22 愛する人
あの場で、レイドはチェリシアに婚約破棄後の生活の保障を約束した。
元より彼女は貴族令嬢として生きていく気はなかった。
公爵家は異母妹のマリーナが継ぐだろうし、アイザックが婚約者なら彼女を傍でしっかりと支えてくれるだろう。
チェリシアはただ今の家から抜け出し、平和に暮らしたかった。
それ以外は何も望んでいない。
「皇帝陛下との婚約解消だなんて、そう簡単にはできないですよね……」
「問題ない、俺が皇帝になったら帝国法を変えればいいだけだからな」
「……殿下、お願いだから暴れすぎないでくださいね?」
レイドが皇帝になることに反対しているわけではないが、ちょっと怖い。
彼が暴君として帝国に君臨することだけは避けたいものだ。
「私との婚約を解消した後は、別のご令嬢と結婚するおつもりですか?」
ただの興味本位で聞いたチェリシアだったが、レイドは意外な反応を示した。
「いや、その予定はないな。逆に聞くが、結婚の良さって何だ?」
「な、何でしょうね……私にもよくわかりません……」
尋ねられたチェリシアもまた、上手く答えることができなかった。
彼女の母親は父親と結婚したせいであんなにも悲惨な最期を迎えてしまったのだから。
(私もこの先結婚なんてするつもりないしな……)
レイドもきっと似たような考えを持っているのだろう。
しかし、ただ今はそう考えているだけで、近い将来愛する女性に巡り会う可能性だって十分にある。
チェリシアはニッコリ笑いながらレイドに言った。
「殿下、もし私との婚約中に好きな人ができたらいつでも言ってくださいね。私はその時点で身を引きますから」
「……何を言っているんだ?」
レイドは馬鹿げたことを、とでも言いたそうにチェリシアを見つめた。
彼も愛する人を見つけることができれば、変われるのではないだろうか。
そのような思いからの発言だった。
「ただ、私は殿下が……この先大切な人と出会われることを心から願っております」
「大切な人……」
レイドが皇帝となったその日にはすぐに婚約を解消し、チェリシアは平民として暮らすつもりだ。
その日、跡形もなく彼の前からいなくなる。
「チェリシア、レイド殿下との婚約だが……お前はどうする気だ?」
黙り込んだチェリシアに、父は遠慮がちに尋ねた。
「お父様、私、彼との縁談を受け入れようと思っています」
「ほ、本気で言っているのか!?」
評判の悪いレイドとの結婚を断ると思っていたのか、公爵は驚いたようにチェリシアを見つめた。
彼女の臆病な性格を考えれば、血の皇子と呼ばれる彼との縁談なんて受け入れるはずがない。そう思っていたのだろう。
(チェリシアのことをちょっとは見てくれていたのね……)
いつだって自分に無関心で、あの二人のことしか眼中にないと思っていたのに。
「ええ、私彼と婚約します」
「……」
ハッキリとそう言ってしまえば、反対することなどできないようだった。
そうして、チェリシアとレイドの婚約は内定した。
***
二人の婚約は公式には発表されてはいないものの、父を通してレイドの元へ返事が行き、皇帝の承認を待っている状態だった。
婚約、それも片方が皇族となれば皇帝の承認は絶対に必要となる。
(だけど、レイドと婚約したことでチェリシアは完全にステインの敵になってしまったわね……)
ベレニウム帝国の貴族の大半は、次期皇帝が確実視されているステイン側についている。
しかし、レイドを持ち上げる連中がいるのもまた事実だった。
理由は主に皇帝に相応しい瞳の色、そしてずば抜けた才能。
ステインももちろん優秀な皇子ではあったが、レイドは全てにおいてそのワンランク上を行っていた。
彼は血の皇子として人々から恐れられる裏で、二百年に一人の皇子と言われていたほどである。
血筋以外は全てを持ち合わせている彼は、皇后から生まれていれば間違いなく兄を押し退けて皇帝になっていただろう。
そのように言う貴族たちも少なくはなかった。
妾腹の皇子を持ち上げられて、ステインはどのような気持ちだったのだろうか。
(レイドはチェリシアをどこまでも利用する気ね……ムカつくわ……)
元々かなり残忍な性格の男だった。
チェリシアが処刑されたと聞いても罪悪感すら抱かなかっただろう。
「原作でも、レイドとチェリシアは婚約関係にあったのかな……」
今となっては誰にもわからない。
私はチェリシアであって、チェリシアではないのだから。
(今は彼との婚約を受け入れるほかなさそうね……レイドが皇帝になれば、私もあの家を出れるでしょうし)
そのような経緯で、チェリシアとレイドの偽装婚約が始まった。




