第44話 3人班
翌日の放課後。
1年生全員が、大講堂へ集められていた。
入学式でも使われた講堂だが、約700人の新入生が揃うと、
改めてその数の多さを思い知らされる。
壇上から扇状に広がる座席は黒紺の制服で埋まり、
その中には長い耳や獣の耳も時折見えた。
席を探す者。友人を呼ぶ者。これから発表される実習について話す者。
いくつもの声が重なり、大講堂の高い天井へ反響している。
俺は指定された席へ腰を下ろした。
右隣にはディムロー。左側には、通路を1つ挟んでメルディが座っている。
席が近いことに、今のところ特別な意味はないように思えた。
まだ班分けも発表されていない。
ディムローは膝の上へ紙束を置き、
集会前から双剣の構造図に何かを書き込んでいた。
「今もやるのか?」
「忘れる前に、今日見た部品を反映してるだけだ」
「始まるぞ」
「分かってる」
そう答えながらも、紙を裏返す気配はない。
少し離れた列には、ミリアスのピンク色の髪が見えた。
今日はSクラスの生徒たちと同じ区画に座っており、
近くにルンベルたちの姿はない。
ルビアはさらに前方にいた。
腰まで流れる銀髪は、これだけの人数の中でもすぐに見つけられる。
今日はいつもの制服姿だったが、
休日に見た私服を知った後では、それさえ以前とは少し違って見えた。
ルビアが、わずかに顔を動かす。
こちらを見たような気がして、俺は一瞬だけ視線を向けた。
だが、赤い瞳はすでに壇上へ戻っていた。
やがて、講堂に響いていた声が少しずつ弱まっていく。
壇上へ、ザルティ教官が上がってきたからだ。
大演習迷宮の時と変わらない、鍛えられた大柄な身体。
腕を組んだまま講堂を見渡すだけで、最後まで残っていた話し声も止まった。
その隣には、深緑色の教官服を着た女性が立っている。
年齢は50代ほど。短く切り揃えた灰色の髪に、細い金属杖を携えている。
「揃ったな」
ザルティ教官の声が、大講堂全体へ響く。
拡声の魔法が使われているのだろう。
声を張り上げている様子はないが、最後列まで明瞭に届いた。
「昨日の通知にあった通り、今日は今月末に行う学年実習について説明する」
壇上の背後へ、白い光が広がった。
複数の術式線が空中を走り、大きな文字を形作る。
――1年生合同・低層迷宮踏査実習。
講堂のあちこちから、抑えきれなかった声が漏れた。
「迷宮……?」
「本当に地下へ行くのか」
「1年生で?」
驚いている者もいれば、待っていたとばかりに身を乗り出す者もいる。
隣のディムローも、ようやく紙から顔を上げた。
「やっぱり迷宮だったか」
「装備から予想してたな」
「地下とは限らないって言っただけだ」
「外れてはいないだろ」
「当たったとも言ってない」
妙なところで譲らない。
ザルティ教官が片手を上げると、再び講堂が静まった。
「今回、お前たちが入るのは、学院が管理している旧ネレイス迷宮。その第1低層区画だ」
文字の下に、迷宮の立体図が浮かび上がる。
湿った石造りの通路。地下水の流れる細い水路。円形の広間や複数の小部屋。
青白い苔が壁面へ広がり、いくつもの経路が複雑に繋がっている。
図だけを見れば、人工的に作られた地下施設にも見えた。
だが、一部の通路は途中から不自然に折れ曲がり、
周囲の空間を無視するように別の区画へ繋がっている。
建物として考えるなら、明らかにおかしい。
迷宮と呼ばれる理由を、図だけでも少し理解できた。
「先に言っておく」
ザルティ教官が、浮かび上がった迷宮図を背に続ける。
「これは討伐競争ではない。大演習迷宮のように、順位を争う実習でもない」
前方で、何人かの生徒が残念そうに肩を落とした。
「指定された経路を踏査し、地形と魔力状態を記録する。途中で指定された素材を回収し、班員全員で帰還する。それが今回の目的だ」
倒した魔獣の数は、評価の中心にならない。
無理に戦うより、避ける。
危険だと判断すれば、引き返す。
