117 次世代の皇帝
アンリーシェの突然の訃報に、国民たちは嘆き悲しんだ。
国を救った英雄が若くして亡くなったのだから、そのようになるのも当然だろう。
表向きの彼女の死因は、視察へ向かう途中の馬車事故ということになっている。
国を挙げての葬儀は行われず、近親者のみの式となった。
――真相を知っているのは、チェリシアとステイン、そしてレイドだけだった。
彼女は今頃、両親との思い出が残る故郷で穏やかに暮らしているだろう。
そういえば、つい最近無事に故郷へ着いたとの手紙が届いた。
彼女特有の可愛らしい文字の手紙には、村の近くにある教会で働くことになったとも書かれていた。
元気で過ごせているなら何よりだ。
そして、チェリシアの暮らす皇宮ではある問題に直面していた。
その日、国の重鎮たちを集めた元老会に、チェリシアはレイドの婚約者として参加していた。
参加者の一人、バスティーユ伯爵が重苦しい空気の中で口を開いた。
「皇帝陛下が執務を行えない今、ステイン殿下の皇太子就任式を速やかに執り行わなければなりませんね」
その言葉に、部屋の最も上座に座っていたステインの眉がピクリと動いた。
ここにいる誰もが知っていた。
目が覚めた皇帝は後遺症で下半身不随となり、退位せざるを得ないことを。
皇后陛下もまともに政務ができる状況ではない。
そして、聖女アンリーシェの死により、国民たちの不安はピークに達していた。
そのため、今ベレニウム帝国には民を導く新たな皇帝が必要だった。
その座が務まるのは、帝国に二人しかいない。
ステインもレイドも表情を変えることなく、ただその場に座っていた。
「皇太子?即位式の間違いでは?」
「無礼だぞ、陛下はまだ生きておられるというのに」
ここにいる全員が、ステインの即位を望んでいた。もちろん、順当に行けば皇后から生まれた正統な皇子である彼が次の皇帝となるだろう。
しかしそんな貴族たちに、彼は衝撃的な発言をした。
「私は……皇位継承権を放棄しようと思っている」
突如として発せられたその一言で、部屋にざわめきが広がった。
いつも冷静沈着な貴族たちが、慌てふためいて席から立ち上がった。
「殿下!正気ですか!」
「皇帝となられるのは殿下以外にあり得ません!」
「どうか考え直してください!」
全員がステインの決断に、反対の意を示した。
そのような反応になるのも当然だろう。ベレニウム帝国の次期皇帝は第一皇子ステイン。子供でも知っていることだ。
しかし、ステインの意思は揺るがない。
「既に決めたことだ、覆らない。それに、私よりも皇帝に相応しい者がここにはいる」
そのとき、ステインは右斜め前に座っていたレイドに視線を向けた。
彼は驚いたようで、その目を丸く見開いた。
(ス、ステインがレイドを皇帝に推薦した!?)
レイドを次期皇帝として推したステインに、貴族たちは揃って異議を唱えた。
「待ってください殿下!平民の女から生まれた卑しい皇子を皇帝として祀れと言うのですか!?」
「そうです!ステイン殿下という高貴な生まれの皇子がいるというのに、何故レイド殿下を!?」
本人が目の前にいるとは思えないほどの無礼な発言だ。
好き勝手言う貴族たちを不快に思ったのか、ステインの目が細められた。
「リュシアス伯爵、爵位を継いだからって調子に乗りすぎではないか?」
「ッ……」
「第二皇子を皇帝にすることにそこまで反対するとは……何か個人的な理由があるとしか思えないな」
図星だったのか、リュシアス伯爵はビクッと肩を上げた。
リュシアス伯爵家は、ステインの母親である皇后と手を組み、レイドに暗殺者を仕向けた過去がある。
彼が皇帝になることで、報復を恐れているのだろう。
「殿下……誤解です……ただ私は殿下が皇帝になられることを信じていたので……」
「そうか、その期待に添えなくてすまなかったな」
リュシアス伯爵はすっかり縮こまり、何も言えなくなった。
彼がステインに言い負かされると、議会の様子をじっと見守っていた老齢の男性が挙手をした。
「ですが殿下、国民たちはステイン殿下が即位されることを信じています。突然レイド殿下が皇帝になられるともなれば、困惑は避けられないのではないでしょうか?」
そう発言した彼はオーグリード公爵閣下だ。
かつて繰り広げられていた第一皇子ステインと第二皇子レイドの皇位争いにおいて、どちらにもつかず、中立を守っていた人物でもある。
「そうだな、その点においては私に考えがある」
「考え……でございますか?」
「あぁ、第二皇子を皇帝と納得させる画期的なアイデアがな」
オーグリード公爵は納得したようだったが、全員が全員そうというわけにはいかない。
やはりレイドを皇帝とすることを素直に認められない者も多くいた。
「お前たちの言いたいことはわかる。だがな、血筋なんてそんなもの、大して重要ではないんだ」
「で、殿下!?何てことをおっしゃるのですか!?」
何よりも血筋を重んじるベレニウム皇家の皇子とは思えない発言に、貴族たちはどよめいた。
「俺もちょっと前まではお前たちと似たような考えを持っていた。血筋で優劣を決めるこの国のことも、別に変だとは思っていなかった」
ステインは幼少期から歪んだ人間たちの中で生きていた。
同じ血を持っているはずのレイドを平然と汚らわしいと罵り、あなたこそが次の皇帝になる男だと言い続けた。
今思えば、最初から全て間違っていたのだ。彼は愚かにも、成人した今になってそのことを学んだ。
「だが、世の中生まれや血筋が全てではないはずだ。高貴な生まれでも愚か者は愚帝となり、聡明な者は賢王となる。体に流れる血で優劣など判断できまい」
ステインの言うことは的を得ていた。
血筋が優れているから良き皇帝になれるとは限らないのだ。
(あの傲慢俺様ヒーローのステインがそんなことを言う日が来るとは……)
成長したんだなぁ、と何だか母親にでもなった気分だ。
ステインは顔を上げると、未だに反対派の貴族たちに向かって口を開いた。
「――俺は、レイドこそがこの国の未来を背負う皇帝に相応しいと心からそう思っている」
その一言に、部屋中が静まり返った。このときのステインがレイドに向けた視線は蔑みでも憎悪でも劣等感でもない。
帝国を、頼んだぞ――とたしかにそう言っていた。
そのとき、一人の貴族が信じられないと声を上げた。
「正気の沙汰じゃありません……父帝の裏切りの証である妾腹の皇子に頭を下げるのですよ!?殿下は耐えられるのですか!?」
「あぁ、それでもかまわない」
彼は一抹の迷いすら見せずに答えた。
後処理に追われていたステインは、話が終わり次第席を立ち上がった。
「即位式は近いうちに行うこととする。日程は追って伝えよう」
元老会は解散し、ステインの計らいによってレイドの皇位継承が決まった。
彼の即位はその日のうちに発表され、国中が驚愕した。
元より、第一皇子ステインの人気は凄まじく、当然反対の声も少なからず存在した。
しかし、彼が事件において聖女アンリーシェをサポートした張本人だということが明らかになると、批判の声は少なくなっていった。
そのような状況の中で、レイドの即位式は行われた。
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