31 父親の変化
父親はゆっくりとこちらへ歩み寄った。
今回の一件の詳細は聞いているはずだ。
何を言われるのか、もしかしたら情けないと叱責されてしまうかもしれない。
(……帰ってきて早々、お父様に会うなんてツイてないわ)
せっかく回復したというのに、何だか気が重くなってしまった。
母を裏切り、逝去後一ヵ月で愛人と再婚した父。
もし父親があのとき母の傍にいたら、何かが変わっていたのではないか。
少なくとも、本物のチェリシアがあのような思いをすることはなかったのではないだろうか。
そう思えてならなかった。
全ての不幸は、父親の裏切りから始まったと言っても過言ではなかった。
「怪我をしたと聞いたが、体は平気なのか?」
「ええ、殿下のおかげで良くなりました」
チェリシアはいつもと変わらない様子で答えた。
「そうか、それはよかった」
「……」
よかったと表では言っているものの、本心では何を思っているかわからない。
父は昔から冷たい人だった。社交界の華として貴族社会で幅を利かせるマリーナと違って、何の役にも立たないチェリシアを疎ましく思っていた。
「全快したとはいえ、まだ無理をしてはいけない。しばらくは安静にしていろ」
「……ええ、そうさせていただきます」
チェリシアの目が、急速に冷たくなっていった。
(……散々冷遇してきたくせに、死にそうになったら優しくするだなんて)
娘であるにもかかわらず、マリーナのように愛してやれなかったことへの罪悪感が今になって出てきたのか。
それとも、高潔な血を持つたった一人の娘を失うのが惜しくなったのか。
そのどちらも、チェリシアにとっては最低最悪な理由だった。
何より、あなたにそんなことを言われたところで全く嬉しくない。
原作のチェリシアを見捨てたくせに、今さら父親面などしないでほしいものだ。
「……疲れているので、部屋に戻りますね。お父様もお仕事の途中だったのでしょう」
「あ、あぁ……そうだな。今日の夕食は出席できそうか?」
「いえ、しばらくはできなさそうです。お義母様やマリーナの前でみっともない姿を見せたくはないので、遠慮させていただきますわ」
「そ、そうか……」
チェリシアはそのまま部屋へ戻った。
十日ぶりに帰ってきた公爵邸の自室。第二皇子宮で過ごしていた部屋とはまるで違う、狭くて殺風景な部屋。
「第二皇子宮の方が、気楽だったな……」
あそこには少なくとも、チェリシアを虐めるような人はいなかった。
おかげで彼女は十日間、快適に過ごすことができた。
(まぁ、これも婚約を破棄するまでの辛抱……)
そのときが来れば、全てが終わるのだ。
地獄のような公爵邸での暮らしも、レイドとの関係も。
***
「……………暇すぎるわ」
夜の七時、チェリシアは部屋で一人呟いた。
しばらく家族での夕食には出席しないことを決めたはいいものの、そのせいでかなり暇を持て余していた。
チェリシアはテーブルの上に置かれた空っぽの皿を見下ろした。
ついさっき侍女が運んできてくれた彼女の分の食事だ。
誰とも顔を合わせずに黙々と食べていると、十分もせずに終わってしまう。
お腹が空いていたのもあって、チェリシアはかなりのスピードで食べ終えてしまった。
療養期間中であるため、特に任された仕事もない。
「そういえば、あの魔石……」
チェリシアは机の引き出しから、ルビーのように光り輝く石を取り出した。
サイズは彼女の手の平に乗るくらいの小さな石だ。
「わぁ、いつ見てもキラキラしてて綺麗ね……」
レイドの美しい瞳の色にそっくりだった。
そのようになったのは偶然ではなく、この石に彼の魔力が込められているからなのだという。
チェリシアはレイドとの婚約が内定した際、この魔石を彼から渡された。
この石を使えば、いつでも皇宮へ瞬時に移動することができるのだという。
いわゆる、転移魔法のようなものだ。とはいえ、一流の魔法使いのようにどこへでも行けるわけではなく、レイドの住む第二皇子宮限定ではあるが。
魔石をしばらくじっと見つめたチェリシアは、あることを思い付いた。
(そうだ、どうせ暇だし……試しに第二皇子宮へ行ってみようかな?)
魔石を使うなんて初めてのことだったが、どうにかなるだろう。
物は試し、やってみよう!
そんなノリと勢いで、チェリシアは魔石を発動させた。
その瞬間、彼女の周囲がピカッと眩い光を放ち、光が消失した頃にはその姿は跡形もなく消えていた。
「……」
ゆっくりと目を開けると、見慣れた宮殿が視界に広がった。
「わぁ、本当に第二皇子宮に来ちゃった!」
驚くことに、チェリシアは魔石の力を使って瞬間的にレイドの宮へ転移したのだ。
時間で言えば僅か一秒ほどだろうか。
(こんな便利なもの、前世でも欲しかったな~)
出勤に片道一時間近くかけていたチェリシアにとっては喉から手が出るほどに欲しいアイテムだ。
転移に成功した彼女は、宮殿内の廊下を歩いた。
「レイドはどこにいるんだろう?」
まだ七時だし、やっぱり仕事をしているんだろうか。
そう思いながらも彼女は歩き続けた。レイドの宮殿は彼と乳母のラリサ以外は誰もいない。
大きな宮殿に二人しか住んでいないせいか、静寂が辺りを包み込んでいる。
人が住んでいるとは思えない場所だった。
しばらく歩くと、チェリシアは廊下の隅に見覚えのある後ろ姿を発見した。
「――殿下!」
壁に手を付いていたのは、まさに探し求めていたレイドだった。
チェリシアはすぐさま彼の元へ駆けて行った。
「殿下!殿下に頂いた魔石を使ってここへ来たんですけど……って、殿下?」
「……」
彼女の気配に気付いたのか、レイドがこちらを振り返った。
振り向いた彼の顔は真っ青で、額から大量の汗を流していた。
そして、壁から手が離れると、床に倒れ込んだ。
「で、殿下!」
チェリシアは慌てて、倒れた彼の体を受け止めた――




