102 皇太子妃宮へ
だが、デボラは甘くはなかった。
部屋から出ようとするチェリシアに、すかさず彼女は攻撃を仕掛けようとした。
「行かせるわけが、ないでしょう……!?」
チェリシアに向けて、彼女の闇魔法が放たれる。
真っ黒な闇が、先端を尖らせた剣となって彼女を狙い撃ちした。
しかし、チェリシアはそんな攻撃を気にも留めずに走り続けた。
――絶対に当たらないということが、わかっていたからだ。
「――お前の相手は俺だぞ?」
「……小僧」
その剣を受け止めたのは、彼女の前に立ちはだかったレイドだった。
彼は強い力でデボラの剣を押し返し、彼女はその勢いで後ろに飛んだ。
チェリシアはレイドがデボラを止めている間に、急いで魔石を発動させ、皇宮へと向かった。
「……ホンット、どこまでもムカつく男ね」
デボラは一度攻撃の手を止め、レイドと向き合った。
一度は追い詰めたチェリシアをみすみす逃してしまったのだ。最強種の魔女としてのプライドはズタズタだった。
「やっぱり、あのときアンタを最初にやっておくべきだったわ」
「魔女が生身の人間相手に卑怯な手を使う気か?」
本来ならば彼女が魔女である以上、人間が敵うような相手ではない。
しかし、相手がレイドであれば可能性が全く無いわけではなかった。レイドは帝国最強とも呼ばれる、騎士だったからだ。
「あぁ、でもいっそちょうどよかったかも……アンタのことは最初から私がこの手でやるつもりだったのよ……」
その瞬間、彼女の青色の目が狂気を帯びた。
同時に、全身からゾッとするような冷気が放たれる。
間違いなく聖女アンリーシェの姿をしているというのに、別人のようだった。
「――その瞳、ホンット気に入らない……今すぐ目を抉り出してやりたいくらいだわ……」
「奇遇だな、俺もこの目には価値を感じたことが無いんだ」
デボラにとっては憎きリーナを思い起こさせる宝石のような真っ赤な瞳。
そしてレイドにとってもまた、嫌悪する父親を連想してしまうものだった。
彼はそこだけは、デボラに激しく共感することができた。しかし、だからといってチェリシアをあのような目に遭わせたことは到底許せないが。
「今からアンタの処刑を行うわ」
「処刑?一体俺が何の罪を犯したというんだ?」
レイドはニヤッと口角を上げた。
挑発的なその笑みに、デボラは眉をひそめた。
「――アンタが、ベレニウム皇族として、アイツらの血を引く人間として生まれたことが罪よ」
そう言い放つと、デボラはレイドに向かって魔法を唱えた――
***
その頃、チェリシアは魔石を使って第二皇子宮へ来ていた。
「――転移成功!死ぬかと思った!」
それと同時に、彼女は第二皇子宮の床にドンッと倒れ込んだ。
「イテテ……」
転移は成功したが、着地には失敗してしまった。
彼女はついさっき打った頭を押さえながらも立ち上がった。
「ここは第二皇子宮……皇太子妃宮まで行かないといけないから……」
チェリシアは記憶を頼りに、第二皇子の宮殿を出た。
彼女の目的地である皇太子妃宮までは、薔薇園を挟んですぐだった。
(このまま最短距離で皇太子妃宮へ向かうわ!)
