第41話 気が向いたらね
数日後の休日。
学院都市は、平日よりも人が多かった。
シルン魔導学院の正門から続く大通りには、
学生向けの武具店や触媒店、薬舗、書店が並んでいる。
通りの先には飲食店や服飾店も集まり、学院生だけでなく、
商人や冒険者らしい人間の姿もあった。
休日にもかかわらず、制服を着た学院生が多い。
黒紺の生地に銀白の縁取りが入ったシルンの制服は、
それ自体が下手な身分証よりも強い信用を持っている。
家名も後ろ盾も持たない学生にとって、
世界最高峰の学院に所属しているという事実は、身を守る鎧にもなるのだろう。
俺も制服姿だった。
私服を何着も買う余裕がないという理由もあるが、
学院都市で動くなら、制服の方が何かと都合がいい。
隣を歩くディムローも同じだった。
もっとも、本人は周囲の服装などほとんど見ていない。
通りへ出てからずっと、
店先へ並べられた魔導部品や金属素材へ視線を奪われている。
「次、あそこに寄っていいか?」
ディムローが、通りの向かいにある素材店を指した。
「さっきも同じことを聞かなかったか?」
「さっきの店は金属加工が中心だった。あそこは触媒用の接続部品を扱ってる」
「店の外から分かるのか」
「看板を見れば分かるだろ」
見上げると、店の看板には歯車と魔石を組み合わせた意匠が刻まれていた。
俺には、似たような店にしか見えない。
今日の目的は、再設計する双剣に使える部品と素材の確認だった。
学院工房でも基本的な加工はできるが、ディムローは設計を固める前に、
外で扱われている部品も見ておきたいらしい。
選択肢を知らないまま作る方が危険だと言われ、俺も同行することにした。
ただし、値札を見た時だけは、外へ来たことを少し後悔した。
「この小さな金具が、こんなにするのか?」
店先に置かれた銀色の接続具を見て尋ねる。
俺の指先より少し大きい程度だ。
それなのに、表示された金額は、学院食堂の追加食を何十回も頼める額だった。
「小さいかどうかは関係ない。魔力を流しても膨張しにくい合金だし、加工精度も高い」
「見えない場所に使う部品だろ」
「見えない場所が壊れたら、全部壊れるんだよ」
ディムローは当然のことのように言い、接続具を光へ透かした。
店員よりも真剣な顔をしている。
「買うのか?」
「まだ買わない。設計が決まってないから」
「それなら、見るだけでいいんじゃないか?」
「だから見てるんだろ」
言い返せなかった。
ディムローは接続具を元の場所へ戻し、今度は隣の棚へ移動する。
休日だというのに、やっていることは普段とあまり変わらない。
俺も人のことは言えなかった。
双剣の再設計に必要だと聞けば、休日を潰して歩き回ることに不満はない。
むしろ、工房の完成を待つだけでいる方が落ち着かなかった。
店を出て、次の通りへ向かう。
学院から少し離れた区画へ入ると、武具店や素材店の数が減り、
代わりに服飾店や装飾品を扱う店が増えていった。
通りには、仕立ての良い外套を着た令嬢らしい少女や、
買い物袋を抱えた若者たちが行き交っている。
店先の鏡へ帽子を合わせる女性もいた。
俺には縁の薄い区域だった。
「こっちで合ってるのか?」
「地図だと、この先に触媒用の保護具を扱ってる店がある」
ディムローは地図へ目を落としながら答えた。
「服屋しか見えないけど」
「服飾用の魔導素材も扱ってる店なんだよ。耐熱布とか、魔力を通しにくい糸とか」
なるほど、と答えかけた時だった。
「おい、ユアン。あれ見ろよ」
ディムローが突然、足を止めた。
技術とも素材とも関係のない方向を見ている。
珍しいこともあるものだと思いながら、その視線を追う。
「すげえ綺麗な子がいるぞ」
人通りの向こうに、銀髪の少女がいた。
制服ではない。
それでも、俺にはすぐに分かった。
「ルビアだよ」
「え?」
ディムローは俺と少女を交互に見た後、
もう一度その姿を確かめるように目を凝らした。
「ルビアって……あのルビア様?」
