36 大切な人
勢いよく彼の部屋の扉を開けて中に入ったチェリシアに、ラリサは驚きを隠せなかった。
貴族令嬢がこのような行動を取るのは異常だった。特に、チェリシアのような高位貴族ならなおさら。
チェリシアは寝ているレイドの頭を持ち上げ、口にアンリーシェの薬を流し込んだ。
「飲み込んで!」
「令嬢、それが例の聖女様の……」
紆余曲折の末、レイドはゴクッと薬を飲み込んだ。
その瞬間、彼の表情は安定し、顔色も徐々に元通りになっていた。
その姿を確認したチェリシアは安堵の息を吐いた。
「何とかなったようね……」
「令嬢……ありがとうございます……」
その言葉に、チェリシアはラリサの方を振り返った。
「それは一体、何に対するお礼ですか?」
「……殿下を、助けてくださったことです……私にこのようなことを言う資格はありませんが……」
ラリサは真剣な顔つきで、彼女と正面から目を合わせた。
「――私は、レイド殿下のことを実の息子のように大切に思っております」
「……」
一点も曇りも無い澄んだ瞳。揺るぎない眼差し。
どうやらその言葉は嘘ではないようだ。
「……それはよかったです、レイド殿下もラリサさんのことをとっても大切に思っているようでしたから」
「レイド殿下が、私のことを……?」
もしや、ラリサは気付いていなかったのか。
レイドの自分とそれ以外の人間に対する態度が明らかに違うということに。
ラリサは嬉しそうに一瞬だけ微笑んだ後、小声でボソリと囁くように言った。
「……それは令嬢にも言えることですよ」
「……どういう意味ですか?」
「いえ、何でもありません。こう見えてもレイド殿下のことは誰よりもよく見てきています。彼のことは何でも知っていますよ」
レイドの無事を確認したことで安心したのか、ラリサはへたり込むように椅子に座った。
「息子と変わらないほどに大切なレイド殿下が、皇帝陛下や皇后陛下から虐待されているところを見るのはとても辛かったです。いつも呼び出されるたびに服をボロボロにして帰ってくるのですから。私は彼のために何かしてあげたいと思っていましたが、皇帝陛下と皇后陛下相手に何もできませんでした」
「ラリサさん……」
ラリサはそのことに罪の意識を感じているようだったが、仕方のないことだった。
皇宮のただの侍女である彼女が、この国で最も権力を持つ二人を相手にするなど死にに行くようなものだ。
「ステイン殿下がご成長されてからは余計に酷くなりましたね……レイド殿下はとても優秀な皇子様ですから、妬みを買ってしまうことも多く……」
「醜いですよね、そういうの。人が優秀だからって妬むだなんて」
前世でチェリシアが暮らしていた場所では、身分制度なんてものはなかった。血筋で優劣を決めるようなことも当然ない。
だからこそ、余計にレイドが置かれた状況には腹が立った。
「レイド殿下は……ずっとそのような環境で生きてこられたわけですよね」
「ええ、そうです。世間から見ればステイン殿下は品行方正な皇子殿下ですが……」
その先の言葉は、聞かずとも想像が付いた。
チェリシアはレイドのことを何も知らなかった。
彼がどれだけ悲惨な幼少期を過ごしていたか、他人事で原作を読んでいた当時は気にも留めなかった。
ただレイドという悪役がいて、ヒーローとヒロインを貶めようとした罪で処刑された。
彼の死に人々は歓喜し、悪役を倒した二人は真実の愛で結ばれた。
(あの頃はただの一読者として見ていたから……どこも変に感じなかった)
悪役皇子レイドの処刑は本当に正しいことだったのか。
当時の彼の心境を考えると、チェリシアの目から自然と涙が零れた。
「れ、令嬢……?どうなさったのですか……!?」
「……何だか、とっても悲しいんです」
メイクが落ちるのも気にも留めず、チェリシアはわんわんと子供のように泣き続けた。
「令嬢、落ち着いてください……」
「落ち着いてなんていられません!あまりにもレイド殿下が不憫で……どうしてみんなしてそんなにも彼に残忍に振舞うのですか!」
「……」
やり場のない怒りを抱えて泣き喚くチェリシアをしばらくじっと見ていたラリサは、フッと微笑んだ。
「――レイド殿下のために涙を流された方は、ロクサーヌ令嬢が初めてです」
「……そう、だったんですか」
ラリサは真っ白なハンカチをチェリシアに差し出した。
受け取った彼女は、そっと目元を拭いた。
「サイコパスだけど……根っからの悪人ではありません。前にも助けられたことがありました」
「あら、そうだったんですね。殿下がそこまで誰かを気にかけるのは珍しい……いえ、今のは聞かなかったことにしてください」
ラリサは失言をしたかのように口元を手で押さえた。
「あとのことは私がやっておきますから、令嬢は休まれてはいかがですか?レイド殿下も……顔色が元通りになってきています」
「……」
その言葉でチェリシアは横たわるレイドに視線を落とした。
たしかに最初よりもだいぶすっきりした顔になっていた。ラリサの言う通り、これ以上容態が悪化する心配はないだろう。しかし、チェリシアは大人しく帰るつもりはなかった。
(レイドが目覚めるまでは、ここにいるわ)
彼が回復するのを見届けるまで、家には絶対に帰らない。
「……いえ、私がやり始めたことですから。私が最後までレイド殿下の看病をします」
「ほ、本気ですか……?」
反対するラリサを、チェリシアは半ば強引に部屋から追い出した。
彼の部屋で、彼女はすぐ傍に置かれていた椅子に座った。彼を看病するために、チェリシアが持ってきたものだった。
「早く元気になって、またいつもみたいに無茶言って困らせてくださいよ」
「……」
当然、返事はない。彼は長い苦しみの末にようやくぐっすり眠れたのだから、今は変に喋りかけて起こさない方がいいだろう。
そう考えたチェリシアは、眠る彼の顔をじっと見つめ続けた。
そんなこんなで三十分、一時間と時間は過ぎて行った。彫刻のように美しい彼の顔だが、何時間もずっと見続けているとさすがに飽きる。
夜が過ぎていくごとに、猛烈な眠気が彼女を襲うようになった。
「何だか眠いな……」
襲い掛かる睡魔に打ち勝つことができなかったチェリシアは、レイドのベッドサイドでそのまま眠りに就いてしまった――