彼女はドレスの裾を両手で持ち上げ、駆け出した。
みっともなく皇宮内を走っていたチェリシアの前に、とある人物が現れた。
――「……お前、こんなところで何をしている?」
「ギャー!!!ステイン!!!」
薔薇園にいたのは、ついさっきまでレイドと戦っていたであろうステインだった。
彼は頭に包帯を巻き、顔の至るところに絆創膏をつけている。どうやらレイドにボコボコにされたというのは本当だったようだ。
「……お前、ロクサーヌか」
彼はチェリシアを見て眉間にシワを寄せた。ついさっき、ステインはレイドに敗北を喫したばかりだった。
気が立っているのも仕方が無いだろう。
しかし、彼女も退くわけにはいかなかった。
「わ、私!皇太子妃宮に用があるんです!絶対に行かないといけなくて……もし私を阻むって言うならいくら殿下とはいえただでは……」
「――勝手に行けよ。俺は止めないから」
「………へ?」
すんなりと許可を得られ、チェリシアは思わず間抜けな声を出した。
「い、いいんですか……?」
「好きにしろ」
ステインはチェリシアを制止することなく、皇太子妃宮までの道を開けた。
彼女はそのまま何事も無くステインの横をすり抜けようとした――そのとき、彼が口を開いた。
「魔女デボラは……レイドが相手をしているのか?」
チェリシアの肩がビクリと上がった。彼女は彼に恐れを抱きながらも、質問に答えた。
「ええ……今、ロクサーヌ公爵邸で戦っています」
「そうか……」
ステインはチェリシアの方を振り向いた。
複雑そうに細められた赤い瞳が、彼女を捉えた。何を言うつもりかと緊張していたが、彼は全く予想外のことを口にした。
「――何かあったらいつでも俺に言え。陛下が重体で皇后陛下も正気を保てていない今、皇家の全ての権限は俺にある」
「殿下……」
目を輝かせた彼女に、ステインは気まずそうに顔を背けた。
チェリシアは明るい笑顔で頷き、そのまま皇太子妃宮へと走って行った。
***
「…………嵐みたいな女だな」
ステインは貴族令嬢らしからぬチェリシアの駆けて行く後ろ姿をじっと眺めていた。
レイドはあの女のこういうところを気に入ったのか、と何だか納得した。
「心から愛しているんだな……彼女のことを」
自分にもそういう人がいただろうか、と彼は考えた。
そのときに彼の頭に浮かんだのはあれほど熱烈な恋をしたアンリーシェではなく、指一本触れたことのない元婚約者アルセリアだった。
彼は魅了にかけられていた頃の記憶を取り戻しつつあった。
「アルセリア……」
名前を呼んだことすら初めてかもしれない。いつもアイツかお前だったから。
全てが終わったら会いに行こうか。会ってくれるかはわからないが、何故か居ても経ってもいられなかった。
そう考えていたそのとき、自身にかかる影を感じた彼は空を見上げた。
空を視界に入れた彼の目が、丸く見開かれた。
「………何だ?何故、空がこんなにも……」
―――暗く、淀んでいるんだ?
***
ステインの許可を得て皇太子妃宮にやって来たチェリシアは、侍女の一人に行く手を阻まれた。予期せぬ形で、チェリシアは彼女ともみ合いになった。
「あ、あなたは何なのですか!皇太子妃の宮殿に何の用ですか!?」
「私はチェリシア・ロクサーヌです!無礼ですよ!?」
「チェリシア・ロクサーヌ!?レイド殿下の婚約者!?なら余計に、ここを通すわけにはいきません!」
侍女や執事が一丸となって両手を広げ、チェリシアを制止した。
あいにく、今は彼らの相手をしている時間は無い。押し返されたチェリシアは、使用人たちに向けて声を張り上げた。
「――皆の者、聞きなさい!私がここにいるのは第一皇子ステイン殿下の命によるものです!」
「ス、ステイン殿下の……!?」
その一言に、全員が威圧されたようにチェリシアから離れた。
「私の行く手を阻むことは、ステイン殿下の前に立ちはだかっているのと同じなのです!それでも私の邪魔をするというのですか!?」
「……」
呆気に取られて動くことができない使用人たちの間をすり抜け、チェリシアはアンリーシェの部屋へと向かった。
しかし、皇太子妃宮に入ったことがない彼女はアンリーシェの部屋がどこにあるかを知らなかった。
適当にそれっぽい大きな扉の部屋に狙いを定め、開ける。
「ここか!」
外れ。応接間だ。
「ならこっちか!」
またしても外れ。使用人の部屋だ。
「ええい!ならその隣!」
――横の二枚扉を両手で勢いよく開けたチェリシアは、時が止まったかのように固まった。
「何……この部屋……」
皇宮の中にある皇太子の正妃が使う皇太子妃宮。その中でも最も広く、豪華な一室。
その部屋がアンリーシェのものとなってからまだ日が浅い。
一歩足を踏み入れると、謎の薬品の匂いが鼻をついた。
「ここに本当に……人が住んでいたとでもいうの……?」
まるで研究室のような部屋。
足の踏み場もないほどに書物で埋め尽くされ、机の上にはピンクや紫の液体が入った瓶や化学物質が散乱していた。
一体ここで何をしていたのか。チェリシアはそっと部屋の中に入った。
「黒魔術……?」
床に散らばっていた書物は、どれも黒魔術などの魔法に関することだった。
どうしてこんなものが。アンリーシェが読んでいたのか、それともデボラが読んでいたのかはわからない。
チェリシアの頭に、疑問が一つ浮かんだ。
「アンリーシェ……あなたは一体、ここでどのように過ごしていたというの……?」
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