33 レイドの壮絶な過去
チェリシアはベッドに横たわるレイドをチラリと見た。
良かった、彼は寝ていて今の会話を耳に入れていないようだ。
このような発言がレイドの耳に入ったら……と思うとゾッとした。
彼を恐れているからではない。彼が傷付くことを恐れているのだ。
「理解できません。どうしてそんなにも残酷なことを……それも殿下の前で言えるのですか」
「どうせ寝ていて聞いていないでしょう。それに私は、ずっと昔から思っていたことを口にしただけですよ」
責めるようなチェリシアを前に、ラリサは平然と言ってのけた。
(……この人は一体、誰なの?)
目の前にいるラリサが、ラリサではないようだった。
最初に出会った彼女と同一人物とは思えないほどだ。
チェリシアの知る彼女は、いつだってレイドのことを一番に考えていた。
ラリサはレイドの命の恩人であり、母親でもあった。
二十年前、皇帝の剣から彼を救ったのは間違いなく、ラリサだったわけで。
原作でも乳母ラリサがどれだけレイドを大切にしていたかはしっかりと描かれていた。
「……先ほどの発言の真意をお伺いしても?」
「ええ、良いでしょう。あまり他人に言うようなことではありませんが……ロクサーヌ令嬢は殿下の婚約者となる方ですから、知っておくのも悪くないかもしれませんね」
「知っておく?何をですか?」
そう尋ねたチェリシアに、ラリサは顔をグッと近付けた。
「――殿下の壮絶な過去、心の闇をです」
「……!」
ラリサの放った一語一語が、チェリシアの心に重くのしかかった。
レイドがどれだけ悲惨な過去を背負っているか。漫画では脇役に過ぎない彼の過去はチラッとしか描かれなかった。
一部を聞いただけでもあまりにも辛いその内容。
「覚悟して聞いてください。あまりにも悲惨で、目を背けたくなるでしょうから」
「……」
チェリシアは聞きたくないという気持ちを抑え込み、ラリサの言葉を待った。
そんな彼女の決意を感じ取ったのか、ラリサは口を開いた。
「まず、殿下が生まれる前……母親のお腹の中にいたときのことからお話しましょう」
「母親……」
レイドの母親――酔った皇帝に手を出されて妊娠した侍女。
彼女のことは原作内でもほとんど書かれておらず、シルエットがチラリと登場しただけだった。
「レイド殿下の母君は、皇宮で侍女をしていたのですが……私の直属の後輩でした。二十年以上も前のことですが、穏やかで家庭的な女性だったことをよく覚えています」
「後輩……そうだったのですね……」
やはり、ラリサが皇命に背いてまでレイドを庇ったのには理由があったようだ。
ステインの元婚約者アルセリアの件に続き、原作で描かれなかったことばかりで困惑してしまう自分がいる。
しかし、この世界に転生した以上、それらを全て受け入れなければならない。
「彼女は平民ではありましたが、とても美しい容姿をしていました。そうですね、ちょうど今のレイド殿下によく似ています」
ラリサはベッドで眠るレイドをチラリと見た。
目を閉じていてもなお、彼はとても美しかった。
そんなレイドとそっくりなら、本当に綺麗な人だったのだろう。
「彼女は当時まだ二十代前半で、田舎から出てきたばかりの若者でした。いつも煌びやかな皇宮を見ては目を輝かせていましたよ」
レイドの母親は、都会に憧れる田舎出身の若者だった。
前世、地方で暮らしていたチェリシアにはその気持ちが何となく理解できた。
「――そんな中で、事件は起きてしまいました」
侍女として勤務していたある日のこと。
人目を引く容姿をしていた彼女は酒に酔った皇帝の目に留まり、一夜を共にしたのだ。
彼にとってはただの遊びに過ぎなかった。しかし、生まれてこの方男性経験の無い彼女は違った。
天下の皇帝陛下と夜を過ごしたレイドの母親は、皇帝に見初められたのだと浮かれた。
皇帝の寵妃になれるのだと、期待に胸を膨らませた。
しかし、翌朝になると皇帝は彼女を覚えていなかった。
そのことにショックを受けたレイドの母は、心を病んだ。
仕事ができなくなるほどに憔悴していたが、彼女にはどうすることもできなかった。
「当時、私だけがそのことを知っていました。もちろん、誰にも言うことはできませんでした。相手はこの国の最高権力者でしたから」
ただ一夜を共にしただけのこと。女遊びくらい、どこの貴族もしていることだ。周囲の人間は彼女に同情するどころか、むしろ嘲笑した。
全てが一変したのは、二人が夜を共にしてから一ヵ月が経った頃だった。
――彼女は、皇帝とのたった一回の行為の末に子を身籠った。
「彼女が妊娠したことを知ったとき、陛下は焦ったそうです。記憶にない、知らない女が自分の子を身籠っているというのですから当然でしょう」
「何てこと……」
チェリシアは言葉が出なかった。
レイドが祝福されなかった皇子だということは知っていたが、経緯までは詳しく知らなかった。
「誰からも祝われないまま、彼女は殿下を出産しました。妊娠中、心がすり減っていた彼女は殿下を皇宮で育てていく自信がなかったのでしょう――赤子の殿下を置いて、宮殿を出て行きました」
「そんな……」
「その後、レイド殿下は何とか生きることを許されましたが……その暮らしは悲惨なものでした」
レイドは皇帝、皇后からあらゆる罵声と暴力を浴びせられた。
廊下を歩いているだけで血が出るまで殴られ、声を出しただけで激しいむち打ちを受けた。
まるで存在そのものが罪だとでもいうかのように、周囲の大人たちは彼を虐待し続けた。
「幼少期のレイド殿下は今にも死んでしまいそうでした。しかし、彼は生きることを諦めなかった。それは、ある目標があったからです」
「目標……?」
レイドのことだから皇帝の座でも狙っていたのか。
しかし、ラリサの口から飛び出したのは予想外のことだった。
「――殿下は幼い頃、自分を捨てて出て行った母親を探していたのです」
レイドは自分を捨てた母親を恨むどころか、彼女に会いたいと願っていたのだ。
顔も見たことがない母だったが、やはり子にとって大切な存在であることに変わりはない。
「レイド殿下が十歳くらいの頃でしょうか。努力の甲斐あり、とうとう母を見つけることができたのです」
「なら、彼は……!」
そこまで言いかけて、チェリシアはハッとなった。
良い出来事のはずなのに、ラリサの表情が暗いままだったからだ。
(……何だかとても嫌な予感がする)
そんな彼女の予感は、見事的中してしまう。
ラリサは固まったチェリシアに冷たい笑みを漏らしたあと、平坦な声で言葉を紡いだ。
「――殿下の母君は、別の男性と結婚して新たに生まれた子供と幸せな家庭を築いていました」




