29 休息
夕方になり、レイドが宮殿に戻ってきた。
「ロクサーヌ令嬢」
「殿下……」
彼はチェリシアの部屋に入ると、彼女の使っていたベッドの横にあった椅子に腰を下ろした。
彼の頭には包帯が巻かれており、チェリシアを救出する際に怪我を負ったのだということが見て取れた。
そんな彼の姿に、彼女の胸は痛んだ。
「体はもう平気なのか?」
「お医者様はまだ安静にしているようにと言ったんですが……もう動けます」
「そうか、それはよかった。しかし、医者がそう言うならまだ無理をしてはいけない」
優しさを見せる彼に、チェリシアは困惑を隠せなかった。
(私が死にかけたから、同情しているのかな?)
むしろそう考えた方が自然なくらいだ。
「殿下が私を助けてくださったと聞きました。ありがとうございます」
「ああ」
レイドは素っ気なく返事をした。
いつもと変わらない、冷静な瞳。
やっぱりあのとき見た慌てふためくレイドは幻覚だったのだろうか。
「ロクサーヌ令嬢、回復するまでここに泊まっていけ」
「レ、レイド殿下の宮にですか?そうするわけにはいきません。家族たちが何て言うか……」
「ロクサーヌ家には事前に連絡を入れておいたから心配するな」
いつの間に、とチェリシアは呆気にとられた。
「問題なんて無いだろう?――俺たちは、婚約者なんだから」
そう言いながらレイドは口元に薄っすらと笑みを浮かべた。
毎回思うが、どうしてそんなにも私の心を乱すような行動をするのか。
チェリシアはぷいっとレイドから顔を背けた。
「なら、お言葉に甘えさせていただきます。ところで殿下は……」
彼女はそこで、レイドの額に巻かれた包帯に視線を移した。
チェリシアも瀕死の状態だったが、レイドもなかなかの重傷だ。
それもずっと寝ていたチェリシアと違って、翌日から仕事に復帰したとラリサから聞いた。
彼の人間離れした体力は常軌を逸していた。
「私を助けるために……すみません」
「こんなもの大したことはない、俺は普通の人間よりも頑丈だから」
彼はキッパリとそう言い切ったが、チェリシアの心配は尽きなかった。
彼女はベッドの上からレイドに尋ねた。
「殿下は……今日はもうお休みになられますか?」
「……いや、まだ書類作業が残っている。それが終わるまでは寝られないな」
彼がこなしている仕事の量は、皇帝でもない、一介の皇子の仕事量にしては明らかに異常だった。
いや、皇帝陛下ですらここまで多忙ではないだろう。
「殿下、殿下の体が心配です」
「人のこと心配してないで、自分の心配をしろ」
最近寝れていないのか、彼の目にはクマができていた。
あまり調子が良くなさそうだ。
無事を確認し、さっさと部屋を出ていこうとするレイドを、チェリシアは引き留めた。
「殿下、たまにくらい休むことも大切ですよ。そうでもしないと体が壊れてしまいます!」
自分でも驚いていた。
将来悪役としてヒーローとヒロインの前に君臨するレイドに対して、私は何を言っているの?
「……わからないな」
チェリシアの言葉を聞いた彼がポツリと呟いた。
彼女の方を振り返ると、虚ろな目で口を開いた。
「――俺の人生に休息なんてものはなかった。生まれたときからずっと、な」
「……」
それだけ言うと、今度こそレイドは部屋を出て行った。
チェリシアは引き留めることもできずに、ベッドの上から彼を見送った。
***
夜になると、チェリシアの元に来客が訪れた。
「チェリシアさん!」
「……アンリーシェ嬢?」
部屋の扉からひょこっと顔を覗かせたのは、聖女となり皇宮でステインの共に暮らしているアンリーシェだった。
彼女はバスケットを片手に、部屋の中に入った。
「アンリーシェ嬢……いえ、聖女様。どうしてこちらに?」
「チェリシアさんが瀕死の状態で運ばれてきたと聞いて居ても立ってもいられなくなったんです」
彼女はゆっくりとベッドで休むチェリシアに近付いた。
「聖女様のお手を煩わせるほどのことではございません」
「聖女様だなんて、やめてください。私はそんな大層な身分ではありませんから……」
「いえいえ、アンリーシェ嬢は皇帝陛下から認められた聖女様ですから」
アンリーシェは恐縮していたが、聖女認定式を終えた彼女は間違いなくこのベレニウム帝国の聖女なのだ。
ベレニウム帝国において聖女とは、皇族に次ぐ地位に位置している。
そのため、公爵令嬢であるチェリシアよりも平民出身の聖女であるアンリーシェの方が身分は上なのだ。
(私は何とも思わないけれど、一部の貴族の間ではやはり平民を聖女とすることに反対の声が上がっているようね)
突然平民が自分たちよりも上の立場になったのだから、気に入らないと思うのも当然かもしれない。
アンリーシェは手に持っていたバスケットの中から、ある物を取り出した。
「チェリシアさん、今日はよく効く薬を持ってきたんです。これを飲めばきっと、すぐに良くなりますよ」
「本当ですか?ありがとうございます」
チェリシアはアンリーシェの手から粉状の薬を受け取った。
「数十年に一度しか採れないカシの葉を原料としているんです。どんな病気にも効くので、きっと効果はてきめんですよ」
「わぁ、そんなに貴重なものを……さすがは聖女様ですね」
チェリシアは嬉しそうにアンリーシェからの贈り物を眺めた。
やっぱりヒロインとは本来こうあるものなのだろう。
誰にでも優しく、健気で尊いアンリーシェ!
もはや彼女の推しと化してしまったチェリシアに、アンリーシェが尋ねた。
「ところで、レイド殿下と親しくなさっているというのは本当ですか?」
「ええ、レイド殿下とは親しくさせていただいています」
「あら、まぁ……」
チェリシアの返事に、アンリーシェは何か思うところがあるかのように視線を下げた。
(……一体どうしたのかしら?)
疑問に思ったチェリシアが、アンリーシェに尋ねた。
「どうかしたんですか?」
「いえ……ただ……」
アンリーシェは周囲に人の気配が無いことを確認すると、チェリシアにそっと顔を近付けて囁いた。
「――チェリシアさん、レイド殿下とは関わらない方が良いと思うんです」




