24 チェリシア・ロクサーヌ誘拐事件
サロンを終えたチェリシアは、馬車で来た道を戻っていた。
茶会が開かれていたのは、主催者である公爵令嬢の邸宅で、ロクサーヌ公爵邸からはかなり離れている。
馬車で一時間ほどかかり、彼女はその間ずっとサロンで話題に上がった彼のことについて考えていた。
(私、本当にレイドと婚約が決まったんだな……)
未だに実感が湧かなかった。
前世、漫画の中から見ているだけだった彼女にとって、レイドはあまりにも雲の上の存在だったからだ。
レイドが恐ろしいという感情が消えたわけではないが、少なくとも彼との関係は良い方向へ進んでいるのではないだろうか。
一歩前進である。
(そういえば、乳母の方も気になるな……)
――乳母のラリサ
両親から見放されたレイドを傍で支えてきた唯一の女性。
一方で、レイドの狂気が暴走したきっかけにもなった人だった。
しかし、今のラリサとレイドの関係は悪いとは言えず、むしろレイドはラリサを信頼しているように見えた。
彼は本当に彼女を殺したのだろうか。
チェリシアは次第にそのような疑問を抱くようになった。
もし、彼が本当に何の理由もなくラリサを殺害したとしたら――
考え込んでいたそのとき、突然馬車がガタンッと大きな音を立てて揺れた。
「な、何!?」
馬車が停止し、驚いたチェリシアは扉を開けて外に出た。
そこで彼女が目にしたのは、周囲を取り囲む複数の男たちだった。
覆面をしていて顔は見えないが、それぞれ鋭く光る獲物を握っている。
「だ、誰ですか……あなたたちは……!」
気付けば馬車の御者はいなくなっており、チェリシアはそこでようやく罠に嵌められたのだということに気が付いた。
考え事をしていた彼女は、馬車が森の奥深くに来ていたことにまるで気付かなかったのだ。
男のうちの一人が、チェリシアの喉元に短剣を突き付けた。
「大人しくついてきてもらおう」
「……」
貴族令嬢で剣も握ったことのない彼女が為す術など無く、チェリシアは男の指示に従った。
男はチェリシアの首元に剣を突き付けたまま、森の奥を歩き続けた。
「私をどうする気?」
「……」
男は何も答えない代わりに、喉元の剣を近付けた。
余計なことは聞かないほうがいいかもしれない。
(この人たち……きっとプロの暗殺者ね。ずいぶん手慣れているわ)
最初から御者もグルだったのだろう。
かなり用意周到に計画を練っていたようだ。
(プロの暗殺者を雇えるとしたら間違いなく貴族……ロクサーヌ公爵家に恨みを持つ者?いや、それとも第二皇子レイドの敵かしら……?)
一体誰がこのようなことを計画したのか、彼女は皆目見当がつかなかった。
元々チェリシアは誰かに恨まれるほど目立った人間ではなかったし、レイドとの婚約はまだ承認前で公にはされていない。
それにロクサーヌ公爵家を恨む人間であれば、虐げられるチェリシアではなく父に溺愛されていると評判のマリーナを狙うはずだ。
(どれだけ考えてもわからないわ……)
しばらく歩き続けると、ある古びた小屋に辿り着いた。
森の奥深くにこんな場所があったとは、驚きだ。
「入れ」
男は扉を開け、チェリシアは渋々中に入った。
長い間誰にも使われていなかったのか、中は埃っぽく、チェリシアは思わず咳き込みそうになった。
彼女は部屋の奥まで進むと、男の方を振り返った。
「裏に誰がいるのかしら?」
「それをお前に言うわけがないだろう?」
彼らがプロである以上、絶対に依頼主のことは話さないだろう。
「後ろを向け」
「……」
男はチェリシアの両手を後ろで縛り上げ、その次に両足を縛り上げた。
彼女はいよいよ、身動きが取れなくなってしまった。
「ちょっと、どこへ行くのよ!」
男は床に転がったチェリシアを一瞥すると、そのまま小屋を出て行った。
チェリシアは見知らぬ小屋の中に一人取り残されてしまった。
チェリシアは何とか脱出しようと、部屋の中を見回した。
しかし、小屋に割れそうな窓はなく、扉はさっきの男たちが外側から鍵をかけたばかりだった。
何より、チェリシアが両手両足を縛られてる以上、動くことすらままならない。
それに外に出れたところで、きっと監視役の男がいるはずだ。
チェリシアは剣も使えなければ、体術すら学んだことがない。
そんな彼女が、プロの暗殺者に勝てる可能性などゼロだろう。
チェリシアは何とか縄を解こうと力を入れるが、うんともすんともしない。
(護身術でも学んでおけばよかった……)
それか前世でそういう系の動画でも見ておけばよかった。
今さら後悔したところで遅すぎた。
彼女は鬱憤を晴らすように声を上げた。
「わかったわ!マリーナ、アイツの仕業ね!」
チェリシアを嫌っている人間なんて異母妹のマリーナくらいしか考えられない。
ロクサーヌ公爵家の馬車の御者に指示を出すのも、マリーナなら難なくこなせるはずだ。
(私を嫌っている使用人たちを味方につけたってわけね!?本当に嫌な女!)
チェリシアの脳裏に、こちらを見て嘲笑う異母妹の意地汚い顔が浮かび上がった。
その顔を見ると、何だかやる気が出てくる。
彼女は渾身の力を使って縄と解こうと体を動かした。
マリーナの思うようにさせてたまるか!
何が何でも抜け出してやる!
アイツ、私が生きて帰ったら覚えてろ!
***
その頃、チェリシアを拉致監禁した暗殺者たちは、依頼主の元へ報告に向かっていた。
彼らが訪れたのは、郊外にある古びた邸宅だった。
まるで魔女でも住んでいそうな場所である。
「気味が悪いな……何故俺たちがこんなところに?」
「さぁ……あの女の考えることは理解できんからな」
男たちは屋敷内に漂う冷たい空気を不快に感じながらも、依頼主の元へ歩みを進めた。
屋敷の中央にある最も大きな部屋に入ると、一人の女が椅子に座って彼らを待ち構えていた。
その偉そうな態度に、男は舌打ちしたくなった。
「チェリシア・ロクサーヌをあの小屋に監禁した」
「――ご苦労様」
女の真っ赤な唇が満足そうに弧を描いた。
「あの女をどうするつもりだ?」
「そうねぇ……」
女はしばらく考えるような素振りを見せたあと、良いことを考えたとでもいうかのように楽しそうに笑みを深めた。
「――小屋に火でも付けるのはどうかしら?」
「な、何だと……!?」
彼らはプロの暗殺者だ。これまでどんな依頼もこなしてきた。
しかし、必要以上に人をいたぶるような趣味はない。
焼死がどれだけ残酷なものか、誰にだってわかる。
それも相手はまだ歳若い、か弱いご令嬢だった。
「本気で言っているのか……?」
「あら、私が冗談を言うような女だとでも?」
「そ、そういうわけではないが……」
女はプロの暗殺者を優に超えるほどの冷酷さと残忍さを持ち合わせていた。
彼らですら引いてしまうほどだった。
「断るなら約束していた報酬は無しよ。別にあなたたち以外にもいくらでも頼める人間はいるしね」
「……わかったよ、任務は必ず遂行する」
男たちは渋々受け入れ、部屋をあとにした。
一人になった女は、今はもう廃墟と化した屋敷の窓から外を眺めた。
「チェリシア・ロクサーヌ……危険な目は先に摘んでおかないとね……」
――私の目的達成のためにも、あなたには早々に消えてもらうわ。




