54 気付き始めた愛 レイド視点
チェリシアのいる公爵邸を一度離れたレイドは、第二皇子宮へと戻っていた。
「――殿下、お帰りなさいませ」
「ああ」
ラリサに素っ気なく返事をした後、彼は自室ではなく書庫の方へと入って行った。
第二皇子宮にある小さな書庫は、レイドが好む難しい本ばかりが並んでいる。
一般の人ならば、まず理解できないだろう。
「ラリサ、俺は今からやることがあるから。誰が来ても中には入れないように」
「……ロクサーヌ令嬢もでしょうか?」
ロクサーヌ令嬢と聞いた彼は、一度動きを止めた。
彼の心を乱すことができるのは、この世で唯一チェリシアだけだとラリサは思った。
レイドはしばらく悩んだあと、口を開いた。
「……ああ、チェリシアが来ても俺はいないと伝えておけ」
「……承知致しました、殿下」
それだけ言うと、ラリサは礼をして彼の前から立ち去った。
一人になった彼は、書庫からいくつかの本を取り出して室内に設置されている椅子に座った。
彼の書庫は普段は厳重に鍵がかけられている場所だ。
鍵を持っているのは彼とラリサくらいで、彼以外で入ったことのある人間はチェリシアくらいだろう。
もちろん、レイドはチェリシアが勝手に彼の書庫に足を踏み入れたことを知っていた。
しかし、知っていてもなお何も言わなかった。
彼女が大事な本を勝手に持って行ったことなど、彼にとってはわざわざ気に留めるほどのことでもなかったのだ。
(俺はどうかしてしまったようだな)
レイドは心の中で自分自身を嘲笑った。
目を閉じれば、無意識に彼女の顔が思い浮かぶ。
自身を恐れながらも嫌悪感を隠すことのない貴族たちの視線に慣れていた彼にとって、チェリシアはまるで太陽のような存在だった。
あそこまで屈託の無い笑顔を見せるのは、彼にとってはチェリシアだけだった。
彼女のことを考えると、彼の口元に自然と笑みが浮かんだ。
レイドが書庫から取った本は、聖女に関する本だった。
一般の図書館では貸し出しなどされていない、皇家が隠したい事実が多く書かれた禁断の書物。
何故、そんなものがレイドの書庫にあるのか。
実は、彼の書庫は王宮の禁書庫にある本を盗んできたことで作り上げられていた。
一部の人間しか立ち入ることのできない禁書庫に侵入し、精巧に作り上げられた偽物とすり替えては本を持ち帰っていたのだ。
禁書庫に興味の無い皇帝や皇太子は、当然そのことに気付いていない。
彼は机の上に置いた分厚い本のページをめくり、書かれた内容をじっくりと読み込んだ。
「聖女……このベレニウム帝国に安寧をもたらす神の使い」
聖女とは、ベレニウム帝国に昔からある言い伝えのようなものだった。
神殿で集められる候補には、光属性の魔力を持つ十代の若い少女たちが選ばれているのだという。
「そういえば、あの女も聖女の光魔法を使うことができるんだったな」
レイドがアンリーシェの光魔法を見たのはあの日が初めてだった。
紛れもない、聖女の証である癒しの力。彼女が聖女であることはおそらく間違いないだろう。
(しかし、あの黒い霧のような魔法は……どう見ても闇魔法だ)
光魔法と闇魔法を両方使える人間なんて、レイドは聞いたことがない。
いや、まず不可能だった。ベレニウム帝国において光は聖女の象徴であり、闇は魔女の象徴。
光魔法を使えるのは聖女だけで、闇魔法を使えるのは魔女だけだ。
「もしあの女が、光魔法と闇魔法を両方使えるのだとしたら……」
――彼女は一体、何者なんだ?
聡明なレイドでも、説明がつかないほどに難しい問題だった。
レイドが今読んでいた本には、歴代聖女の名がズラリと並んでいた。
とはいっても、歴史的に見ても聖女と呼ばれた人間は数少なく、皇帝よりも少ない十人足らずだった。
そのため、アンリーシェが現れたのは奇跡のようなものだった。
奇跡のように現れ、奇跡のように次期皇帝を虜にし、平民から最も高貴な女性へと成り上がった。
そのような経歴からか、アンリーシェは今帝国にいる女性たちの憧れの的となっていた。
しかし、レイドからしたらあまりにも出来すぎているように感じた。
――何か、裏があるような気がしてならない。
そう思っているのはおそらく帝国で彼だけだろう。全員が聖女の誕生を喜んでいる中、レイドだけは警戒を緩めない。
元々用心深いタイプではあったが、彼がここまで敏感になっているのはある理由が存在した。
(チェリシアに危険が及ぶ前に、対処しないとな……)
――全て、彼の大切な婚約者のためだった。
「チェリシア……」
レイドが最後に見た彼女の姿が浮かんだ。
自身がプレゼントしたネックレスをキラキラした目で眺めるその姿は、何とも愛らしい。
『婚約はどうせ破棄するんだから……』
彼女が部屋で言っていたその言葉を、レイドは聞き逃さなかった。
彼はクックッと面白そうに笑い出した。
――婚約破棄なんて、誰がするか。
俺は、お前を絶対に離しはしない。
レイドは無意識に浮かんだ笑みを隠すように、口元を手で覆った。




