80 侵入者
チェリシアはステインに言われた通り、寄り道をせずに公爵邸へと帰った。
「塗料が付着しちゃって……洗濯しておいてくれるかしら?」
「かしこまりました」
着ていたドレスを脱いだチェリシアは、侍女に湯浴みの準備をするように命じた。
地下牢に行ったせいで、かなり体が汚れてしまった。
「お手伝いをいたしましょうか?」
「あ、いや……一人でやるから平気よ。外で誰か入ってこないか見張っていてちょうだい」
「はい、お嬢様」
侍女は一礼をしたあと、一度彼女の元を立ち去った。
(真昼間からお風呂だなんて、何だか不思議な気分ねぇ……)
準備が整うと、チェリシアは公爵邸にある浴室へと入って行った。
ロクサーヌ家の浴室は、大浴場ほどの広さである。
チェリシアは早速、湯船に浸かった。
「気持ちいい……」
温かい湯が心地良く、チェリシアはふぅと息を吐いた。
こうしていると、何だか心までもほっこりする。
「結局、神殿長は大事なことを何も言わなかったなぁ……」
湯船に浸かったまま、彼女は神殿長との面会を振り返った。
彼が歪みに歪んで悪に染まってしまった経緯は知ることができたが、それ以外は何も手がかりを得られなかった。
(やっぱり……聖女に関することはあまりむやみに口外できない決まりなのかしらね……)
遅かれ早かれ死刑になるのだから、最後に全てを話してくれてもよかったものを。
彼がそこまで渋った理由は何だろうか。
チェリシアのためとか何とか言っていたが、それは本当なのか。
(原作では……聖女に関して何か書かれてたっけ……)
そこで彼女は原作を思い浮かべた。
最近気付いたことだが、ここで過ごす時間が長くなるたびに、だんだんと前世の記憶が薄くなっていっている。
あれだけ読み込んだ原作漫画が、今ではあまり思い出せなくなっていた。
(そういえば……アンリーシェが聖女に選ばれた理由ってたしか……)
その瞬間、突然目の前がピカッと眩い光を放った。
「な、何……!?」
彼女はその眩しさに、思わず目を閉じた。
しばらく経つと、今度はその光が消えていく。光の中から姿を現したのは――
「…………レイド?」
「……」
最初は幻想でも見ているのかと思った。
彼は正面で微動だにしないままチェリシアを見つめていた。
「え」
「え」
素っ裸のチェリシアに、レイドの顔が真っ赤に染まった。
いや、これは幻想なんかじゃない。間違いなく本物のレイドだ。
ということは、チェリシアが今やるべきことは一つだ。
「こ、このド変態!!!」
チェリシアは浴槽のお湯をレイドの顔面にぶっかけた。
彼は避けることもせずに湯を全身に浴び、びしょ濡れになった。
***
「殿下!あなたは自分が何をしたかわかっているのですか!?」
「……お前こそ、昼間から風呂に入ってるやつがあるか」
浴室を出たチェリシアは、部屋でずぶ濡れのレイドに詰め寄っていた。
濡れた髪のまま、彼女はバスローブで体を隠していた。
「み、見ましたよね……?」
「何をだ」
わかってるくせに!
わざわざ言わせようとするだなんて、レイドはやっぱり腹黒だ。
彼は座ったままチェリシアを一瞥すると、ボソッと小さな声で呟いた。
「結構綺麗だったぞ、十七歳のわりには」
「やっぱり見たんですね!最低!」
チェリシアはレイドの頭を殴った。
しかし、レイドにとってはそんなもの全く効いていないようで、むしろチェリシアの手が痛くなってしまった。
「無礼だな、俺を殴っても生きてる女はお前くらいだぞ。他にいるとすれば皇帝くらいだな」
「先に失礼な真似をしたのは殿下の方でしょう?」
レイドは軽く笑いながら立ち上がると、魔法でサッと服を乾かした。
「わぁ、殿下ってそんな魔法を使えるんですね」
「当たり前だろう、下級魔法くらい難なく使いこなせる」
下級魔法とは、生活において必要不可欠な基礎魔法のことである。
当然、魔力が常に枯渇状態のチェリシアは使えないが。
中級にもなると、攻撃としても使える強力な魔法が入ってくるが、難易度がグッと上がるのが特徴だ。
例えるならアンリーシェはまだ中級クラス、神殿長は上級魔法を楽々使いこなしていた。
(レイドやステインはそこまではいっていないから、剣で戦ってるのよね。二人とも魔法なんて必要ないくらい強いからそれでいいけど)
問題はチェリシアの方だ。
せっかく魔法がある世界に転生したというのに、何もできないだなんてつまらない。
「魔法が使えるなんて羨ましいです。私もいざというときに戦えたらな……」
「お前にそんなもの必要あるか?」
レイドは理解できない、というように首をかしげた。
「いつでも誰かに守ってもらえるわけではないでしょう?私も、自分の身は自分で守れるようにならないと……」
その瞬間、彼の手がチェリシアの髪の毛に触れた。
魔法を発動させた彼の手により、長いブラウンの髪の毛が瞬時に乾いた。
「前に俺があげたものを忘れていないか?」
「前にあげたもの……?」
「――時空の杖だ」
そこでチェリシアは以前、チャリティーパーティーでレイドに時空の杖を貰ったことを思い出した。
彼女は机の引き出しに鍵付きで厳重に保管していたそれを取り出した。
「とても貴重なものを頂いたのは嬉しいですけど……」
「それをいざというときに使うんだよ」
そう言うと、レイドはチェリシアに背後から抱き着いた。
「キャッ!な、何するんですか……!?」
驚いて肩を上げるチェリシアを、レイドは強く抱きしめる。
いわゆるバックハグというやつだ。
「例えばだな、こうやって……後ろから拘束されたときにその杖を発動させてみろ」
「は、発動ですか……!?」
ドキドキしすぎてそれどころじゃないんだけど!
「ど、どうやって使えば……」
「魔力を込めるんだ、さっさとしろ」
チェリシアはレイドの腕から早く逃れなければ、という一心で杖を握る手に力を込めた。
体に存在する無数の魔力が、腕を通じて杖に流れていくのが伝わってくる。
(そろそろ、いけるかしら……?)
そう思ったその瞬間、彼女は突然光と共に暗闇の中に放り込まれた――




