26 絶体絶命チェリシア
その頃、ちょうどチェリシアは捕らえられてから三時間が経過していた。
三時間何も口にせず、両手足を縛られたまま床に転がっていた彼女は憔悴していた。
どれだけ待ち続けても誰もやってこない。
チェリシアは監禁されている間、何度か扉の方を見つめたが、固く閉ざされたそれが開くことはなかった。
(お父様とお義母様……心配してるかな……いや、してるわけないか……)
今回の一件はマリーナの仕業だし、出来損ないの娘一人いなくなったところで彼らは気にも留めないだろう。
元々義母は実の子供でもないのだし。
いや、もしかすると彼らも共犯なのかも。
チェリシアは積み重なる疲労感の中で、疑心暗鬼に陥っていた。
(ここから抜け出さないといけないっていうのに……何だか力が出ない……)
何度も叫び続け、体を動かし続けているうちにチェリシアは力尽きてしまった。
もうこれ以上、助けを呼ぶことはできないし、自力で抜け出すこともできなかった。
彼女はぐったりと横たわっていた。
そんなとき、チェリシアの脳裏に浮かび上がったのはある人物だった。
(レイド……今何してるんだろうな……)
紆余曲折あって偽装婚約をするまでに至ったレイド。
彼は今どこで何をしているのだろうか。
(レイドが私のことを助けに来てくれるだなんて、そんなことあるわけがないよね……)
彼は乳母や母親を始めとした身近な人たちを皆殺しにしたサイコパスだった。
いくら婚約者とはいえ、まだ出会って間もない彼女を助けるわけがない。
そんなこと、誰から見ても明白だ。
「……外で、変な音が」
その瞬間、彼女は急に現実に引き戻された。
外から妙な音がするのだ。
(誰か、来ているの……?)
複数人がこちらに近付いてくるかのようなその足音に、チェリシアは助けが来たのではないかと思わず体を起こした。
しかし、音は小屋の前で止まり、そのまま聞こえなくなった。
(……私の気のせいかな)
どうやらあまりにも疲れが溜まっていて、幻聴を聞いてしまっていたようだ。
結局、チェリシアの淡い期待は虚しく消えて行った。
と、落胆したそのときだった――
「……何、かしら?」
突然、バチバチとした轟音が耳に入った。
何が起きているのか、チェリシアは全く理解できずにいた。
「……何か、嫌な予感がする」
チェリシアは最後の力を振り絞り、何とか足の縄を解こうとした。
最初はビクともしなかったその縄も、繰り返し力を加えることで緩くなったのか、見事に解けた。
「抜けた!」
彼女は嬉しそうに声を上げると、そのまま扉へ走った。
渾身の力を使い、自由になった足で扉を蹴り破ろうとした。
しかし――
「キャアッ!」
チェリシアは驚いて尻餅をついてしまった。
何が起きたのか、履いていたピンヒールのかかと部分が溶けている。
「ど、どうして……?」
彼女は目を丸くして正面の扉を見上げた。
普通に考えて、靴が溶けるなんてことは日常生活ではありえない。
(そういえば、前世で……)
真夏のある日、外を歩いていたとき靴底が溶けていたことがあったっけ。
熱に弱い素材を使っていた靴を履いていたせいで、アスファルトの高温で溶けてしまったのだ。
そのときと今の状況は、かなり似ている。
「もしかして……」
とても想像したくはなかったが、もうそれ以外には考えられなかった。
彼女は絶望で目の前が真っ暗に染まっていった。
――チェリシアがそのことに気付いた頃には、既に遅かった。
***
「――殿下!急にどちらへ行かれるのですか!?」
「馬車は間違いなくこの方向に向かったんだな!?」
チェリシアが小屋に閉じ込められている頃、レイドは必死の思いで馬を走らせていた。
そのあとをロイがついて行く。
「殿下!お待ちください!」
しかし、猛スピードで森の中を駆け抜けるレイドに到底ついて行くことができなかった。
レイドが何故そこまで焦っているのか、ロイは全く理解できなかった。
いくら婚約者がいなくなったとはいえ、彼女とは目的達成のために手を組んだにすぎないわけで。
皇帝からの呼び出しを放棄してまで追いかけるようなことではないはずだ。
レイドは、ロイに婚約者となるチェリシアの動向を密かに監視させていた。
彼女が怪しい人物ではないかということをチェックするためでもあるが、それ以外にも意味があった。
――レイドはロイに、チェリシアの護衛を命じていたのだ。
『殿下……ロクサーヌ令嬢の護衛ですか?』
『あぁ、そうだ。彼女を危険から守れ』
レイドとチェリシアの婚約が内定したあの日、彼はロイにそう命じた。
彼がここまで一人の人間を気にかけるのは初めてで、ロイは困惑した。
『……殿下、何故ロクサーヌ令嬢を婚約者にしたのですか?』
『前に言わなかったか?気に入ったからだ』
『そんな話を信じるとでも?』
ロイの言葉に、レイドはニヤッと口元に笑みを浮かべた。
『俺が信じられないのか?お前はいつからそんな風に主君を疑うようになったんだ?』
『……殿下、何だか嬉しそうですね』
長い付き合いであるロイですら、彼のそのような表情は久しぶりに見た。
ずっと探し求めていた一級品の魔道具を発見したかのような顔。
その顔を思い浮かべたロイは、自分がどれほど大きな過ちを犯してしまったのかを理解した。
「殿下……お守りできず、申し訳ございません……」
「……」
前を走るレイドの耳には、今はそのようなもの届いてすらいなかった。




