16 草むらで泣いていたのは……
それから一時間近くもの間、チェリシアはレイドの部屋で過ごした。
「そろそろパーティーがお開きになる時間ですね」
「もうそんな時間か……」
レイドは部屋にかけられていた時計をチラリと見た。
針は夜の十時を指していた。
既に貴族たちは馬車で帰路についている頃だろう。
(この時間なら、ステインとアンリーシェももういないだろうな……)
アンリーシェとはもっと話したかったが、横でステインが目を輝かせている以上、気軽に話すことはできない。
今日から彼女は正式な聖女として、第一皇子宮で暮らすこととなる。
前世で言う同棲だ。
(アンリーシェはステインの婚約者だから……それでいいのかしらね……)
出会って一年も経っていないのに同棲だなんて、なかなかに展開が早い。
「私、そろそろ帰りますね。これ以上は義母がうるさいので」
「ああ、一人で行けるか?」
「はい、平気です」
レイドは夜遅くに女一人で出歩くべきではないと言ったが、皇宮は帝国で最も安全な場所と言っても過言ではないだろう。
皇帝と皇后を始めとした皇族一家が住んでいる場所であり、常に完璧なセキュリティを保っている。
そんな場所に侵入できる暗殺者なんているはずがない。
「ではまた」
「ああ」
レイドと挨拶を済ませたチェリシアは、来た道を戻った。
宮殿を出てすぐ、彼女は別宮と皇太子宮の間に位置する花園に差し掛かった。
(わぁ、とっても綺麗な薔薇園ね)
赤い薔薇が至るところに咲き誇り、チェリシアは思わず見惚れて立ち止まった。
そのとき、近くの草むらから誰かの声がした。
「うっ……ああ……どうしてよ……ステイン……」
「……?」
女のすすり泣くような声が、しっかりとチェリシアの耳に入った。
疑問に思った彼女は、声のする方に目を向けた。
(……あの中かしら?)
彼女は音を立てないようにゆっくりと近付き、そっと草むらの中を覗き込んだ。
そこにいたのは――
「……あ、あなたはもしかして」
草むらの中で膝を抱えて大粒の涙を流している若い女性の姿が目に入った。
服装を見るに、パーティーに招待された高位貴族のご令嬢のようだった。
(どこかで見たことある顔……)
彼女は必死で転生する前の記憶を辿った。
サラサラの長いブロンドに、エメラルドのような緑色の瞳。
誰から見ても美しいその容姿は、人の目をかなり引いた。
「もしかして……エルンバッハ侯爵令嬢!?」
――アルセリア・エルンバッハ
ベレニウム帝国名門エルンバッハ侯爵家の令嬢。
(どうしてエルンバッハ令嬢がこんなところにいるのかしら……?)
チェリシアは泣き喚くアルセリアに声をかけた。
「あ、あの……」
「……あなたはロクサーヌ令嬢?」
顔を手で覆っていたアルセリアが、チェリシアの声に反応した。
涙に濡れた緑色の瞳が、チェリシアを映した。
「エルンバッハ令嬢……どうしてここに……?」
「……あなたこそ、何故このようなところにいらっしゃるのですか?パーティーはもう終わったはずですよ」
アルセリアはチェリシアに疑惑の目を向けた。
一介の貴族令嬢が何故ここにいるのか、とでも言いたげな視線だ。
(い、痛いところを突くのね……)
レイドとの関係を言うわけにはいかなかったチェリシアは、はぐらかした。
「ちょ、ちょっと用事があって……今帰るところなんです。綺麗な薔薇園に見惚れていたら、たまたま声がしたもので……」
「……そうだったんですね」
アルセリアはチェリシアから地面に視線を移した。
「令嬢はどうしてこちらにいるんですか?」
チェリシアはアルセリアのすぐ横に腰を下ろした。
余計なお世話かもしれないが、一人で泣いている若い女の子を放っておくことなどできなかった。
アルセリアは懐から取り出したハンカチで目元を拭った。
「……ちょっと辛いことがあって、パーティー会場にはいられなくなったんです」
「……辛いこと?」
チェリシアは首をかしげた。
「誰かに何か言われましたか?」
「……いえ、そういうわけではありません」
首を横に振ると、アルセリアはフッと突然口元に笑みを浮かべた。
「ロクサーヌ令嬢。ステイン第一皇子殿下と聖女アンリーシェ様はとてもお似合いだと思いませんか?」
「え、きゅ、急に何を……」
まるで自分自身を嘲笑しているかのような意味深な笑顔に、チェリシアは何も返すことができなかった。
彼女のその問いかけの真意がわからなかった。
「本当なら、私が彼の隣にいるはずだったのに……」
「……ど、どういうことですか?」
原作でもアルセリア・エルンバッハなんてキャラは出てこなかった。
つまり彼女は悪役ですらなければ、モブ以下の存在だった。
「令嬢は何も知らないんですよね。当然です、元々皇家とはあまり縁がない家門の出身でしょうから」
「え、ええ……」
チェリシアの実家ロクサーヌ公爵家は爵位こそ最高位だったが、皇家と縁が深いかと言われればそうでもない。
父であるロクサーヌ公爵も、皇家とは一定の距離を保っているようだし。
(関わりがあると言えばレイドくらいだけど……)
レイドは皇族ではあるが、皇族としての扱いを受けていない異例の皇子だった。
アルセリアは涙を拭いながら、困惑するチェリシアに向かって口を開いた。
「――私ね、ステイン殿下と婚約が内定していたんです」




