42 悪役皇子が拗ねているのですが?
アイザックの元を立ち去ったチェリシアとレイドは、一度彼女の部屋へ戻った。
未婚の男女が密室で二人きりになるのは良いことではないが、レイドはいちいちそんなこと気にしてなどいない。
彼がそんなだから、チェリシアも深く考えることは無かった。
彼女は誰かが入ってこれないように部屋の鍵を閉めると、ソファに足を組んで座るレイドに尋ねた。
「殿下、どうして急にこちらへ?」
「それより俺に言うことはないのか?」
チェリシアはきょとんと首をかしげた。
何だかさっきからレイドが不機嫌そうだ。
(私、何か彼の気に障るようなことをしたかしら?)
いつまで経っても答えに辿り着けないチェリシアに痺れを切らしたのか、彼がムスッとした顔で口を開いた。
「アイツ、何のつもりなんだ?」
「アイツ……って、ルバーニ公子のことですか?」
「他に誰がいるんだ?」
なるほど、それでご機嫌斜めだったのか。
チェリシアはようやく彼がぶすっとしている理由を把握した。
(自分の物に手出されたのが気に食わないのかしらね……)
チェリシアは彼を落ち着かせるために、肩をポンポンと叩いた。
「まあまあ落ち着いてください、殿下。別に何かされたわけでもないんだし、そうカッカッしないで……」
「――お前は何故そんなに平然としていられる?」
そう言いながら、レイドが自身の肩を叩いていたチェリシアの手首を掴んだ。
驚く隙も無く、チェリシアは彼にグイッと引き寄せられた。
「で、殿下……!」
彼のすぐ傍に倒れ込んだチェリシアが顔を上げると、レイドの整った顔がこちらを見下ろしていた。
「わ、わぁ……」
いつ見てもとても綺麗だ。
チェリシアは思わず見惚れてしまっていた。
「アイツ、アイザック・ルバーニって言ったっけ?」
「殿下ったら、さっき挨拶されたばっかりなのに忘れたんですか?」
レイドは相変わらず他人に異常なほど興味が無かった。
公爵家の令息の名前くらい、皇族であれば覚えているのが普通だというのに。
(勉強はできるけど人の名前は全く覚えられないって珍しいわね……)
興味関心があること以外にはやる気が出ないタイプなのだろうか。
「お前、アイツと仲良いのか?」
「え、いえ……マリーナの婚約者としてここへ来たときに一度会っただけですよ。それ以外は全く話していません」
マリーナの婚約者となる前も、アイザックとは話したことが無かった。
特別仲が良いというわけでもない。
(あのとき、彼はどうしてあんな目をしたのかしら……)
こちらを見つめる熱っぽい視線。それだけではない。
頬に触れた彼の手の感触まで。今になって鮮明に頭に蘇ってくる。
そのことを考えると、チェリシアの顔が赤くなった。
それと同時に、レイドの眉間のシワがより一層深くなった。
「アイツ、調子に乗りやがって……」
「で、殿下?」
何か嫌な予感がする。
レイドがとんでもないことを言うような気が……。
「殺すか」
「や、やめてください!!!」
チェリシアは大慌てで彼の腕を掴んだ。
今にもアイザックを殺ってしまいそうな勢いだ。
(そんな小さなことでアイザックを殺したら、本物の暴君になっちゃう!)
それだけは何としてでも阻止しなければ。
いくら婚約を破棄する仲とはいえ、暴君の独裁政権下で暮らすなんて御免だ。
「そ、そんなくだらないことで殺すだなんて……冗談言わないでください……」
「冗談?俺が冗談なんか言うとでも?」
チェリシアは冗談でしょう、と思いながら彼の目を見て早速後悔した。
目が、狂気に染まってる!一発でわかる、危ない人だってこと!
「殿下、ルバーニ公子は公爵家の令息です。彼を殺したらルバーニ公爵が黙っていませんよ」
「死体を遺棄して失踪ってことにすればいい。その手のプロを山ほど知っているからな」
「こ、公子はロクサーヌ公爵が溺愛するマリーナの未来の夫です!彼を殺してしまえばロクサーヌ家も黙っていません!」
チェリシアは勇気を振り絞って声を張り上げた。
ここで私がやらなければ、一人の尊い命が失われる。
「いくら殿下とはいえ、一度に二つの公爵家を相手にするのは分が悪いのでは!?」
「……」
その言葉で、ようやく彼は正気を取り戻したようだった。
狂気じみた瞳が徐々に戻っていく。
「……その通りだな。まだ皇位を手に入れられたわけでもないし、あまり目立ったことはしないほうがいいか」
「そ、そうですよ殿下……ルバーニ公子も二度と愚かな真似はしないはずです」
どうして私がアイザックのフォローをしているんだ。
「どうだかな……アイツは一度ああいう風に言われたくらいじゃ諦めなさそうな性格だけど……」
「そ、そんなことはありませんよ!彼はマリーナの婚約者なのですから!」
今はまだお互いのことをよく知らないというだけで、きっと彼も話しているうちに彼女のことを好きになるだろう。
マリーナは性格は難アリだが、見た目だけなら社交界の華とまで言われるほどの美しさだ。
彼女に求婚し、振られてしまった男性は数多く存在する。
そのためアイザックは今、社交界にいる男性たちの羨望を集めている状況だった。
「で、殿下!ルバーニ公子のことはもうよろしいではありませんか!私に用があったから、こちらへいらしたんでしょう?」
「ああ、そうだな……すっかり忘れていた」
何とかレイドの関心をアイザックから逸らすことに成功したチェリシアは、心の中で歓喜した。
アイザックが命拾いしたのは、彼女の努力の成果である。
「今日はどうしてこちらへ?」
「お前に言いたいことがあってな」
レイドは落ち着きを取り戻した顔で、横に座るチェリシアを見下ろした。
「――俺たちの婚約式の日取りが決まったから、お前に伝えるために来たんだ」




