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死の運命の弾き方  作者: タカツキビヨン


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第22話 大演習迷宮・開門

実習当日。


学院の外周区画へ近づくにつれ、生徒たちの声は次第に少なくなっていった。

遠くからでも、その存在は見えていた。


大演習迷宮。


シルン魔導学院の敷地内にありながら、1つの街区さえ覆い隠せそうな巨大な半球状施設。


薄青い結界膜が、空へ向かって緩やかな弧を描いている。

陽光を受けるたび、その表面を無数の術式が走った。

結界の向こう側では、木々の影が揺れている。


だが、次の瞬間には、それが岩山の輪郭へ変わった。


森。

廃墟。

岩場。

水辺。

地下通路。


内部に組まれた環境結界が、実習開始に向けて地形を作り替えているらしい。

巨大な迷宮そのものが、ゆっくりと目を覚ましているようだった。


「……大きいな」


思わず声が漏れた。


名前は聞いていた。

遠くから姿を見たこともある。

だが、こうして入口近くまで来ると、規模がまるで違う。


1年生約700人が集まっているにもかかわらず、施設の前では人の群れが小さく見えた。


生徒たちは学院支給の訓練用戦闘服を着ている。


黒紺を基調とした軽装に、銀白の細い縁取り。


剣を提げる者。

杖を持つ者。

片手剣と短杖を組み合わせる者。

触媒らしい指輪や首飾りを確かめる者。


装備の形は違っても、全員がこれから始まる実習を意識していた。


緊張。

期待。

恐怖。

報酬への欲。


それらが混ざり合い、普段の講堂とは違うざわめきを生んでいる。


俺は腰の双剣へ手を触れた。

左の短剣。

右の長剣。


数日ぶりに戻ってきた、本来の武器。


短剣の背から柄へ続く虚環銀の筋。

長剣の内部を通る、鈍い銀。


外見上の変化は小さい。

けれど、何度か安全設備の中で試した限り、以前とは確実に違っていた。


魔力へ触れた瞬間の抵抗が、ほんの少しだけ弱い。


短剣で表面を崩す。

長剣で流す。

俺が身体で覚えてきた動きを、剣がわずかに助けてくれる。


ただし、万能ではない。


受けられる限界が急に上がったわけではない。

連続して魔力へ触れれば、虚環銀が熱を蓄える。

剣そのものが壊れる前に、俺が使用を止めなければならない。


試作品。


ディムローは、そう呼んでいた。

今の俺には、それで十分だった。


「ユアンくん」


横から声がして、振り返る。


ミリアスが立っていた。


ピンク色の短い髪が、風に揺れている。

戦闘服姿でも、普段と変わらず明るい。

手には、複数の小さな魔石を組み込んだ標準杖が握られていた。


「本当にソロなんだね」


「ああ。ミリアスもだろ?」


「うん。いっぱい誘ってもらったんだけど、今回は1人でやってみたくて」


言いながら、少し楽しそうに杖へ触れる。

不安より期待の方が強いらしい。


「でも、迷子になったらどうしよう」


「地図は出るんじゃないのか?」


「簡易地図だけだって。しかも地形、途中で変わるらしいよ」


「それは迷子になるな」


「そこは否定してよ」


ミリアスが頬を膨らませる。


その向こうでは、メルディが数人の生徒に囲まれていた。

どうやら最後までチームへ誘われているらしい。

メルディは困ったように微笑みながら、1人ずつ丁寧に断っている。


最終的に彼女もソロを選んだ。

治癒役として誰かに守られるのではなく、自分1人でどこまで人を守れるのか。それを確かめたいのかもしれない。


少し離れた場所には、ダルタスがいた。


彼もソロ登録のはずだ。

それなのに、周囲には何人もの生徒が集まっている。


何かを命じているようには見えない。

ただ、笑顔で話を聞いているだけ。


時折、相手の肩を叩き、短く言葉を返す。

それだけで、話しかけた生徒たちは妙に満足そうな顔をして離れていく。


本人は何もしていないように見える。

それでも、人が動く。


何度見ても、あの男の周囲だけ空気が違った。


そして。


少し離れた列に、ルビアがいた。


黒紺の戦闘服。

銀髪の下で、灰白色の長杖を握っている。


周囲には誰もいない。


孤立しているわけではない。

誰も、気軽に隣へ並べないだけだ。


ルビアは視線に気づいたのか、こちらを見た。


赤い瞳と目が合う。

ほんの一瞬。


何か言うべきか迷う。

向こうも同じだったのかもしれない。


結局、俺は軽く手を上げた。


ルビアはわずかに目を見開き、それから小さく顎を引いた。

それだけだった。


