第51話 旧ネレイス迷宮・静かな火
同じ頃、第6班は、水路のある区画よりも乾いた東側経路を進んでいた。
ルビアは長杖を手に、最後尾から前を行く2人を見ていた。
先頭はオルバン・セリス。
その後ろを風属性の少女、ネフィラが歩いている。
薄い砂が積もった床を、3人分の足音が硬く叩いていた。
ネフィラが指先を動かすと、細い風が床を滑り、曲がり角の向こうに消えていく。
しばらくして戻ってきた風が、彼女の髪をわずかに揺らした。
「この先に動くものはいません。30歩ほど先で、通路は右に曲がっています」
「その先は?」
ルビアが尋ねる。
「今の風では分かりません」
ネフィラは迷わず答えた。
ルビアは短く頷く。
分からないことを、分かったように取り繕わない。
少なくとも、その報告の仕方は信用できた。
オルバンは床に走る細い亀裂の前で足を止め、杖先を近づけた。
奥から返ってきた乾いた音を聞き、わずかに眉を寄せる。
「床の下に空洞があります」
「踏めば崩れるかしら?」
「1人なら耐えるかもしれません。ただ、続けて渡るのは危険です」
オルバンが杖に魔力を流すと、床の下で低い振動が起きた。
亀裂の底から岩が押し上がって隙間を埋め、その上を薄い土が覆っていく。
3人が通れる幅だけが、平らに固められた。
オルバンは自分で足を乗せ、沈まないことを確かめる。
「中央を通ってください」
ネフィラが先に渡り、ルビアも後に続いた。
最後に渡ったオルバンは、亀裂の位置を記録板に書き込み、
床の脇に危険箇所を示す赤い印を残した。
指示される前に、後から通る者への注意まで済ませている。
防壁を張るだけの魔法使いではないらしい。
ルビアは、オルバンへの評価をわずかに改めた。
再び隊列が動き出す。
ルビアも長杖を持ち直して2人の後に続き、
その足取りを確かめるように自分の身体へ意識を向けた。
朝から歩き続けているにもかかわらず、目の奥にいつもの重さはない。
夢の内容は失われても、目覚めた時の温かさだけは胸の奥に残っていた。
ルビアはそれ以上考えず、前を行く2人へ意識を戻した。
「先を確認します」
ネフィラが再び風を送る。
だが、今度はすぐに戻ってこなかった。
「どうしたの?」
「途中で散らされました。動いているものではありません。何かが、通路全体に広がっています」
3人は間隔を詰め、曲がり角まで進んだ。
オルバンが携帯灯を向ける。
その先を、黒緑色の蔓が塞いでいた。
壁から壁まで絡み合った太い蔓が、天井から床まで通路を埋め尽くしていた。
蔓の隙間には白い菌糸が張り巡らされ、
そこから細かな胞子が絶えずこぼれ落ちている。
ネフィラはすぐに風を止めた。
「吸い込まない方がよさそうです」
オルバンも口元を袖で覆う。
「迂回路は地図にありません」
ルビアは長杖を持ち上げた。
焼き払うだけなら簡単だった。
だが、この狭さでは熱も煙も自分たちに返ってくる。
「煙を逃がせる場所はある?」
ネフィラは3人の前に薄い風の幕を張り、こぼれ落ちる胞子を蔓の側に押し戻した。そのまま壁際に細い風を送り、右上にある亀裂へ流し込む。
「亀裂は奥まで通じています。一度に燃やしすぎなければ、煙もここから逃がせます」
「オルバン。火が横に広がらないように区切って」
「分かりました」
オルバンが杖を床に触れさせると、砂と土が持ち上がり、
燃やす部分の左右に沿って細い隔壁を作った。
土は壁を伝って天井まで伸び、中央に3人が通れる幅だけを残す。
ネフィラも足元から天井の亀裂に向かう風の道を作り、風の幕を保ったまま、
隔壁に囲まれた範囲の胞子だけを亀裂の奥へ送り込んでいった。
