25 血の繋がった他人 レイド視点
一方その頃、ベレニウム帝国の皇宮。
「――レイド殿下、皇帝陛下がお呼びです」
「……父上が?」
第二皇子宮にある執務室で仕事をしていたレイドは、皇帝宮からやって来たメイドの声に顔を上げた。
彼の宮殿には侍女なんていない。唯一いるとすれば、乳母のラリサくらいだ。
レイドは昔から何でも一人でこなすことを好んでいた。
そのため、彼の世話をするメイドはここにはいない。
元より、信用できない人間をわざわざ傍に置くなんて愚かな真似はしない。
なら何故チェリシアのことは傍に置いているのか。
そんな矛盾が頭に浮かんだが、彼は気付いていないフリをして頭からかき消した。
レイドは椅子から立ち上がり、メイドを見下ろした。
「一体何の用だ?」
「それは直接陛下にお尋ねください」
「……」
流石は皇帝に仕えるメイド。俺と目を合わせても微動だにしないとは、肝が据わっているな。
皇帝や皇后、そして第一皇子ステインのメイドたちは昔から彼を敵視していた。
その中でも特にステインのメイドたちの行動は過激だった。
彼が指示したのか、それともメイドが勝手にやったのか、今となっては知る由も無いが。
「……そうだな、そうしよう」
レイドは軽く着替えを済ませると、執務室から外へ出た。
いくら血の繋がった父子とはいえ、皇帝に軽装で会いに行くわけにはいかない。
ステインならまだしも、それはレイドにとって死を意味するようなものだった。
彼は人のいない第二皇子宮を抜けると、皇太子妃の宮殿に差し掛かった。
(……何やら慌ただしいな)
皇太子妃の宮殿では、皇宮の使用人たちが慌ただしく準備を進めていた。
皇太子妃宮は長い間誰にも使われることのなかった宮殿だ。
次期皇帝は確実と言われていたステインはある特殊な事情で皇太子にはなれなかったからだ。
全てを察したレイドは、ニヤリと笑った。
「……そうか」
ステインの婚約が決まったから、アンリーシェを住まわせるための準備をしているのか。
彼は遠くから宮殿の掃除をする侍女たちをじっと眺めた。
(まだ婚約式もしていないのに、勝手な真似を……)
それに必ずしもステインが皇帝になるとは限らないではないか。
予想だにしない何かが起きて、別の誰かがなるという可能性も……。
彼はそんな可能性の低いことを考えながらも、皇太子妃宮を通り過ぎた。
皇太子宮への間の道では真っ赤な薔薇が咲き誇っていた。
(一体誰がこんなもの作ったんだろうな)
そのとき、突然後ろから足音が聞こえた。
常人よりも耳が良く、人の気配に敏感な彼は咄嗟に後ろを振り返った。
「……お前、こんなところで何をしている」
「……第一皇子殿下?」
レイドの背後に立っていたのは、第一皇子ステインだった。
彼の異母兄であり、もうすぐ皇太子となる男。
そして、彼が絶対に相容れない相手でもあった。
レイドは胸に手を置き、帝国の皇子を敬う礼を取った。
「あのパーティー以来ですね、第一皇子殿下」
「……そうだな」
レイドは公の場では変な噂を立てられないよう、ステインを兄上と呼んでいる。
しかし、このように人目が無い場所では第一皇子殿下と呼んでいた。
その呼び方が、二人の間にできた溝を忠実に表していた。
(こんなところでコイツに会ってしまうとはな……)
レイドは心の中でチッと舌打ちをした。
「父上から聞いたんだが……ロクサーヌ家のご令嬢と婚約することにしたのか?」
「ええ、その通りです」
ステインは誰から聞いたのか、既にレイドとチェリシアの婚約話を耳に入れていた。
正式にはまだ婚約していなかったが、いずれは婚約者となる身だった。
「俺が聖女アンリーシェと婚約を結んだからと、焦っているようだな」
「何のことでしょう?」
