70 父と娘
その後、予期せぬ怪我を負った父は部屋へと運ばれた。
チェリシアはそんな父について行った。
「お父様、大丈夫ですか?」
「ああ、このくらい何ともない」
頭に包帯を巻いた父が答えた。
それほど重傷ではなさそうなのが、不幸中の幸いである。
医者が出て行ったあと、二人きりになったチェリシアは尋ねた。
「どうして、あのとき前に出たんですか?」
彼女は父の行動を理解できなかった。
何故、自分を守ったのか。ただの気まぐれだと思いたかったが、別の意味が隠されているような気がしてしまって、どうしても真意を聞かずにはいられなかった。
「……親として、子を守るのは当然のことだろう」
「……」
チェリシアは黙ったまま、顔を上げた父親と目を合わせていた。
「……今になってそのようなことをおっしゃるのが、理解できません。お父様は私やお母様を……」
「――私は別に、お前の母親を嫌っていたわけではない」
その言葉を皮切りに、父は懐かしむようにチェリシアの知らない昔のことを語った。
「政略結婚ではあったが……彼女のことはなかなか気に入っていたよ。穏やかで、明るい人だった」
「……」
――それを、あなたが壊した。
父から聞く母の話は、チェリシアの記憶に残る母親からは想像もつかないものだった。
母はチェリシア相手に穏やかに笑いかけてくれたことなど、数えるほどしかなかったから。
「百合の花をプレゼントすると、いつもとても喜んでいた。そのときの彼女の顔は……今でも鮮明に思い出すことができる」
気のせいか、父の表情が柔らかくなった。
どうしてそんな顔をするのか。まるで愛する人を思い起こすときみたいだ。
「母を、愛していたんですか?」
「少なくとも……彼女のことを幸せにしたいと、当時は思っていた」
しかし、結局彼はそれを成し遂げられなかった。
心を病んでしまった母から逃げた先で愛人と出会い、余計に彼女を不幸にした。
しばらく俯いたあと、罪悪感でいっぱいになった瞳がチェリシアを捉えた。
「……チェリシア、辛い思いをさせてすまなかったな」
愚かな男の、悔恨だった。
今になって母を、娘を捨てたことを後悔しているのか。しかし、そのような気持ちが意味の無いものであることに変わりは無い。
「……お父様がどれだけ後悔したところで、母や私の心の傷が消えるわけではありません」
チェリシアの答えは、父親への拒絶を表していた。
予想通り、というように父は彼女から目を逸らした。
「ですが……そうですね、死に目くらいには会いに行ってあげてもいいでしょう」
「……!」
父は目を見開いて顔を上げた。
先ほどと違って、僅かに宿った希望。こんなにも感情を露わにする人だっただろうか、とチェリシアは笑いそうになった。
「私はマリーナのように優秀ではありませんので……そのくらいしか親孝行できなさそうです」
「親孝行だなんて……それだけで私にとっては贅沢すぎるくらいだ」
チェリシアはそれ以上、希望に満ち溢れた父を見ていたくなかった。
「では、そろそろ失礼しますね。お大事になさってください」
「ああ」
最後に挨拶をすると、彼女は部屋を出て行った。
第二章完結となります!
第三章からはアンリーシェが深く関わってくる予定です!




