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第48話 旧ネレイス迷宮・開門

旧ネレイス迷宮の入口は、学院領の北西に連なる岩山の麓にあった。


学院からは距離があるため、

ここまでは転移広間に開かれた大型のワープホールを使って移動してきた。


朝鐘の2度目までは、まだ少し時間がある。


山肌を削って造られた広場には、すでに大勢の1年生が集まっていた。

全員が黒紺の制服姿で、武器や杖、実習用の鞄を身につけ、

班ごとの待機区画に分かれている。


約700人。


大講堂で見た時にも多いとは思ったが、

武器や杖を携えた状態で並ぶと、同じ人数でも受ける印象が違った。


普段の授業に集まった生徒たちとは、空気が違う。

そこにいたのは、迷宮に入るために編成された230を超える班だった。


広場の奥には、岩山の内部に続く8つの進入口が横一列に並んでいる。


いずれも分厚い石門で塞がれ、その周囲には学院の紋章と、

入口の封鎖や監視に使う術式が刻まれていた。

門の前では教官や救護員が動き回り、班番号と装備を確認しながら、

救難術式具を観測室に接続している。


入口ごとに出発する班と時刻が分けられているため、

これだけの生徒が集まっていても、目立った混乱はなかった。


「第17班は第3進入口。出発は朝鐘の2度目から12分後」


隣で、ディムローが予定表を読み上げる。


「ああ」


俺たちは、第3進入口の脇に設けられた待機区画にいた。


ディムローはいつもどおり腰に細かな工具を下げ、

背負った鞄には記録板が収められている。

実習に不要だと言われた金属棒は減らしていたが、

完全に置いてきたとは思えなかった。


メルディは救難術式具を胸元の鞄に収め、その上から留め具を確かめていた。

白金の長い髪は動きの妨げにならないよう後ろでまとめられ、

腰には薬や包帯を収めた小さな鞄がいくつも並んでいる。


俺も双剣の柄と鞘を順番に確かめた。


長剣。


短剣。


どちらも問題なく抜ける。

柄の内側にある押し金にも、指は自然に届いた。


「また確認してる」


ディムローが言った。


「お前もさっきから鞄を3回開けてただろ」


「記録板の留め具が緩んでないか見てただけだ」


「3回も緩むのか?」


「確認した結果、緩んでなかった」


呆れて言い返す気にもなれず、俺は視線を広場に戻した。


別の待機区画では、ミリアスが班員たちと話している。


遠目にも、彼女が身振りを交えて何かを説明しているのが分かった。

片方の班員が笑い、もう片方もつられるように表情を緩める。


実習前とは思えない明るさだったが、装備はすでに整っているようだった。


さらに視線を移す。


第4進入口の前に、銀色の髪が見えた。


ルビア。


腰まで流れる銀髪は、朝の淡い光を受けても色を失わない。

黒紺の制服に長杖を携え、オルバンとネフィラの間に立っていた。


オルバンは腕に装着した防具の留め具を確かめながら、

ルビアに何かを報告している。


その隣では、薄い灰緑色の髪を肩のあたりで切り揃えた少女が、小さく頷いていた。


ネフィラ。

Bクラスの風属性で、第6班の索敵を担当する少女だ。


緊張しているのか、両手で杖を握っている。

それでもオルバンに促されると、周囲の風を確かめるように一度だけ目を閉じた。


オルバンが守り、ネフィラが周囲を探る。

その間に、ルビアが火力を叩き込む。


ルビアはネフィラの報告を聞き、短く何かを返した。

その横顔を見て、わずかな違和感を覚える。


顔色や立ち姿が大きく変わったわけではない。

ただ、目元に残っていた重さが、今日は少しだけ消えているような気がした。


見すぎていたのか、ルビアがわずかに顔を動かした。

赤い瞳が、離れた場所にいる俺に向く。


視線が重なった。


言葉はない。


それでも、

回廊で交わした「お互い、気をつけよう」という言葉を思い出すには十分だった。


俺が小さく顎を引くと、ルビアは一瞬だけ目を細めた。

それが返事だったのか、ただこちらを認識しただけなのかは分からない。


すぐに彼女の視線は、オルバンたちに戻った。


「見すぎではありませんか?」


左から声がして、俺は振り向いた。

メルディが救難術式具の留め具に手を添えたまま、こちらを見ている。


「班の配置を確認してただけだ」


「第6班だけを、ずいぶん長く確認していたように見えました」


「隣の入口だからな」


答えると、ディムローが第3進入口と第4進入口を見比べた。


「入口が隣でも、地下では別経路だろ」


「分かってる」


「なら、あっちの心配よりこっちの確認をしろよ」


正論だったが、少しイラっとした。


俺は第6班から視線を外し、自分たちの待機区画を見回す。

広場を挟んだ東側には、ダルタスの班がいた。


2人の男子生徒に何かを説明しながら、地図の上を指でなぞっている。

実習前でも態度に余裕があり、班員たちもすでに彼を中心として動いていた。


一方、迷宮入口を見下ろす観測塔の窓には、教官や上級生の姿が並んでいる。


その中に、長い金髪が一瞬だけ見えた。


イリス王女。


こちらを見ていたかは分からない

塔の内部に移動したのか、その姿はすぐ窓の奥に消えた。


やがて、岩山の上から2度目の朝鐘が鳴った。

広場に散っていた声が、少しずつ小さくなる。