それを学ぶための実習らしい。
「魔獣との遭遇はある」
ザルティ教官の言葉に、空気が少し引き締まった。
「だが、第1低層区画に生息しているのは、学院が危険度を把握している個体が中心だ。教官も複数の地点へ配置する」
そこで、隣に立っていた女性教官が前へ出た。
「迷宮管理部のザクセンデです」
落ち着いた声だった。
ザクセンデ教官が細い金属杖を掲げると、立体図の複数箇所へ白い光が灯る。
「白く示された地点には、教官と救護員が待機します。各班へは、位置記録と救難信号を兼ねた術式具を配布しますので、異常を感じた時点で使用してください」
迷宮図の上を、小さな光点が移動していく。
3つずつ固まった光が、いくつもの経路へ分かれていた。
「観測室では教官だけでなく、前年に同じ実習を経験した上級生が、記録整理と位置照合を補助します」
その言葉に導かれ、俺は講堂の2階へ視線を上げた。
壇上と生徒席を見渡せる観測席に、教官服とは異なる制服姿がいくつか並んでいる。
その中央に、長い金髪が見えた。
イリス・ディアクラウン。
金色の瞳は壇上へ向けられていたが、
俺が見上げた直後、ほんの一瞬だけこちらへ動いた。
視線が重なる。
イリス王女は何も示さず、すぐに壇上へ視線を戻した。
俺も、何事もなかったように正面へ向き直った。
「実習は3人班で行う」
ザルティ教官の声に、周囲の空気がまた変わる。
誰と組むのか。
自分たちで決めるのか。
昨日から気にしていた者も多いのだろう。
講堂のあちこちで、隣に座る友人と目を合わせる姿があった。
「班は学院側で指定した」
期待していた組み合わせがあったのか、落胆するような声が少しだけ漏れる。
「入学試験、現在の履修科目、大演習迷宮を含むこれまでの記録を基に、討伐能力だけでなく、判断、踏査、支援まで含めて編成している。異論があっても変更は認めない」
ザルティ教官らしい、取りつく島もない言い方だった。
壇上へ、班の一覧が浮かび上がる。
数が多い。
全員分を読み上げるのではなく、
座席の区画ごとに対応した一覧が複数表示されているらしい。
俺は自分の名を探した。
それほど時間はかからなかった。
――第17班。
――ユアン。
――ディムロー。
――メルディ・トリステア。
ディムローが、一覧から俺を見る。
俺は通路の向こうへ目を向けた。
メルディも、同じ瞬間にこちらを見ていた。
青い瞳が俺とディムローの間を一度行き来し、それから小さく頭を下げる。
俺も軽く返した。
「……本当に近くの3人だったな」
俺が言うと、ディムローも一覧を見上げたまま答える。
「座席まで班ごとに近づけてたんじゃないか?」
「そうかもしれないな」
すぐ近くの席から、抑えた声が聞こえる。
「前衛は、あの魔力なしの奴か?」
「でも、まともに魔法を撃てるのは赤髪の方だけだろ」
「聖女様がいるなら、死にはしないんじゃないか」
悪意よりも、純粋な疑問に近い声だった。
確かに、表面だけを見れば火力の低い班に見える。
ディムローが、紙束を抱えたまま小声で言った。
「誰が魔獣を倒すんだ?」
本人まで同じ疑問を持っていたらしい。
「必要なら、俺が止める」
「止めた後は?」
「相手と地形を見て決める」
「今は決めないのか?」
「迷宮で何が出るかも分からないだろ」
ディムローが嫌そうに眉を寄せる。
その会話が聞こえたのか、メルディが通路越しに口を開いた。
「倒さずに進める可能性もあります。必要なら、止めてもらっている間に、私たちで方法を探しましょう」
穏やかな声だった。
だが、言っていることは俺とほとんど同じだ。
ディムローが、俺とメルディを交互に見る。
「……不安になってきた」
「始まる前から諦めるな」
「まだ何も始まってないから不安なんだよ」
「自分の班を確認した者から、班員同士で顔を合わせろ」
ザルティ教官の声が、講堂へ響いた。
「5分後に説明を再開する」
一斉に生徒たちが立ち上がり、座席の間を移動し始める。