とぼけるレイドに、ステインは彼を嘲るようにアハハッと声を上げて笑った。
「ロクサーヌ公爵家とは……なかなか良い女を捕まえたな。お前にしては上出来だ」
「……」
ロクサーヌ公爵家は、このベレニウム帝国でも上位に位置するほどの名門だ。
長い歴史を持ち、かなり昔ではあるが皇后を輩出したこともあった。
ステインの新たな婚約者アンリーシェは聖女ではあるが、平民の出身だ。
肩書き以外は何も彼の役に立たない。
(なら大人しくエルンバッハ令嬢と結婚しておけばよかったものを……)
それでもアンリーシェを妻に望んだのはきっと、彼女を心から愛しているからだろう。
そういえば、チェリシアにも似たようなことを言われたな。
愛する人を見つけたらとかどうのこうの。俺もそういう人を見つけたら世界が変わるのだろうか。
いや、こんな風に愚かな男に成り下がるくらいならそんなものいない方がいいな。
「それも社交界の華と呼ばれる次女ではなく、長女の方を選ぶとは。お前が本当に趣味が良いな」
「……チェリシア嬢のことは気に入っているんです。貴族令嬢特有の傲慢さもなく、穏やかな性格をしていますから」
その返答が気に食わなかったのか、ステインは一瞬だけ眉をひそめた。
「嘘をついたところで、バレてるぞ」
「……どういうことですか?」
ステインはレイドにゆっくりと近付き、耳元で囁いた。
「誤魔化さなくていい――あの女、お前にそっくりだもんな」
「……」
ロクサーヌ公爵家の長女に関する噂は、レイドもよく知っていた。
両親から愛されず、放置された子供。
チェリシアの父親であるロクサーヌ公爵は、愛人に入れ込み、本妻を蔑ろにしていた。
本妻の死後、彼はすぐに愛人とその間にできた娘を公爵家に迎え入れた。
たしかにレイドに境遇が似てると言われればよく似ている。
虐待されて育った子供は、当人にしかわからない辛さというものが少なからず存在するのだ。
しかし、だからチェリシアを傍に置いたのかと言われればわからなかった。
「まぁ、下賤なお前と違って血筋はかなり高貴だけど」
「……そういうところも素敵だと思いませんか?」
現公爵夫人が平民であるのに対し、前公爵夫人は同じ公爵家の出身だった。
だいぶ昔に亡くなったため、チェリシアとさほど歳が変わらないレイドは当然会ったことがない。
(母親といえば……)
レイドの脳裏に、一人の美しい女性の顔が浮かんだ。
「ところで顔色があまり良くないな。寝れていないのか?」
「……」
レイドは成人してからというもの、毎日のように皇帝からかなりの量の執務を押し付けられていた。あの男はただ自分が楽をしたいがために、息子に仕事を押し付けるのだ。
そのせいで彼の一日の平均的な睡眠時間は三時間ほどだ。
それに加えて、彼が眠りにつけない理由はもう一つある。
レイドはステインに向けてニッコリと笑った。
「――殿下が夜な夜な暗殺者を送るのをやめていただけたら、私もよく眠れるようになると思います」
「な、何を……!無礼だぞ……!」
ステインが顔を真っ赤にして声を荒らげた。
「殿下、私は今から陛下に会いに行かなければなりません。特別な用がないのであれば、ここで失礼いたします」
「……そういうことは先に言え」
皇帝の名を出されれば、彼も強くは出られない。
レイドは何とかその場を切り抜けて、父親の待つ皇帝宮へと向かった。
ステインがいなくなってすぐ、彼の前にロイが現れた。
「殿下、大変です!」
「……どうした?」
焦ったように肩で息を吐くロイに、レイドは冷静に尋ねた。
どんな任務も難なくこなしてきたこの男が、ここまで慌てているのは珍しい。
「――ロクサーヌ公爵令嬢の姿が見えません!」
「………………………何だと?」
レイドは何故か、不吉な予感がした。




