101 おねだりのキス
チェリシアが我に返ったときには、彼女はロクサーヌ公爵邸にいた。
すぐ傍には時空の杖が転がっており、つい今ここへ戻ってきたようだった。
「未だに理解が追い付かないわ……チェリシーと会ったのも、彼女の正体も信じられない」
彼女は時空間を移動した衝撃で痛む頭を手で押さえながら立ち上がった。
そんなチェリシアの目の前では、デボラの魂が入り込んだアンリーシェが大の字で倒れていた。
「……」
――今、彼女をやれば帝国は救われる。
そんな考えが一瞬チェリシアの頭をよぎった。
しかし、そうやって国や自分自身が助かったところで何の意味があるのか。
アンリーシェという一人の尊い命は失われてしまうのだ。
(……そんなことをするくらいなら、死んだ方がマシね)
自分だけが助かろうだなんて、下劣な考えだ。
ここでアンリーシェを死なせたら、きっと自分は一生後悔する。
結局チェリシアは、デボラが起きるのを待ち続けた。
しばらくすると、彼女の指先がピクッと動いた。
来る、と確信したチェリシアは剣をかまえた。
「……何だか、記憶が曖昧だわ。長い間寝ていたようね。まぁ、長いと言ってもあの頃と比べたら大したことないけど」
デボラはチェリシアと同じように、頭を手で押さえながら立ち上がった。
壁にぶつかった衝撃からか、血が流れていた。
起き上がったデボラは、剣を向けるチェリシアを視界に入れた。
「あらぁ、まだ心が折れていなかったのね、お嬢さん」
「当たり前でしょう、アンタを倒すまでは諦めないわよ」
「ずいぶん素敵な夢を見ているのね……感心しちゃった、メンタルだけは一級品なのねぇ」
デボラはチェリシアを嘲るように口角を上げた。
彼女を見下しているのは相変わらずのようだ。
「次はちゃんと殺してあげるから……安心しなさい?」
「やられるつもりで来てるわけないでしょう?」
チェリシアは最強種の魔女デボラを前に、強気で言葉を返した。
本当は恐ろしくてたまらなかったが、何とか自分を奮い立たせた。
(……だけど、どうすれば?アンリーシェの体に傷を付けるわけにはいかないし)
いつものチェリシアなら、手当たり次第に攻撃を繰り出しているところだろう。
しかし、今はそうするわけにもいかなかった。
デボラがアンリーシェの体を使って戦っている以上、彼女を殺すわけにはいかない。
そのような理由から、チェリシアは頭を抱えた。
「面倒だから、一瞬で片を付けるわ。さっきみたいに手加減している時間は無いの」
「……!」
その言葉とほぼ同時、デボラがチェリシアに向かって突進した。
考え事に夢中だったチェリシアは、上手く反応することができなかった。
――マズい、避けきれない。
そう直感したときには、既に遅かった。
直前まで来たデボラは、チェリシアの首を片手で掴んで持ち上げた。
「グッ……」
「終わりね、死ぬ覚悟はできているかしら?」
当然、大人しくやられる気はない。
チェリシアは最後の抵抗として、首を大きく横に振った。
「アンタこそ、レイドを舐めんじゃないわよ……」
「レイド?あぁ、さっきの赤い目の……」
レイドのように綺麗な赤い瞳はリーナを思い起こさせるのか、デボラの顔から表情が消えた。
首を絞める彼女の手に、自然と力が込められた。
「アイツは他のヤツらよりもあの女の面影がよく残っているわ。気に入らないから、地下牢に閉じ込めて散々いたぶってやるわ」
「……誰に対して言っているのよ、相手は帝国最強の男よ?」
「人間の最強なんて、私たち魔女にとっては相手にするまでもないわ」
チェリシアの言葉を、デボラは一蹴した。
しかし、それでも彼女は怯まない。
「レイドはね……この世界にいる誰よりも強くて優しくてカッコイイのよ……」
不愉快極まりない、というようにデボラが眉をひそめた。
「……今、この状況で惚気話?そういうの、ムカつくからやめてほしいんだけど――」
―――彼女がそう言いかけたその瞬間、公爵邸の壁が轟音と共に崩壊した。
チェリシアとデボラは二人同時に、音がした方に視線を向けた。
粉々に砕け散った瓦礫の中から、ある人物が姿を現した。
「――チェリシア!」
それはステインと戦っていたはずのレイドだった。
「…………レイド?」
「……アイツ、まだ生きていたの?」
デボラは自身に向かって剣を振り上げるレイドを視界に入れると、掴んでいたチェリシアを放り投げて後ろへ飛んだ。
「キャアー!」
「チェリシア!」
宙に投げ出されたチェリシアの体を、即座にレイドが受け止めた。
クルリと何度も空中を回転していたデボラはそっと着地し、チェリシアを抱えたレイドも地に足を付けた。
「殿下、来てくださったんですね……」
「当然だろう、お前を一人にするわけがない」
彼の顔を見ると、チェリシアは何だか泣きそうになった。
今回ばかりは、本気で終わりだと思った。チェリシアは安堵感から、彼の首に腕を回して抱き着いた。
そんな二人を見たデボラは、気に入らないというように吐き捨てた。
「……ステインは負けたのね、ホンット使えないやつ」
彼女の言う通り、レイドがここにいるということは、ステインとの勝負に勝ったという意味だった。
「殿下、ステイン殿下は……」
「ああ、目を覚まさせるために数発殴っておいた。もう馬鹿な真似はしないだろう。安心するといい」
「……!」
暴君と呼ばれた彼が、ステインを殺さずに生かしておいただなんて。
思えば、レイドは初期からずいぶんと成長したものだ。
「アイツには言いたいことがいっぱいあるからな……簡単に死なせはしない」
「殿下ったら、大人になりましたね」
チェリシアが頭を撫でると、レイドは照れ臭そうに頬を膨らませた。
ああ、でもまだそういうところは子供っぽいなぁ。
「――二人だけの世界に入り込んでいるようだけど」
「……!」
その声でレイドは瞬時に何かを察したのか、チェリシアを抱えたまま横へ移動した。
案の定、さっきまで二人がいた場所に大きな穴が空いた。
「私がいることを忘れてもらったら困るのよね……」
デボラは冷めた目で二人を見下ろし、闇魔法片手に呟いた。
「殿下、下ろしてください……!」
チェリシアは慌てた様子で、レイドの腕から降りた。
いくら彼でも、人一人を抱えながら戦うのは分が悪いはずだ。
――それに、チェリシアには今別にやらなければならないことがあった。
(……アンリーシェ――いいえ、デボラが住んでいた皇太子妃宮に行けば、何かわかるかもしれない……!)
それはまさに、魔女デボラの魂を消滅させる手がかりを得ることだ。
仮にレイドがデボラとの戦いに勝ったとしても、魂を消滅させなければ何の意味も無い。
「殿下、彼女を任せてもよろしいですか?私は行かないといけない場所があります」
「一体どこへ行く気だ?もし危ない場所なら……」
「チュッ」
渋る素振りを見せた彼の頬に、チェリシアは突然キスをした。
レイドは顔を真っ赤に染め、彼女はおねだりするように囁いた。
「殿下、お願いします。あと、アンリーシェの体はできるだけ傷を付けないように」
「よしわかった、俺に任せとけ!」
たった一回のキスでやる気を出したレイドは剣を片手に、デボラと向き合った。
その間に、チェリシアはササッと皇太子妃宮へと向かった。
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