「ああ」
言われても、すぐには結びつかなかったらしい。
無理もない。
もし前の世界の記憶がなければ、
俺も遠目に見ただけでは、あれがルビアだと気づけなかったかもしれない。
それほど、制服を脱いだ彼女は普段と印象が違っていた。
黒の細かな編み目が入った、細身のノースリーブの上衣。
腰からまっすぐ落ちる、淡い空色のワイドデニム。
肩には、柔らかなクリームホワイトのカーディガンを軽く羽織っている。
細い肩紐の黒革鞄と、足元の白い軽装靴まで含め、
使われている色は多くなかった。それでも地味には見えない。
黒は銀髪を際立たせ、淡い青とクリーム色が全体の印象を柔らかく整えている。
制服姿とはまるで違うのに、彼女自身の存在感だけは少しも薄れていなかった。
彼女の隣には、身なりの整った女性従者が付き従っていた。
胸元に刻まれた紋章を見る限り、フォルテア大公家の人間らしい。
2人は、通りに面した専門店の前で何かを確認している。
ルビアが店員から説明を受ける間にも、
周囲の視線は自然と彼女へ引き寄せられていた。
近くの服飾店から出てきた少女たちは、会話の途中で言葉を止め、
ルビアの装いを目で追っている。
店先に立っていた女性店員まで、彼女と自分の店に並ぶ服を交互に見比べていた。
向かいから歩いてきた青年は、ルビアとすれ違う前から視線を外せずにいた。
そのまま数歩進んで足を止め、連れの男に肩を叩かれるまで、
ただ彼女の後ろ姿を見つめていた。
誰が見ても、別格なのだろう。
服飾商会が宣伝用に彼女の写真を1枚飾れば、
翌日には同じ色の服が街から消えるかもしれない。
服が彼女を美しく見せているだけではない。
彼女が身につけることで、その服まで特別なものに見えていた。
不意に、ルビアがこちらへ顔を向けた。
赤い瞳が、俺とディムローを捉える。
ほんの一瞬だけ、足が止まったように見えた。
ルビアは隣の従者へ何かを告げる。
従者は俺たちの存在にも気づいたらしく、
一度だけこちらへ目を向け、それから静かに頷いた。
人通りのざわめきが途切れた瞬間、ルビアの声が届く。
「受け取りの確認をお願い。私はここで待っているわ」
「承知いたしました」
従者は何も尋ねず、店内へ入っていった。
ルビアはその場で待つと言った。
それなのに、数秒後には自分から俺たちの方へ歩き始めていた。
近づくにつれ、遠目では分からなかった細部まで見えてくる。
黒い上衣は、細い筋目の浮かぶ布で仕立てられ 、
彼女の身体へ無理なく沿っていた。
肩から腕にかけて覗く肌は、陽光の下でも透けるように白い。
細い腰から淡青色の布が落ち、歩くたびに長い脚の輪郭を柔らかく拾う。
華奢な輪郭でありながら、
身体には同年代の少女よりも目を引く豊かな柔らかさがあった。
黒い上衣はその線を隠しきってはいないが、露骨に強調することもなく、
細い腰や長い脚とともに全身の均整へ綺麗に収めている。
黒革鞄の金具には曇り一つなく、
クリーム色のカーディガンも柔らかそうに見えて形を崩していない。
高価だから美しいのではない。
彼女が、自分に似合うものを知った上で選び、組み合わせたからこそ美しく見える。
ルビアは俺たちの前まで来ると、静かに足を止めた。
すぐ近くに立つと、澄んだ空気の中で、青薔薇を思わせる香りが微かに届いた。
「ルビア、こんなところで何してるんだ?」
俺から声をかける。
彼女が自分からこちらへ歩いてきたことには、あえて触れなかった。
ルビアは赤い瞳をわずかに細めた。
「それは、こっちの台詞よ。休日にまで制服を着て、2人で何をしているの?」
「双剣の部品を見に来た。ディムローが、工房の外にある物も確認したいって言うから」
隣から補足が入るかと思ったが、何も聞こえない。
横を見ると、ディムローは先ほどとほとんど同じ姿勢のまま、ルビアを見ていた。
目を見開き、口をわずかに開けている。
完全に固まっていた。
「……ディムロー?」
呼んでも反応しない。