教官たちが入口ごとの名簿を開き、各班の代表者を呼び始めた。


「第17班、接続確認だ。前へ」


俺たちの前に立っていた教官が、机上の術式盤を指した。

メルディが救難術式具を取り出し、中央の結晶を術式盤に近づける。


青白い光が、結晶の内部に灯り、一定の間隔で、ゆっくりと明滅を始める。


術式盤の上に、文字が浮かび上がった。


――第17班。


――観測接続、正常。


――第3進入口・西側水路経路。


教官が表示を確認し、名簿に印をつける。


「接続は正常だ。進入後も青い明滅が続いていることを定期的に確認しろ。異常が起きた場合は救難信号を作動させ、その場で待機すること」


「分かりました」


メルディが術式具を胸元の鞄に戻すと、

青い光は布越しにも一定の間隔で明滅を続けた。

この光が続く限り、観測室には俺たちの位置が届く。


教官は、今度は俺たち3人の装備に視線を巡らせた。


「出発まで残り12分。最終確認を済ませ、呼び出しがあるまで待機区画を離れるな」


俺たちは指定された場所に戻った。


第3進入口の石門は、まだ閉ざされている。

その向こうから、地下を流れる水の音だけが、かすかに聞こえていた。


2度目の朝鐘から数分後、第3進入口では、

先に出発する班の最終確認が始まっていた。

3人が石門の前に並び、代表者の持つ救難術式具が青く光る。


「第12班、進入を開始しろ」


教官の声に応じ、石門の周囲に刻まれた術式が淡く灯った。


重い音とともに、門が左右の石壁に沈んでいく。

開いた隙間から、冷たい空気が待機区画まで流れてきた。


湿った岩と水の匂い。

地上の朝とは、まるで違う空気だった。


第12班の3人が携帯灯を掲げ、暗い通路へ入っていく。

姿が見えなくなると、石門は再び閉じた。


次の班が呼ばれるまでの間に、俺は2人に向き直る。


「最後に確認しておこう」


ディムローが肩に掛けた鞄を直し、メルディもこちらを見た。


「普段は3人で決める。ただ、すぐに動かなきゃいけない時は、最初に異常に気づいた奴の指示を優先する。それでいいな?」


「異論はない」


「はい。ただし、急ぐ必要がない場合は、必ず全員で確認しましょう」


「ああ、そうしよう」


ディムローが続ける。


「装置や見慣れない構造を見つけても、勝手には近づかない。先に周囲の安全を確認する」


「本当に守るんだろうな?」


「お前にだけは言われたくない」


「俺は装置に気を取られても、魔獣に飛び込んだりはしない」


「近づいて罠を動かせば、同じようなものだろ」


ディムローが反論しかけたところで、メルディが口を挟んだ。


「お二人とも、まだ信用したわけではありませんからね」


俺とディムローは、同時に彼女を見る。


「ユアンさんは、異常を見つけても1人で先に行かないこと。ディムローさんは、気になる物を見つけても勝手に調べ始めないことです」


「近づく前に2人に伝える」


ディムローが答える。


俺も続けた。


「急いでいても一言は言う」


「はい。それでお願いします」


メルディは満足したように頷いた。


「誰かが異常に気づいたら、まず短く状況を伝える。すぐに判断が必要なら、その人の指示に従う。これでよいですね?」


「ああ」


「分かった」


これで、出発前に話しておくことは一通り済んだ。

あとは、迷宮の中で本当に守れるかどうかだ。


第3進入口では、次の班が呼ばれていた。

別の進入口からも、次々と生徒たちが迷宮に消えていく。


第4進入口では、ルビアたちの班が確認を受けていた。

先頭にはオルバン。その後ろにネフィラ、最後にルビアが並んでいる。


教官が第6班の救難術式具を確認すると、石門が開いた。


ネフィラが緊張したように息を吸う。

オルバンが短く声を掛けると、杖を握り直して頷いた。


ルビアは、門をくぐる直前に一度だけ背後を振り返った。

こちらを見たのかは分からない。


次の瞬間には、銀髪が門の向こうへ消えていた。

第6班の3人が進入し、石門が閉じる。


地下では、俺たちとは別の経路を進む。


分かっていたことなのに、視界から姿が消えると、

胸の奥にわずかな落ち着かなさが残った。


「第17班」


教官の声が響く。


「入口に移動しろ」


俺たちはそろって立ち上がり、入口に向かった。


メルディは胸元の鞄に触れ、救難術式具の青い明滅を確かめた。

ディムローは地図と記録板を取り出しやすい位置に移し、

俺も双剣の柄に一度だけ触れた。


そうして、3人で石門の前に並んだ。


「進む順番を確認する」


教官が俺たちを順に見た。


「ユアンが先頭、ディムローが中央、メルディが後方だ。状況に応じて並びを変えても構わないが、互いの姿が見えないほど離れるな」


「分かりました」


メルディが答え、俺とディムローも頷いた。


教官は第17班の表示を確かめ、石門に手を向けた。

周囲に刻まれた術式が、下から順に青白く灯っていった。


岩山の内部から、低く重い音が響き、

分厚い石門が、ゆっくりと左右に沈んでいった。


閉じ込められていた冷気が一気に流れ出し、黒紺の制服の裾を揺らす。


目の前に、旧ネレイス迷宮の入口が開かれた。


地上の朝日が届くのは、門から数歩先までだった。


その向こうでは、青白い苔に縁取られた地下道が、岩山の奥へ続いていた。



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