準備は整った。
ルビアは長杖を蔓の中央に向ける。
杖先に灯ったのは、小さな炎だった。
細く絞られた火が、音もなく蔓の根元を走る。
黒緑色の表面が赤く変わり、白い菌糸が縮れていく。
煙はネフィラの風に引かれて天井へ昇り、
こぼれた火の粉はオルバンの土に遮られた。
ルビアは焼け落ちる速さに合わせ、杖先を動かす。
広げすぎない。
強めすぎない。
3人が通れる幅だけでいい。
最後の菌糸が焼き切れ、炭になった蔓が床に崩れた。
ルビアが杖を下ろすと、炎はすぐに消えた。
「胞子はほとんど残っていません」
ネフィラが弱い風を通しながら告げる。
オルバンも燃え残りを杖先で確かめた。
「火も残っていません。通れます」
ルビアは、開いた道を見た。
自分1人でも突破はできた。だが、班員全員を安全に通すなら、今の方が早い。
少なくとも今回は、そう認めるしかなかった。
「想像していたより、ずっと細かく炎を扱えるのですね」
オルバンが、焼け落ちた蔓と土の隔壁を見比べながら言った。
ルビアは赤い瞳を向ける。
「何を想像していたの?」
「もっと、通路ごと一度に焼き払う方なのかと」
「ずいぶんと失礼な想像をしていたのね」
「……すみません」
オルバンは素直に頭を下げた。
だが、否定はできなかった。必要なら、ルビアは実際にそうしていただろう。
「あなたたちが範囲を整えたからよ。必要のない場所まで燃やす理由がなかっただけ」
オルバンがわずかに目を見開く。
隣にいたネフィラも、意外そうに瞬きをした。
ルビアが2人の働きを認めるとは思っていなかったのだろう。
「次も同じような障害があれば、煙の流れは私が作ります」
ネフィラの申し出に、ルビアは一瞬だけ視線を止めた。
「状況が同じなら、任せるわ」
その言葉を自分から口にしたことに、ルビアはわずかな違和感を覚えた。
以前なら、最初から自分だけで処理する方法を選んでいたはずだ。
「行くわよ」
ルビアは2人の反応を待たず、開いた道へ足を踏み入れた。
オルバンとネフィラも一拍遅れて後に続く。
焼けた蔓を抜けると、通路は再び細くなり、乾いた石壁が携帯灯の光を返していた。
ルビアは歩調を緩め、後ろから追いついたオルバンへ尋ねる。
「次の曲がり角までは?」
「地図では40歩ほどです。その先で、通路は左に曲がっています」
オルバンの答えを聞き、ネフィラが前に出た。
風が砂の上を滑り、通路の暗がりへ消えていく。
3人は戻りを待った。
だが、風は返ってこない。
「戻ってきません」
「途中で消えたの?」
「いいえ。まだ進んでいます」
オルバンが地図を見直した。
「この先は、40歩ほどで壁に当たるはずです」
「もう一度送りなさい」
今度は先ほどより強い風が、真っすぐ通路の奥に伸びていった。
それも暗闇に吸い込まれていく。
しばらくして、ようやく微かな風が戻ってきた。
ネフィラの表情が変わる。
「壁に当たって戻った風ではありません」
「じゃあ、何なの?」
「広い場所で散った風の一部だけが、こちらに流れ戻ってきています」
ルビアは救難術式具の覆いを開いた。
第6班の光点は許可区画の内側にある。観測室との接続にも異常はない。
オルバンも測定具を確かめたが、周囲の魔力濃度は正常だった。
少なくとも、ここで引き返すべき兆候はない。
3人は地図に記された曲がり角まで進んだ。
オルバンが携帯灯を先へ向ける。
だが、光は暗闇の中へ伸びたまま、どの壁にも届かなかった。
ネフィラは地図と、その先に広がる暗闇を見比べた。
「……おかしいです。この先、地図よりずっと広いです」




