85 お前と生きる未来
第一皇子のステインが、皇太子になる日取りが正式に決まった。
聖女アンリーシェとの婚約式と同時に、彼の皇太子就任式が執り行われるのだという。
そのことが正式に皇家から発表されたのが、まさに今日の昼だった。
各新聞社はこぞってそのニュースを取り上げた。
将来、ベレニウム帝国に君臨する皇帝がようやく定められたのだから当然のことだった。
ある新聞社は、一番大きな見出しにこう記載した。
――長い間空席だったその椅子が、ようやく主を見つけた。
そのせいか、皇都は騒がしくなっていた。
皇太子の就任式といえば、国を挙げて行う一大イベントである。
次期皇帝の誕生を祝う、大切な場。
品行方正な第一皇子ステインがその座に就くことを知り、国民たちは歓喜に沸いた。
その中でチェリシアは一人、驚愕に染まった顔で新聞を読み進めていた。
(二週間後……!?こんなにも急に……)
皇太子就任式が行われるのは何と二週間後だった。
普通何ヵ月も前から準備しなければならないような祭典だというのに、どうしてこんなにも突然。
チェリシアはそのことを不自然に思った。
新聞を横から覗き込んだ騎士が、驚いたように口を開いた。
「……お嬢様、皇太子就任式に向けての準備をしなければなりませんね」
「ええ、そうね……」
もちろん、その準備も今から始めなければならない。
しかし、チェリシアにとってそれ以上に心配だったのは――
(……レイド、大丈夫かしら)
ステインの皇太子就任を聞いて何よりも気にかかったのは、レイドのことだった。
レイドは第一皇子のステインを押し退けて、皇帝の座を狙っている。
そのことはチェリシアとロイ、ラリサだけが知っている事実である。
彼のその意思は絶対に揺らがない。
実際に、レイドは十年以上も前から皇帝になるために力をつけてきたほどだ。
そんな彼が、今回のニュースを聞いて平然としていられるだろうか。
答えは否である。
「お、お嬢様!?どちらへ行かれるのですか!?」
「ごめんなさい……ちょっと行き先を変えたいの!」
チェリシアは来た道を戻り、馬車へ駆け出した。
護衛騎士を置き去りに、走り出す。
(いちいち公爵邸に帰る時間がもったいないわ……)
大慌てで馬車に乗り込んだチェリシアに、御者は驚愕した。
買い物へ行ったはずのお嬢様が五分足らずで帰ってきたのだから当然だった。
「お嬢様……!?そんなに慌てていかがなさいました!?」
「皇宮へ行ってほしいの!できるだけ早く!」
「か、かしこまりました……!」
まくし立てるチェリシアに、御者はすぐさま馬車を出発させた。
彼女が今いる皇都から、皇宮まではすぐだ。
御者が気を利かせていつもより早いスピードで馬を走らせたため、ものの十分ほどで到着した。
「ここで待っていてちょうだい」
「ですが、お嬢様……」
「平気よ、皇宮は安全な場所だから何も起きないわ」
チェリシアは騎士たちに馬車で待つよう命じ、一人レイドのいる第二皇子宮へ走り出した。
走るだなんて淑女らしからぬ行為だが、それほどに彼のことが心配だった。
通り過ぎるメイドたちが驚きの目で彼女を見る。
そうしているうちに、薔薇園を通り過ぎ、最短距離でレイドのいる宮殿へ辿り着いた。
「――レイド殿下!!!」
「………チェリシア?」
チェリシアはノックもせずに書斎の扉を開けた。
突然の来訪に、レイドは目を見開いて彼女を見つめていた。
チェリシアはあ然としている彼の目の前に、例の新聞を突き付けた。
「大変ですよ、殿下!ステイン殿下の皇太子就任が決まったんだと!」
チェリシアの剣幕にも、彼は全く動じていなかった。
それどころか、チェリシアを不思議そうに見つめている。
「……それがどうした?」
「……へ?」
レイドは慌てふためくチェリシアを落ち着かせるように、その手を握った。
何故そんなにも平然としていられるのか、彼女は理解できなかった。
彼はチェリシアの手から新聞をそっと受け取り、呟いた。
「予想はしていたことだったが……思ったよりも早かったな」
「……」
「もしかして、今日はそのことを言うためにここに来たのか?」
チェリシアは黙ったまま頷いた。
あなたのことが心配だったから、ここまで来た。だなんて照れ臭くて言えなかった。
「殿下、ステイン殿下が皇太子になられるのはマズいのでは……?」
「まぁ、それもそうだが……チェリシア、よく考えてみろ」
彼は掴んでいた彼女の手を引き寄せると、その耳元で囁いた。
甘い香水の香りが、彼女の鼻をくすぐった。
「――皇帝ってのはな、その座を手に入れた後が最も危険なんだ」
「……」
その口元は、微かに弧を描いていた。
この状況でそんな風に笑えるだなんて。彼がとても危険な道に足を踏み入れているようで、チェリシアは背筋が凍った。
「常に暗殺の危険に怯えなければならない――愚かな我が父のようにな」
「で、殿下……!」
皇帝を愚かだとハッキリ言えるのは、この国でレイドくらいだろう。
たしかに、皇帝はお世辞にも賢王とは言えないが、はっきりと言うのはどうかしている。
しかし、そんな彼の発言も今ではもう慣れた。
「元より、待っていたところで俺にその座がやってくることはない。だから奪うんだよ」
「……殿下」
そう言いながら、レイドはチェリシアの髪の毛に手を触れた。
彼の考えを理解できないというわけではないが、あまりにも危険すぎるのではないか。
チェリシアが心配そうに彼を見つめていると、レイドがクスッと笑った。
「――俺を心配してくれているのか?」
「え……」
嬉しそうな顔の彼が、チェリシアを覗き込んでいた。
心配してくれて嬉しい、とでも言いたげにその目は細められている。
「当然ではありませんか……ステイン殿下や皇后陛下を敵に回すだなんて……危険です。殿下に何かあったら……」
彼女が不安げにそう零すと、彼はポツリと呟いた。
「……いつ死んでもいいと思ってたんだけどな」
「殿下……?」
レイドは一度彼女から顔を離し、椅子から立ち上がると、後ろにある窓から外を眺めた。
(……何を考えているの?)
しばらく夕焼けに染まった空を眺めたあと、彼がチェリシアの方を振り返った。
その頬は、何故か赤く染まっていた。赤い夕日を浴びているせいだろうか、それとも照れているのか。チェリシアには区別がつかなかった。
彼は口元に微笑を浮かべ、柔らかい声で言葉を紡いだ。
「俺はどうかしてしまったようだ――お前と生きる未来を、心のどこかで期待してしまっているんだ」
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