74 狂った世界 アンリーシェ視点
――かつて、誰かが私のことを聖女だと言った。
聖女?私はその言葉が不思議でたまらなかった。
私は他の人と何も違わない、ごくごく平凡な普通の人間だった。
それなのに、どうしてみんなしてそんなに私を崇めるの?
いきなり聖女として祀り上げられた私は、訳もわからないまま神殿へと連れてこられた。
そこからとんとん拍子で聖女となり、第一皇子に気に入られて次期皇后になった。
平民が皇后になるだなんて、前代未聞だった。当然批判が全くなかったわけではない。
しかし、それらは全て婚約者の皇子の手によって鎮圧された。
彼は私以外目に見えていないようだった。恐ろしいほどに、恋に盲目な状態だった。
周囲の人々は、そんな私の成り上がりを羨ましがった。
まるで何かの物語のヒロインにでもなったかのように、全てが良い方向へ向かっていく。
私自身は何もしていなかったのに、周囲が勝手に私をさらなる高みへと押し上げていった。
そんな日々を、いつからかつまらなく感じるようになった。
皇子も、皇帝も、皇后も、嫉妬の視線を向けてくる令嬢も、私を批判する貴族たちも。
決められた台詞を口にする演者のようだった。
――そんな私の前に、一人の少女が現れた。
彼女が私の前に現れてようやく、私の世界は変わり始めた。
『ねぇ、こんなところで何をしているの?』
『つまらないの、この世の全てが。ここは何かの物語の中の世界なのかしら?』
私と同い年ほどに見える少女は、苦笑いを浮かべながら答えた。
『そんなことないよ。みんなちゃんと意思を持って生きているんだから。つまらないなんて言わないで』
『……そうかしら?永遠にこんな世界が続くなら、私はいっそこの世からいなくなりたい』
そう口にした瞬間、コツンと頭を軽く拳で叩かれた。
驚いて顔を上げると、眉を上げた彼女がこちらを見下ろしていた。
『どうしてそんなことを言うの……!辛い思いをしながらも、懸命に今日を生きてる人だってたくさんいるのに……!』
『……』
彼女は何故か泣きそうだった。
今にも涙が溢れてきそうなその目に、私は釘付けになった。
(……今、私に説教をしているの?)
――この狂った世界で、彼女だけが唯一心を持った人間であるように感じた。
それからというもの、私は彼女との交流を続けた。
友人と呼べる人間はおらず、婚約者の皇子にも特別な感情を抱くことができなかった私にとって、彼女は唯一の親友だった。
いつからだろう、大切なあの子との関係が悪化していったのは。
誰かが言った。
君が聖女なら、あの女は魔女だね、と。
違う、彼女はそんな子じゃない。
何度もそう言ったのに、誰一人として私の言葉に聞く耳を持たない。
そのまま私と彼女が主役の物語は進んでいき、気付けば彼女は罪人として捕らえられていた。
やめて、彼女にそんなことしないで。そんな私の願いは永遠に届くことはなかった。
私の目の前で、彼女の首が斬り落とされた。
私に人としての心をくれた大切な彼女の死を前に、何もできなかった。
――最後に断頭台で見た彼女の顔が、永遠に頭から離れなかった。
***
「……結局、何の収穫も得られなかったわ」
彼女に直接会って問い詰めれば、あの子の居場所が分かると思ったのに。
結局は何の手がかりも掴めなかった。
私が今世でチェリシア・ロクサーヌに初めて会ったのは、彼女が大怪我を負ったと聞いたときだった。
そのときはずいぶん焦ったものだ。
必死の思いで薬を作った。今ではほとんど手に入らない貴重なカシの葉を違法なルートで入手し、それで薬を製作した。
結果として、彼女を救うことには成功した。しかし、私が見つけた彼女は彼女ではなかった。
姿かたちは紛れもなく彼女ではあったが、中身が全くの別人だった。
何故そんなことがわかったのかって?
当たり前だ、前世でどれだけ彼女を見てきたと思っているんだ。
神殿での一件を経て、疑念に過ぎなかったそれが確信へと変わった。
彼女はチェリシアではない。
偽チェリシアの元を去り、私は皇太子妃宮へ戻った。
ステインはちょうど出かけていて、今は一人だった。むしろそっちの方が、私にとっては気が楽だった。
自室に入って扉を閉めた瞬間、腹の底からこみ上げてくる不快感を感じ取った。
「……いい加減にしてよね、私の体で勝手なことしないで」
誰もいない部屋で、私は呟いた。
傍から見れば頭のおかしい人間のように見えるだろう。
しかし、このときの私はちゃんとある人物に話しかけていた。
「もし……彼女を傷付けでもしたら……許さないんだから……」
――私はそう言いかけ、そのまま意識を失った。