ルビアも彼の様子へ気づき、怪訝そうに眉を寄せた。
「どうしたの、この人」
「たぶん、君を見て驚いてる」
「今さら?」
「制服の時と、かなり印象が違うからな」
ルビアは怪訝そうにディムローを見ていたが、
返事がないと分かると、それ以上は気にせず俺へ視線を戻した。
その視線が、わずかに自分の服へ落ちる。
それから、俺の顔へ戻った。
「さっきから、何を見ているの?」
問いかける声に、不安はない。
自分の選んだものが似合っているという確信はあるのだろう。
それでも、すぐには視線を外さない。
ただ、俺の反応を待つように、じっとこちらを見ている。
その目を見た瞬間、古い記憶が重なった。
前の世界の彼女も、服を選ぶことが好きだった。
新しい服を着るたび、何も言わずに俺の前へ立ち、ただじっとこちらを見る。
似合うかと聞くわけでも、褒めてほしいと言うわけでもない。
けれど、感想を言うまで、その場から動こうともしなかった。
少しでも返事が遅れれば、目元が露骨に険しくなる。
求める答えじゃなくても睨まれた。
そんな姿を、何度も見てきた。
目の前のルビアは、あの頃の彼女ではない。
俺と過ごした時間も、俺へ服を見せた記憶も持っていない。
分かっている。
それでも。
こうして似たものを見つけるたび、
嬉しいと思ってしまう自分まで否定することはできなかった。
俺が黙ったままでいると、ルビアの眉がわずかに寄る。
肩にかかった銀髪の毛先を、白い指へ巻きつけるように弄んだ。
「何?」
その仕草まで、どこか感想を待っているように見えた。
けれど、前の彼女と同じだから似合うと思ったわけではない。
今、目の前にいるルビアが、自分で選んだ服を着て立っている。
その姿を、本当に綺麗だと思った。
「似合ってる」
「……そう」
「黒もいいけど、その淡い青が君の髪に合ってる。カーディガンの色も、全体が重くならないように選んだんだろ?」
ルビアの指先が、銀髪に巻きついたまま止まった。
赤い瞳が、ほんの少しだけ見開かれる。
外見ではなく、
自分で選んだ組み合わせまで見られるとは思っていなかったのかもしれない。
「ええ。黒だけでは強すぎるもの。白では髪と重なるから、少し色を落としているわ」
「やっぱり、君が選んだのか」
「当然でしょう」
返事には、いつもの自信が戻っていた。
「用意された物をそのまま身につける趣味はないわ。丈も輪郭も、私に合うよう直させているもの」
声には、隠しきれないこだわりがあった。
魔法や家名について話す時とは違う。
誰かから課された役割ではなく、
自分が好きで選んでいるものについて語る声だった。
かつて、選ぶことさえ許されなかった幼い彼女の姿が、
ほんの一瞬だけ脳裏をよぎった。
今のルビアには、自分で選び、好きだと思えるものがある。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
「本当に綺麗だ」
考えるより先に、言葉が出た。
ルビアが瞬きをする。
「服だけじゃなくて、君も。正直、少し見すぎた」
数秒、返事がなかった。
銀髪へ触れていた指がゆっくり離れ、今度は黒革鞄の細い肩紐を持ち直す。
「……そう」
それだけだった。
顔色は変わっていない。
けれど、答えるまでの間は、普段よりほんの少しだけ長かった。
ルビアは話題を変えるように、俺の腰へ視線を向けた。
「それで、その借り物の剣はいつまで使うつもりなの?」
「再設計が終わるまでだ。今日は、そのための部品を見に来た」
「休日まで剣のことを考えているのね」
「君も何か用事があって来たんじゃないのか?」
「長杖に組み込んだ副核の保護具を受け取りに来たのよ。素材の熱と魔力を遮断する専用品だから、実物を確認しておきたかったの」
「休日まで杖のことか」
先ほどと同じ言葉を返す。
ルビアの赤い瞳が細くなる。
「あなたにだけは言われたくないわ」
「それもそうだな」
互いに休みの日まで、剣と杖のために街へ来ている。
