前以外の人間が横にいることは考えられない」
チェリシアは彼から目が離せずにいた。
思えば、レイドは初めて出会ったときからずいぶんと変わった。
冷酷で残忍でサイコパスだと思っていた第二皇子レイド。しかし彼も元はといえば原作のチェリシアと同じように、ただ愛に飢えた可哀想な少年だったのだ。
「殿下、どうして……そのようなことをおっしゃるのですか?」
何故そんなことを聞いたのか、自分でもわからなかった。
次に出てくるであろうその言葉を聞きたいから?
わかっているくせに、何て性悪な女なんだ。
そう思いながらも、彼女は彼の言葉を待っていた。
聡明なレイドはチェリシアの望んでいるものを、瞬時に理解したようだった。
頬に添えていた手を動かし、彼女の顔を上に向かせた。
唇が触れ合いそうなほど近い距離で、彼は照れ臭そうにしながらも口を開いた。
「――俺が、お前を愛しているからだ」
その一言に、チェリシアの心が揺れ動いた。
先ほどから鳴りやまない心臓の音が聞こえていないか、お互いにそんなくだらないことを心配していた。
恥ずかしくなったのか、レイドは彼女から手を離して背を向けた。
「……突然こんなことを言われてお前も困惑しているだろう。今すぐに答えを出せなんてそんなのは望んでいない。ただ……考え直してほしかったんだ。俺がお前を愛しているということを知ったうえで……」
「……」
結局チェリシアは、その場で二人の関係に結末を下すことができなかった。
***
「……」
レイドに愛の告白をされてからというもの、彼女は心ここにあらずだった。
「――チェリシア、何かあったのか?さっきからずっと考え込んでいるようだが」
「……お父様」
晩餐室でボーッとしていた彼女に声をかけたのは、左斜め前に座っていた父だった。
義母とマリーナがいなくなってからというもの、チェリシアはほとんど毎日父親と二人きりで食事をするようになった。
以前の父なら気付いてすらいないだろう彼女の変化を、今では瞬間的に察知するようになったのか。
最初は話す気なんてなかった。
しかし、今は父しか悩みを話せる相手がいなさそうだった。
「……前に、お母様のことを嫌っていたわけではなかったとおっしゃっていましたよね。お父様は、お母様のどのようなところがお好きだったのですか?」
「……突然だな」
想定外の質問に、父は驚いて目を見開いた。
「そうだな……いつも明るく、穏やかなところが一番好きだったな。頬を染めて愛らしく笑うところも……」
そこまで言いかけた父は、何かに気付いたようにチェリシアを見た。
「……もしかして、レイド殿下に告白でもされたのか?」
「そ、それは……」
父は昔から勘が鋭い方だ。
チェリシアの反応を見て確信したのだろう。
「そうか……あのお方がお前に本気になるとはな……」
「意外ですよね、誰かを心から愛するような方には見えないのに」
「そうだな、昔のレイド殿下なら……そうだっただろう」
父はチェリシアに微笑みかけた。それはいつも、マリーナにのみ向けられていたはずの笑みだった。
そんな笑顔を自分が受け取る日が来るだなんて、彼女は想像もしていなかった。
「だが、私から見ても……レイド殿下はかなり変わられたようだ。こう見えても、彼のことは昔から知っているんだ。公爵家の当主として殿下とは関わることも多かったからな」
「お父様から見ても、殿下はそんなに変わられたんですか?」
父は迷うことなく頷いた。
レイドはチェリシアの三つ上であり、父は彼女よりもずっと前から彼のことを知っているだろう。彼が子供だった頃も見てきているはずだ。
「一つだけ言っておきたいのは、私は別に皇家との縁を望んでいるわけではないということだ」
「と、いいますと……」
父は手に持っていたフォークとナイフを、そっと机に置いた。
顔を僅かに右に向け、斜め前に座っていた娘を視界に入れた。
「――お前の好きなようにしなさい、チェリシア」
「お父様……」
「お前がどんな選択をしようとも、私は反対したりしないから」
それはつまり、彼女がレイドとの婚約を破棄してもかまわないということだ。
昔から厳格だった父が、そのようなことを言うとは驚きだ。
「私ももう年だ、これ以上権力や富を得たところで何の意味も無い。だからせめて、今まで可愛がってやれなかった分、お前には幸せになってほしいんだ」
「……」
どの道が、自分にとって一番幸せなのか。
じっくりと考えてから答えを出す必要がありそうだ。
チェリシアは父に言われた言葉たちを胸に、部屋へ戻った。
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