俺は再び一覧へ目を向けた。
少し離れた位置に、ルビアの名がある。
――第6班。
――ルビア・フォルテア。
――オルバン・セリス。
その下には、聞き覚えのない女子生徒の名が記されていた。
ルビアの近くで、青灰色の短髪をした少女が立ち上がる。
オルバン・セリス。
ルビアより背は低い。
細身で、短く揃えた髪や迷いのない足取りには、どこか少年めいた印象があった。
彼女は座席の間を抜け、ルビアの隣まで移動した。
「オルバン・セリスです。Aクラスで、土属性の防壁魔法を得意としています」
簡潔な自己紹介だった。
ルビアも立ち上がり、オルバンへ赤い瞳を向ける。
「ルビア・フォルテアよ。火力は私が担うわ」
初対面の相手へ遠慮する様子はない。
命令というより、事実を確認している声だった。
オルバンも気分を害した様子は見せなかった。
「分かりました。では、あなたが撃てる時間を作ります」
ルビアは、相手の立ち姿を確かめるように、一度だけ視線を巡らせた。
「ええ。そうして」
短い返答だった。
もう1人の女子生徒も、少し緊張した様子で2人のもとへ近づいていく。
ルビアは彼女へも視線を向けた。
表情は変わらない。
だが、無視することもなかった。
さらに一覧を追うと、ダルタスの名も見つかった。
彼の班員は、どちらもAクラスの座席から立ち上がった男子生徒だった。
発表された直後から、2人は明らかに緊張している。
無理もない。
エルヴェイグ帝国の代表であり、大演習迷宮では1位。
普段から隙のないダルタスと突然同じ班になれば、何を話せばいいのか迷うだろう。
だが、ダルタスはいつもと変わらなかった。
制服にはわずかな乱れもなく、黒い瞳には穏やかな余裕がある。
緊張する2人へ自ら歩み寄り、柔らかく笑った。
「よろしく。まずは、2人の得意なことを教えてもらえるかな」
片方が答えると、ダルタスはその内容をすぐ役割へ結びつける。
続いてもう1人が名乗る。
一度聞いただけの名前を、ダルタスは自然に呼び返した。
それだけで、2人の表情からわずかに緊張が抜ける。
数分もしないうちに、3人の会話はダルタスを中心にまとまり始めていた。
あれも、1つの才能なのだろう。
俺には、同じことはできそうになかった。
「班員の確認は終わったな」
5分後、ザルティ教官の声が飛び、立ち上がっていた生徒たちが席へ戻る。
講堂上空の一覧が消え、再び旧ネレイス迷宮の立体図が広がった。
今度は、先ほどよりも詳細な区画が映し出されている。
入口から続く整備済みの通路。
教官と救護員の待機地点。
各班へ割り振られる複数の経路。
第1低層区画は白く表示され、その外周を太い黒線が囲んでいた。
境界の向こうは光量が落とされ、通路らしき細い影だけが深部へ伸びている。
白い区画の光が、壇上を見上げる生徒たちの顔を下から照らす。
その奥の封鎖領域には、光がなかった。
「実習当日は、班ごとに指定された経路へ入る」
ザルティ教官が、指揮杖で第1低層区画を示した。
「迷宮では、地図と実際の通路が完全に一致するとは限らない。小規模な変動が起きた場合は、自分たちの位置を確認し、無理に予定経路へ戻ろうとするな」
指揮杖の先が、白い区画の外周へ移る。
境界線が淡く明滅した。
「お前たちが入るのは、ここまでだ」
そのさらに奥。
光のない封鎖領域が、迷宮の深部まで続いている。
「この線を越えた班は、理由を問わず失格とする」
ザルティ教官は、講堂全体を見渡した。
「救助が必要でも、自分たちだけで奥へ入るな。信号を出し、待機しろ。それができない者を、迷宮へ入れるつもりはない」
先ほどまで実習を楽しみにしていた者も、今は黙って立体図を見上げている。
「全員で入り、全員で戻る。それが今回の最低条件だ」
ザルティ教官の指揮杖が、白い区画と封鎖領域を隔てる線をなぞる。
「この線を、絶対に越えるな」
笑う者はいなかった。




