81 時空間の中
「……ここはどこ?」
チェリシアは真っ暗な世界の中で一人立ち尽くしていた。
背後から抱き着いていたはずのレイドは既にいなかった。
(レイドの腕からの脱出に成功したということかしら?)
時空の杖を使ったのだから、おそらくここは時空間の中だろう。
周囲を見渡しても何も見えない。
時空間の中に入れたはいいものの、何をすればいいのかまるでわからない。
「どうやったら元の世界に帰れるのかしら?」
チェリシアは戻る方法を模索しながらも、歩き出した。
しばらくすると、周囲にスクリーンのようなものが現れた。
そこに映し出されていたのは――
「……子供時代のレイド?」
まだ幼いレイドが、皇帝から暴力を振るわれている場面だった。
「ちょっと!幼い子供に何てことしてんのよ!」
チェリシアは丸く風船のように浮かんだスクリーンに向かって叫ぶが、彼女の声は聞こえていないのか、何の効果も無かった。
耐えられないほど、胸が痛かった。
床にうずくまるレイドに、皇帝は容赦ない暴力を浴びせた。
前にラリサが言っていた壮絶な過去とは、こういうことだったのか。チェリシアはようやく理解することができた。
彼女がその画面に夢中になっている間、周辺には他の映像がスクリーンで流れ始めた。
「子供の頃のチェリシア……」
幼い頃、一人ぼっちで父親の帰りを待っているチェリシアの姿。
その横には、アルセリアがステインに笑顔で話しかけているところが映っていた。
そんな中、チェリシアの興味を最も引いたのは――
「私……と、アンリーシェ……?」
今と変わらない姿で、そこにいたのは紛れもないチェリシアだ。
そして彼女の腕を掴んで満面の笑みを浮かべていたのは、アンリーシェだった。
(私……こんな記憶は無いわ……)
チェリシアはアンリーシェとこのようなことをするほど仲が良いというわけではなかった。
なら、この場面は一体いつのものだろうか。
気になったチェリシアは、自身とアンリーシェの映るスクリーンに向かって手を伸ばした。
その瞬間、彼女はその映像に取り込まれてしまった。
「キャアッ!」
ドサッという音と共に彼女が着地したのは皇宮だった。
しかし、見慣れた第二皇子宮ではない。おそらくここは――
「皇太子妃宮……よね?」
少し離れたところに赤い薔薇園が見えるし、間違いない。
アンリーシェが住む皇太子妃宮だった。
「チェリシー、そんなに早く走ったら危ないわよ?」
「……!」
背後から声が聞こえ、チェリシアは慌てて近くの茂みに身を潜めた。
顔を少しだけ覗かせると、こちらへ向かってくるアンリーシェとチェリシアの姿が目に入った。
「リーシェったら、心配性ね」
チェリシアがアンリーシェに向かって軽く微笑んだ。
その姿は、仲睦まじい友人同士のように見える。チェリシーというのはきっと、アンリーシェが付けたチェリシアの愛称だろう。
「リーシェ、今日は何だか浮かない顔をしているわね。ステイン殿下と何かあったの?」
「何かあったっていうほどでもないんだけど……」
その質問に、アンリーシェは気まずそうに目を逸らした。
「ただ……彼、重すぎるというか……一緒にいると疲れるのよね」
「何よそれ、贅沢な悩みね。第一皇子殿下からの寵愛を得られるのはとても光栄なことじゃない」
チェリシアは理解できないというような顔でアンリーシェを見た。
「光栄だなんて……私は殿下よりチェリシーといた方が気楽なのよ?」
「そんなことを言ったらステイン殿下が悲しむわ」
チェリシアは俯くアンリーシェの肩にそっと手を置いた。
アンリーシェはその手をギュッと握った。
「本当のことを言ってもいい?私は……ステイン殿下よりもチェリシーと一緒にいたい」
「そう言ってもらえてすごく嬉しい。だけど……私たちは共存なんてできないと思うの」
悲しげに呟かれたその言葉と同時に、チェリシアはアンリーシェの手を振り払った。
そのまま踵を返そうとしたチェリシアを、アンリーシェが呼び止めた。
「チェリシー!どうしてそんなことを言うのよ!」
「リーシェ……」
アンリーシェは納得できない、というように声を上げた。
「共存できないだなんて……あなたが彼から離れればいいだけの話だわ!」
「そんなに簡単なことではないのよ、リーシェ」
「私には理解できないわ、何をそこまで恐れているというの!?離れることで彼が何かしてくるのなら、私がチェリシーを守るから!」
チェリシアはグッと黙り込んだ。
「チェリシー……お願い……私を選んでよ……」
アンリーシェは縋り付くようにチェリシアを見つめた。
チェリシアは、そんな彼女を突き放した。
「リーシェ……私には彼を捨てることはできないわ」
「どうして……」
アンリーシェの大きな瞳から涙が溢れた。
「彼を捨てることは……――私を捨てることと同じだから」
「チェリシー……!」
チェリシアはそのままアンリーシェの前から立ち去って行った。
一人残された彼女は床にうずくまり、嗚咽を上げて泣き続けた。
「……」
チェリシアはそんな二人の様子を、草むらからじっと眺めていた。
まるで映画のワンシーンのようだった。
(……一体どういうこと?)
もっと近くから見ようと動いたそのとき、彼女は物音を立ててしまった。
「……誰かいるの?」
泣いていたアンリーシェが顔を上げ、ゆっくりとこちらへ近付いてきた。
(マ、マズイ……!)
チェリシアは焦り、元の世界に戻れ!と心の中で祈り続けた。
アンリーシェが茂みを覗き込む手前、彼女の視界が再び真っ暗に染まった。
「――おかえり、時空間の旅は楽しかったか?」
「……」
目を開けると、公爵邸へ戻ってきていた。
椅子に座って本を読んでいたレイドが顔を上げた。彼はチェリシアの返事を待っていた。
「何だか、不思議な夢を見ていたような気分です……」
「時空間ってのはそんなものだ」
こんな旅行、前世でもしたことがない。
時空間の中を移動していたせいか、何だかめまいがした。
「ちょっと疲れてしまったようです……」
「そうか?なら今日はゆっくり休め」
レイドはまたな、と笑いながら魔石を使って宮殿へ戻って行った。
第二皇子宮と公爵邸を繋ぐ魔石により、一瞬で宮殿へ戻ることができる。
(レイドの言う通り、ちょっとだけ寝ようかな……今は何も考えたくないし……)
彼が去ったあと、チェリシアはそのまま倒れるようにベッドに横たわり、目を閉じた。




