72 アンリーシェからの手紙
無事にレイドから脱出したチェリシアは、公爵邸の部屋で一人ベッドに突っ伏していた。
顔を隠すようにうつ伏せでシーツを掴み、キャーと一人で悶絶していた。
(レ、レイドの膝の上に座っちゃった!私、どうすれば!?)
あのときは何故か平然としていたものの、今考えてみれば恥ずかしすぎる。
それだけではなく、唇が触れそうになった。
あのときのことを考えると、チェリシアの顔が一瞬で真っ赤に染まった。
そのとき、ちょうど部屋の扉が開いて侍女が中に入って来た。
「――お嬢様、失礼します……って、何を」
「あ……」
ベッドに伏せて一人でキャーキャー言ってる姿を侍女に見られた。
もう私は終わりかもしれない。
「……次から部屋に入るときはノックを忘れないでちょうだい」
「も、申し訳ありません……」
義母レイチェルとマリーナがいなくなってからというもの、屋敷の雰囲気は一変した。
父親に言われたのか、使用人全員がチェリシアを丁重に扱うようになったのだ。
(今でも慣れないわ……一人が気楽だからあまり傍に付き添われても困るのだけど)
そんな彼女の気持ちに気付いたのか、侍女は遠慮がちに部屋に入ってくると、あるものをチェリシアに手渡した。
「こちら、お嬢様宛てのお手紙です」
「……アンリーシェ?」
送り主のところに書かれた名前を見たチェリシアは、眉をひそめた。
(アンリーシェが私に手紙を……?)
あのときは協力関係にあったものの、アンリーシェは第一皇子ステインの婚約者。
彼と敵対関係にあるレイドの婚約者であるチェリシアと関わっていいような立場ではなかった。
チェリシアは封を開け、中に入っていた手紙を読んだ。
丁寧な文字で、この間の一件に関する礼が書かれていた。
そして、重要なことがもう一つ。
(……私に会いたいですって?)
文面にはチェリシアと一度お会いしたい、というアンリーシェの意思がハッキリと書かれていた。
チェリシアはその誘いに乗るべきかを非常に悩んだ。
結局、悩んだ彼女は――
「……返事を送るから、便箋と封筒を用意してほしいの」
「は、はい!チェリシアお嬢様!」
***
それから数日後、チェリシアは公爵邸の近くにある路地裏へと足を運んでいた。
ローブのフードを深くかぶった今の彼女を、公爵令嬢だと気付く者は誰一人としていない。
(……まさか、レイドと出会ったあの場所に来ることになるとはね)
偶然か、彼女がアンリーシェに指定された場所はレイドとチェリシアが初めて出会った路地裏だった。
ここへ来ると、あの日のことが思い浮かんだ。
血に染まったレイドが振り返り、彼女の首に剣を突き付けた。
終わりだと絶望し、死を覚悟さえしていた。
その彼とこのような関係になるとは、一体誰が予想できただろうか。
――無意識に、チェリシアの口元に笑みが浮かんだ。
そのとき、彼女の背後からコツン……という足音がした。
振り向くと、今のチェリシアと同じようにローブを着ている”彼女”の姿が目に入った。
顔を隠してはいたが、見なくても誰だか一瞬でわかる。
ローブ姿のその人物は、ゆっくりとチェリシアに歩み寄ると、手でかぶっていたフードを取った。
「――チェリシア、あの日以来ですね」
「…………アンリーシェ」
中から、整った顔立ちと美しい青色の瞳が姿を現した。
路地裏の暗闇の中で、青い瞳が一際輝いている。
そして長い金髪はいつもと変わらずクルクルとウェーブがかかっており、今日は手を加えられることなく下ろされていた。
――美しい、この世界の誰から見ても。
チェリシアは帝国最高峰と呼ばれた彼女の美貌をこのとき再認識した。
悪役令嬢であるチェリシアと、ヒロインであるアンリーシェ。
二人がこうやって向き合う日が来るとは、想像もしていなかった。
しばしの間見つめ合ったあと、先に口を開いたのはチェリシアだった。
「アンリーシェ、今日はどうしてこんなところに私を呼んだんですか?」
「……その質問はあとで答えましょう。私にはあまり時間がありませんので」
「時間がない……?どういうことですか……?」
チェリシアは神妙な面持ちのアンリーシェに尋ねたが、彼女がその問いに答えることは無かった。
次に彼女が放った言葉に、チェリシアの体は硬直した。
「先に私の質問に答えてください――チェリシア、あなたは一体何者なのですか?」
「……おっしゃっていることの意味がわかりません」
チェリシアは知らないフリをした。
しかし、アンリーシェはほとんど確信しているかのように言葉を続けた。
「あまり私を舐めてもらっては困ります、チェリシア――あなた、本物のチェリシアではないでしょう?」
「……!」
どうして、彼女がそれを知っているのか。
たしかにチェリシアは転生者で、本物のチェリシアではなかった。
しかし、そのことは誰にも言っていない。彼女の転生を知っている人間なんて誰もいないはずだった。
チェリシアは目の前で表情を一切変えないアンリーシェをじっと見つめた。
「アンリーシェ……」
「チェリシア、さっきも言いましたよね。私には残された時間があまりないと」
「ええ……それは一体どういう意味なのですか?」
その瞬間、アンリーシェは突然人が変わったようにチェリシアの首元にナイフを突きつけた。
そこで、彼女は全てを理解した。
あぁ、だからわざわざこんな路地裏に私を呼んだのか。
首筋にヒヤリと当たる刃が生々しい。
アンリーシェは揺るぎない力強い瞳をチェリシアに向け、低い声で囁いた。
「――本物のチェリシアはどこにいるのか、答えなさい」




