112 浄化
異変が訪れたのは、アンリーシェが魔法を発動させてから十数分が経った頃だった。
「リーシェ……空が……だんだんと明るくなってきています……!」
「……ようやく、術が効き始めてきているようですね」
アンリーシェは苦し紛れにボソッと呟いた。
その間も、チェリシアは彼女の手を握り続けた。魔力を使いすぎているせいか、彼女の手からは温もりをほとんど感じられなかった。
アンリーシェの冷えきった手に、チェリシアは気が気ではなかった。
今すぐにでも彼女がいなくなってしまうのではないかという不安感が募っていく。
「アンリーシェ、あとちょっとです……」
「……そうですね、チェリシア。たった数十分のことなのに、何だかとても長い時間のように感じます」
それはチェリシアも同じ感覚だった。
チェリシアは何とかアンリーシェを助けようと、自身の持つ全ての魔力を彼女に送り込んだ。
時空間でチェリシーが彼女を抱きしめたおかげか。いつもよりも魔力が増えたようだった。
きっと今アンリーシェが感じ取っている魔力は、チェリシアではなくチェリシーのものだろう。
そのことをわかっているのか、彼女の顔に生気が戻っていく。真っ白だった頬は上気し、いつものように赤く染まった。
アンリーシェは顔だけをチェリシアの方に向けると、口元に笑みを浮かべた。
「――私、あなたのこと、そんなに嫌いじゃありません」
「リーシェ……」
アンリーシェの握る手に力が入った。
彼女がこの世界へやって来たのは、大切な女性にもう一度会うため。しかし、ようやく出会った彼女は彼女ではなかった。そのときのアンリーシェの悲しい気持ちは計り知れない。
だが、彼女はこの世界のチェリシアと出会ったことを後悔なんてしていなかった。むしろ新しい出会いに感謝しているくらいだ。
最初は何故あの子がいないのかと、チェリシアを憎んだこともあった。でも、今ではもうそんな気持ちなんてとうに消え失せている。
アンリーシェはニッコリと、満面の笑みでチェリシアを見つめた。
「この世界にいたのが、あなたでよかったと……今では心からそう思えるんです」
そう口にしたアンリーシェから、再び強い光が放たれる。どうやら彼女が最後の力を振り絞っているようだ。
その姿は、まるで女神ディアーナのようだとチェリシアは感じた。
制御不能なほどに強い光が、帝国中に広がっていく。既に光に包まれている場所をもう一度浄化するかのように、各地へと。
とても生身の人間が出しているとは思えない。海で荒れ狂う波のように、物凄い勢いだ。
アンリーシェはその間も、微笑みながらチェリシアを見つめ続けていた。
そんな彼女の優しい表情に、チェリシアは涙が出そうになってしまった。感慨深くてうまく言葉が出ない。一言だけ、彼女に伝えるとしたら……チェリシアは泣きそうな顔で口を開いた。
「私も……あなたと出会えて幸せでした……」
チェリシアはいつからか、前世の記憶を抜きにしてもアンリーシェを愛するようになった。
いつも冷静で、一人の女性を心から愛し、自らの命を投げ打ってでも国を救おうとするアンリーシェ。何ていじらしく、愛らしいのだろうか。
――その瞬間、帝国に青空が戻った。
彼女の光魔法が、闇を全て浄化したのだ。
「アンリーシェ!空が青色になりました!」
「……無事に全て終わったようですね」
空を見上げた彼女は安心したように笑った。
聖女アンリーシェの力によって、闇魔法に支配されかけていた帝国は救われた。彼女の光魔法が、魔女デボラの闇魔法に勝利したのだ。
しかし、今はそれを喜んでいる場合ではなかった。
全てを終えた安心感からか、アンリーシェの体がフラつき始めた。
「リーシェ!」
今の彼女は魔力が枯渇していて、危ない状況だった。
すぐにでも休ませなければ、命の危機だろう。アンリーシェは虚ろな目で言葉を紡いだ。
「チェリシアの手が……とても温かいです……眠ってしまいそう……」
そのままアンリーシェは意識を失い、地面に倒れ込んだ。
チェリシアはそんな彼女を慌てて抱き留めた。
「レイド!リーシェを医者に!」
「ああ、二人とも俺の馬に乗れ。皇宮まで一瞬で転移する」
チェリシアはアンリーシェを馬に乗せ、その後ろで彼女を抱きかかえるようにして自身も座った。
レイドが転移の魔石を発動させ、二人は一瞬で皇宮へと転移した。
***
それから数日後、医師や神官、魔術師たちによる懸命な措置により、アンリーシェは目を覚ました。
皇太子妃宮にある一室で目を覚ました彼女は、目立った外傷の無い自身の体を見て驚いていた。
「私、生きていたんですね」
「当たり前です、この国を救った英雄をそう簡単には死なせたりしません」
ベッドの傍に控えていたチェリシアが間髪入れずに答えた。
せっかく帝国が闇から救われたというのに、アンリーシェが死んでしまっては何の意味も無い。
チェリシアは何としてでも彼女を助けようと、国中から名医や魔術師を呼び寄せた。
その中で、最もアンリーシェの治療に尽力したのがある人物だった。
「――聖女、無事に目が覚めたようでよかったな」
「ギオバート師団長!」
国中にいる魔術師の中でも、エリートたちが集う皇立魔術師団の師団長――ギオバート。
滅多に表舞台に姿を現さない彼の登場に、アンリーシェは目を見開いた。
「どうしてギオバート師団長がこちらに?」
「ロクサーヌ令嬢がどうしても聖女のことを助けたいって言うから……私が手を貸してやったまでだ」
「そうだったんですか……ありがとうございます」
「礼を言うのは私たちの方だ」
ギオバートはベッドに座るアンリーシェをじっと見下ろした。
気のせいか、いつも鋭い目が柔らかくなっている。
「この国を救った英雄を……見殺しになんてできるはずがないだろう」
「師団長……」
ギオバートとチェリシアの優しい言葉に、アンリーシェの目に涙が滲んだ。
彼女は起きたばかりの瞳を軽く手で拭った。しばらくして落ち着きを取り戻すと、二人に尋ねた。
「ところで、レイド殿下はいらっしゃらないのですか?」
「あぁ、レイド殿下なら……ステイン殿下と一緒に事態の収拾をしているはずだ」
あまりにも大きな事件だったため、動けない皇帝に変わってレイドとステインの二人は未だに後始末に追われていた。
皇帝は何とか一命を取り留めたが、大怪我を負ってしまったため、復帰は絶望的だろう。
皇后も事件のショックからか、まともに仕事ができる状態ではなかった。
「ロクサーヌ公爵邸も粉々になっちゃって住めないし……しばらくは私も皇宮で暮らすことにしたんです」
「そうですか、チェリシアがいれば退屈しなさそうです」
二人は目を合わせて笑い合った。
その姿を見たギオバートは、敵対関係にあったはずがいつの間にそんなに仲良くなったのかと驚いた。
和やかな時間が部屋で流れていたそのとき、扉がノックされた。
「聖女様、失礼します」
「どうかしたんですか?」
中に入って来たのは、皇太子妃宮の侍女だった。彼女はアンリーシェ、チェリシア、そしてギオバートの三人に礼をしたあとに用件を伝えた。
「――ステイン殿下がいらっしゃっています」
「……ステイン殿下が?」
それは、予期せぬ人物の来訪だった。
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