俺が素直に認めると、ルビアは少しだけ口元を緩めた。
笑ったのかと思うより早く、いつもの表情へ戻る。
「でも、わざわざ本人が来る必要はあったのか? 受け取るだけなら、従者に頼めただろ」
「色や形まで確認せず、何でも人任せにすると思う?」
「それもそうか」
「なら聞かないで」
もっともだった。
保護具そのものにも見た目の違いがあるのだろう。
ルビアにとっては、性能さえ足りれば何でもいいという話ではない。
彼女は肩へ羽織ったカーディガンをわずかに整えた。
「それに、たまには外へ出るのも悪くないわ」
小さな声だった。
息抜きのためだとは、決して言わないのだろう。
「そうだな。似合う服まで選べたなら、来た意味はあったんじゃないか」
「これは今日買った物ではないわ」
「そうなのか」
「休日に着るため、前から用意していたものよ」
その答えに、少しだけ引っかかる。
「学院へ来る前から?」
「ええ」
「休日に街へ出るつもりはあったんだな」
ルビアは一瞬だけ黙った。
「必要になった時のためよ」
どうやら、素直に楽しみにしていたとは認めたくないらしい。
追及はしなかった。
その時、専門店の扉が開いた。
従者が、薄い箱を両手で持って出てくる。
ルビアはすぐにそちらへ顔を向けた。
「ルビア様。確認が終わりました。ご指定どおり、外装の色と金具も調整されております」
「そう。ありがとう」
従者は箱を抱えたまま、俺とディムローへ一礼した。
ルビアが俺と話していたことには気づいているはずだが、
余計なことは何も口にしない。
ルビアも、彼女の前ではどこか自然に見えた。
「それじゃ、私は行くわ」
「ああ」
ルビアは従者の隣へ並び、歩き出しかける。
その背中へ、俺はもう一度声をかけた。
「ルビア」
彼女が振り返る。
銀髪が、陽光を受けて肩の上を滑った。
「その服、本当に似合ってるよ」
一度言ったことを繰り返している。
それでも、言っておきたかった。
「また違うのも見てみたいな」
ルビアの赤い瞳が、わずかに揺れた。
従者も、ほんの一瞬だけ彼女を見る。
「……気が向いたらね」
平静な声だった。
ルビアはそれ以上何も言わず、再び歩き出す。
従者と並んだ銀髪が、人の流れの中を遠ざかっていく。
少し進んだところで、ルビアの右手が肩へ上がった。
カーディガンを直すのかと思ったが、その指は銀髪の毛先へ触れる。
俺に感想を尋ねた時と同じように、
毛先を指へ巻きつけ、ほんの少しだけ遊ばせていた。
すぐに手を離し、そのまま振り返らずに歩いていく。
姿が人波の向こうへ消えるまで、俺はその背中を見送った。
「……ディムロー」
返事がない。
隣を見る。
ディムローは、ルビアが去った方向を見たまま、まだ固まっていた。
「おい」
肩を叩く。
ディムローは大きく瞬きをし、ようやくこちらを向いた。
「今の、本当にルビア様か?」
「最初からそう言っただろ」
「制服の時と全然違うじゃないか」
「服が違うからな」
「そういう話か?」
たぶん、そういう話ではない。
ディムローはもう一度、ルビアが消えた方向を見る。
「俺、途中から何を話してたのか全然聞いてなかった」
「何も話してないだろ、お前は」
「話しかけられた気がする」
「気のせいじゃない。実際に呼ばれてた」
「返事したか?」
「してない」
ディムローは両手で顔を覆った。
「最悪だ……」
「気にしてないと思うぞ」
「それはそれで傷つくんだけど」
ようやく普段の調子へ戻ったらしい。
俺たちは、途中になっていた買い物へ戻るため、再び通りを歩き出した。
ディムローは少し進むたびに、まだ何度か後ろを振り返っていた。
俺も人のことは言えない。
前の世界と似たところを見つけるたび、どうしても嬉しくなる。
けれど、今日見た服も、色の組み合わせも、
細部へのこだわりも、今のルビアが自分で選んだものだった。
俺の知らなかった彼女を、また1つ知ることができた。
それが、ただ嬉しかった。




