47 不吉な予感
チェリシアがレイドと合流した頃、マリーナは浮かない顔で部屋にこもっていた。
今日は異母姉であるチェリシアの婚約式だ。しかも相手はただの貴族令息ではない、第二皇子殿下である。
家が皇族と縁を結ぶことができるのは、貴族たちにとって非常に喜ばしいことだった。
もちろん、父であるロクサーヌ公爵も同じ気持ちだった。
しかし、何故かマリーナだけは自室にこもり、塞ぎ込んでいた。
いつまでも部屋から出てこない彼女に、公爵が扉をノックした。
「マリーナ、いつまでそこにいるんだ。いい加減に出てこないか。準備がまだ終わっていないのか?」
「……」
父親相手に、マリーナは返事をしなかった。
公爵は困ったような顔で、後ろにいた妻に助けを求めた。
「レイチェル、お前からも言ってやってくれないか」
「ええ……そうですね。マリーナ、出ていらっしゃい。今日はお姉様の大切な日なんだから、あなたが出席しなくてどうするのよ」
部屋の中から、マリーナの声は聞こえてこない。
両親の呼びかけを無視するのは初めてだった。
マリーナは冷遇されてきたチェリシアと違い、両親の愛を一身に受けて育ってきた。
甘やかされ続けた彼女が、我儘な性格になってしまうのは仕方のないことだった。
公爵も自分の教育が間違っていたという自覚があるのか、マリーナをあまり叱れなかったのだ。
「仕方ない、マリーナは置いて行くか」
「ちょ、ちょっと待ってください旦那様。マリーナは必ず出てきます。もう少しだけ待っていただけませんか」
「もう十分待った。婚約式に遅れて恥を晒すよりかは、体調不良で欠席する方が世間体も良いだろう」
「で、ですが……!」
公爵夫妻が言い争いを始めたそのとき、長く閉ざされていた部屋の扉がギイッと音を立てて開いた。
「――お父様、お母様。お待たせしちゃってごめんなさい」
「マリーナ……!」
部屋の中から姿を現したマリーナは、華やかに着飾り、いつもと変わらず美しく微笑んでいた。
「髪の毛をセットしていたら予期せぬハプニングが発生しちゃって、遅くなっちゃったの」
「何だ、準備をしていたのか」
「ほら、やっぱり!マリーナは姉の婚約式をドタキャンするような子ではないのですよ!」
義母は喜びの声を上げながら、マリーナの肩に手を置いた。
いつもと様子の違う両親に、彼女はきょとんと首をかしげた。
「ドタキャン?何のことですか?」
「旦那様ったら、あなたがチェリシアの婚約式に出ないと思っていたそうよ」
「私がお姉様の婚約式に出席しないですって?そんなのありえません」
マリーナは父親に向かってキッパリと言い放った。
「今日はお姉様の晴れ舞台も同然です。参加しないだなんて選択肢は最初からありませんでした。何より、一度出席すると言った会を気分で行かないことにするだなんて……」
彼女は頬を膨らませて公爵を見上げた。
「お父様は私が、そんなに無責任な娘だと思っていたんですか?」
「い、いやそういうわけでは……」
マリーナの性格を考えればドタキャンは十分にあり得ることだったが、どうやらそんなつもりは無かったようだ。
公爵は大人になったな、と愛娘の成長を喜んだ。
義母はマリーナの肩を軽く押し、公爵の手を引いた。
「さぁ、旦那様、マリーナも。行きましょう、婚約式が始まってしまいますわ」
「ああ、そうだな」
公爵と義母、そしてマリーナの三人は準備を終え、エントランスへ降りた。
主役であるチェリシアは、先にレイドと共に会場へと向かっている。
三人もそろそろ会場へ行かなければならない時間だった。
馬車に乗り込むと、義母は正面に座るマリーナに話しかけた。
「あの子が皇子殿下と結婚するだなんてね……想像もしていませんでしたわ」
「そうだな、レイド殿下の評判は多少気になるが……まぁ、結婚相手としては申し分ないだろう」
「……ええ、そうですね」
公爵がチェリシアを気にかけていることが不快なのか、義母は一瞬だけ眉をひそめた。
彼女にとって前妻は公爵を巡っての恋敵であり、その娘であるチェリシアも仇同然だった。
しかし、結局は愛人であった彼女の勝利という形で決着はついている。
前妻は死に、公爵は死後一ヵ月で彼女を本妻に迎え入れた。
――あの女の娘なんて気にかける必要はない、あなたはただマリーナだけを可愛がればいいのよ。
義母は隣に座る公爵を眺めながら心の中で呟いた。
彼女は幼い頃から、公爵がチェリシアに関心を寄せないようにあらゆる手を尽くしていた。
あの子はどうしようもない子で苦労しているのだ、とアピールすると、彼はチェリシアから距離を置くようになった。全てが、彼女の作戦通りだった。
「マリーナ、あなたも今日しっかりとお姉様の姿を見ておきなさい。近いうちにあなたもルバーニ公子とすることなのよ」
「……」
マリーナは何かを考え込んでいるようで、母親の呼びかけにも反応せず、肘をついてじっと窓の外を眺めていた。
「マリーナ?」
「……お母様、どうかしたの?」
再び声をかけると、ようやく彼女の方を振り向いた。
「今日の婚約式、あなたも近いうちにルバーニ公子とすることだからきちんと見ておくようにと言ったのよ」
「……」
その言葉に、マリーナの顔がしわくちゃに歪んだ。
彼女はつい数日前、アイザックから婚約解消を言い渡されていたことを両親に伝えていなかった。
「……ええ、そうね。私もその日がとっても楽しみだわ」
「でしょう?どうせなら、婚約式はお姉様よりも豪華に行いましょう」
娘が喜ぶと思って言ったことだったが、マリーナは意外な反応を示した。
「……でもね、私にとっては今日の方がとっても楽しみよ」
「……マリーナ?」
そこで彼女はニコッと笑みを浮かべた。
「だって今日は尊敬するお姉様の晴れ舞台だもの。お父様とお母様は知らないでしょうけど……私、この日をずっと待ち望んでいたのよ」
「何だ、そうだったのか?」
「まぁ、何て姉思いの素敵な子なのかしら」
両親は安心したように顔を見合わせて笑った。
彼らが目を離したほんの一瞬、マリーナの瞳が鋭く眼光を放った。
「――えぇ、本当にとっても、楽しみだわ……」
意味深に囁かれたその言葉は、姉を思う妹の発言として何の違和感も無く回収されていった。




