110 決意
チェリシアはアンリーシェの体を支えながら、皇都にある広場までやって来ていた。
ベレニウム帝国最大の都市であるベアールは、人口一千万人以上にも及ぶ大都市だ。帝国内で最も栄えており、皇族一家が暮らす皇宮や、東方にそびえ立つ神殿などが特徴的である。
そんなベアールの中央には、皇都を鮮やかに彩る広場が位置している。
ベレニウム帝国の国旗が周辺に掲げられ、中央には巨大な噴水が建てられている。時間になると魔法によるショーが行われることもあるその噴水は、ベレニウム帝国有数の観光スポットとなっている。
そんな噴水の前に、今チェリシアとアンリーシェは立っていた。
空が暗いせいか、皇都ですら出歩いている人はほとんどいない。アンリーシェはチェリシアの肩にもたれかかりながら、公爵邸からこの場所までやって来た。
(気のせいか、何だかさっきよりも空が暗くなったような……)
チェリシアは空に異変を感じながらも、アンリーシェに尋ねた。
「アンリーシェ、どうしてここに……」
「説明は後で。チェリシア、あなたの力を貸してほしいんです」
そこでアンリーシェは、チェリシアから離れて自力で立ち上がった。
彼女はレイドとチェリシアに、それぞれ一つずつ頼みごとをした。
レイドには皇宮にある自分の部屋から魔力を回復させるポーションをできるだけたくさん持ってくること。
チェリシアには自分を支えながら、共に皇都まで来てほしいということ。
二人はアンリーシェの目的を知らなかったが、迷うことなくそれらを受け入れた。
レイドは急ぎで皇太子妃宮へ向かい、ポーションを持ってこちらへ来ているところだろう。
「力を貸してほしいとは……どういうことですか?」
「空を真っ黒に染めている正体は闇魔法です。闇魔法に対抗できるのは、この世で光魔法しかありません」
「……」
覚悟を決めたような彼女の瞳に、チェリシアは黙り込んだ。
アンリーシェのやろうとしていることが理解できてしまったからだ。
「アンリーシェ……もしかして……」
不安げに見つめるチェリシアの方を、アンリーシェが振り返った。
「ええ、その通りです――私の光魔法で、あの闇魔法を包み込みます」
――アンリーシェの提案は、危険なものだった。
光魔法と闇魔法は、この世で最も希少な魔法と言われている。
他の魔法は練習を重ねることで使えるようになるが、光と闇だけはそうはいかない。この二つはそれぞれ、生まれ持った資質によって使用者が定められているのだ。
それに加えて、魔力を持っているからとはいえ、全員が魔法を使えるようになるとは限らない。
元々希少な魔力を、覚醒できるのはその中でも選ばれしものだけなのだ。
もう一人、強力な光魔法を使うことができる神殿長は既にいなかった。
――そのため、あの闇魔法を抑え込むことのできる光魔法の使い手はアンリーシェしかいないのである。
「アンリーシェ……危険ではありませんか?」
「チェリシアの言いたいことは理解できます。ですが、私がやらなければ一体誰があの闇を制御するというのですか?」
アンリーシェの言っていることは正しかった。
彼女以外に光魔法を使える人間なんて、少なくともこの国にはいない。国のためを考えるのなら、彼女の案を受け入れるべきなのだろう。
そんなことは、チェリシアにもわかっている。
しかし、膨大な魔力を使う行為は危険極まりなく、下手すればそのまま命を落としてしまう可能性がある。
「何もしなければ、死ぬのを待つだけです。チェリシア、どうか私に協力してください」
「……」
揺るがない決意が見て取れるその瞳に、チェリシアは何も言えなかった。
彼女がいくら反対したところで、アンリーシェは聞き入れないだろう。
「……わかりました、アンリーシェ」
「あなたならそう言ってくれると思いました」
アンリーシェは目の前にそびえる噴水を見上げた。
彼女は頂点に建つ銅像を指差しながら、チェリシアに尋ねた。
「チェリシア、あそこに建っている像が何かわかりますか?」
「……光の女神ディアーナの銅像ですよね?」
「ええ、その通りです」
アンリーシェは口元に笑みを浮かべながら、銅像を見上げていた。
懐かしむような瞳で、大切な記憶を呼び起こすように目を閉じた。
「――ここに、あの子と来たことがあります」
「え、そ、そうだったんですか……!?」
あの子とは、当然本物のチェリシア――チェリシーのことだ。
ついさっき、チェリシアが幻想の中で会った彼女。寛大な心と穏やかな優しさを持ち合わせている彼女は、まるで神話に出てくる女神様のような人だった。
「私たちはそれぞれ婚約者が敵対関係にあったので、あまり表立って行動を共にすることはできなかったんです。ですが、私は聖女としての地位や皇子の婚約者の座なんてものは、ハッキリ言ってどうでもよかった」
アンリーシェは前世で、チェリシーと出会い、救われている。
その日から彼女はチェリシーを深く愛するようになった。
「――あの日は、凍えるような寒い真冬の夜でした」
彼女はこの世で一番大切な女性との思い出を、慈しむように語り始めた。
「二人で一緒に、ちょうどあそこのベンチに座っていましたね。今でもよく覚えています」
アンリーシェが指差したのは、噴水の横にあったベンチだった。
チェリシアの脳裏に、ベンチに座って仲睦まじく話をする二人の姿が自然と浮かび上がった。アンリーシェにとっては、最も幸せな時間であったに違いない。
「チェリシーが、あの銅像を指さしながら言ったんです。あの人はリーシェみたいだって」
光の女神ディアーナ。
遠い昔、光魔法でベレニウム帝国を救ったとされる伝説の神だ。彼女は帝国では英雄として扱われており、今もなお人々の間で語り継がれている。
「私はあんなにも綺麗で高潔な人が私なわけがない、って返しました。そしたらチェリシーは、あれは未来のリーシェの姿よって。当時の私はわけもわからず、首をかしげているだけでした」
――でもね、今はそう言った彼女の気持ちがわかるような気がするんです。
アンリーシェは照れ臭そうに笑いながら、そう呟いた。
「あそこにいるのが光の女神だって知っていて、そんなこと言ったんでしょうね……私はずいぶん後になってからそのことを知ったけど」
アンリーシェは口元に笑みを携えながら、光の女神の正面で立ち止まった。
「――どうか、力を貸してください。光の女神ディアーナよ」
気のせいか、風が全く吹いていないこの状況で、アンリーシェの着ていた白いドレスの裾が揺れた。
華奢な彼女の後ろ姿が、何故かとても逞しく感じる。
「チェリシア、あなたと共にここに来たのには理由があります」
「……理由?」
振り返ったアンリーシェが、柔らかい眼差しをチェリシアに向けた。その瞳は、以前時空間の中で見たアンリーシェがチェリシーに向けていたものと似ていた。
「――あなたが傍にいれば、できる気がするんです」
「アンリーシェ……」
「私から見ても、認めざるを得ません。あなたは中身こそあの子と違うけれど、よく似ています」
アンリーシェが好きだったチェリシアと私は、同じようで違う。
神の生まれ変わりである彼女が、私と似ているだなんて。アンリーシェのように、そんなわけがないと、つい言ってしまいそうになった。
「そろそろレイド殿下が到着する頃でしょう。傍で見守っていてください、それがあなたの仕事です」
チェリシアはしばらく彼女の横顔をじっと見つめたあと、ゆっくりと頷いた――
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