けれど、以前なら視線を逸らされて終わっていた。

少なくとも、今は違う。


「ユアンくん、ルビアちゃんと仲良くなったんだね」


すぐ隣から、ミリアスが言った。


その声音に、からかうような響きはない。

ただ、目に入った変化を素直に口にしただけらしい。


俺はもう一度、ルビアの方を見る。

彼女はすでに視線を前へ戻していた。


「前よりは話すようになったよ」


「へえ」


「試験場のことも、ちゃんと話せたから」


「そっか」


ミリアスは嬉しそうに笑った。


「よかったね」


「ああ」


照れるようなことでもない。


ルビアと言葉を交わせるようになった。

それは単純に、良い変化だった。


ミリアスに対して隠す理由もない。


ただ、その事実を口にしただけなのに。

なぜか胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなった。


「全員、静かにしろ」


拡声術式を通したザルティ教官の声が、施設前へ響いた。


約700人分のざわめきが、少しずつ収まる。


大演習迷宮の正面には、複数の巨大な門が並んでいた。

その上には、1から20までの番号が浮かんでいる。


生徒たちは事前に指定された門の前へ分けられていた。

1つの入口につき、30人から40人ほど。


俺は第7門。


ルビアは別の門だった。


ミリアスも。

ダルタスも。


主要な生徒同士が開始直後に固まらないよう、意図的に分散されているらしい。


壇上では、ザルティのほかにも十数人の教官が並んでいた。


カルゼン教官の姿もある。

触媒構造論の老教官。

治癒魔法科の教官。

見覚えのない教官も多い。


全員がそれぞれ、迷宮内の異なる区域を監視するのだろう。


ザルティが片手を上げる。

足元から光が広がった。


淡い術式が地面を走り、生徒たちの身体を順に包んでいく。

俺の胸元にも、小さな円形の光印が浮かんだ。


安全結界用の術式。


致命傷相当の攻撃を検知すれば、迷宮側の防護結界が介入する。

同時に、本人を戦闘不能と判定し、強制的に退場させる。


光印は数秒だけ輝き、戦闘服の中へ溶けるように消えた。


「最後に確認する」


ザルティが言う。


「これは競技だが、遊びではない」


生徒たちの顔から、わずかに笑みが消える。


「安全結界があるからといって、無謀な攻撃をしていい理由にはならない。結界が防ぐのは致命傷相当の損傷だ。痛みも、疲労も、魔力枯渇も、装備の破損も消してはくれない」


元軍人らしい、容赦のない声だった。


「迷宮内で、お前たちは学院に守られている。それは事実だ」


一度、言葉を切る。


「だが、守られていることへ甘えて戦うな。安全結界がなければ、今の攻撃で何が起きていたのか。それを常に考えろ。そうでなければ、何も学べない」


大演習迷宮の結界膜が、強く光った。

半球の表面を覆っていた術式が、中心から外側へ波のように広がっていく。


同時に、20の門が低い音を立てて開き始めた。


門の向こうは暗い。

施設内部へ直接続いているようには見えない。

淡い光が渦を巻き、その奥の景色を隠している。


転送門。

入った生徒を、迷宮内の異なる地点へ送るためのものだ。


周囲の空気が一気に張り詰める。

誰かが杖を握り直す。

別の誰かが息を吐く。


俺も両手の黒手袋を確かめ、双剣の柄へ触れた。


「実習時間は3時間」


ザルティが告げる。


「開始地点から一定範囲には、他の生徒は配置されない。ただし、その安全は長く続かない」


巨大な光の板へ、開始までの数字が浮かぶ。


10。


周囲の生徒たちが構える。


9。


魔力の気配が膨らむ。


8。


第7門の光が強くなる。


7。


俺は左足を半歩引いた。


6。


狙うのは、5位。


5。


だが、最初から点数を調整する必要はない。


4。


まずは、自分の現在地を知る。


3。


剣の性能。

身体の回復。

魔獣の強さ。


2。


すべて、ここで確かめる。


1。


ザルティの声が響いた。


「大演習迷宮実習――開始」


生徒たちが一斉に走り出した。


俺も地面を蹴る。

光の渦へ飛び込んだ瞬間、視界が白く染まった。



足の裏へ、柔らかな感触が返ってきた。


土。


湿った土の匂い。

葉の擦れる音。

頬を撫でる風。

遠くからは、水の流れる音まで聞こえてくる。


視界が戻った。


そこは森だった。


高い木々。

複雑に絡み合う根。

頭上を覆う濃い葉。

その隙間から落ちる木漏れ日が、地面を細く照らしている。


振り返っても、転送門はない。


周囲に他の生徒の姿もなかった。

開始地点は完全に分けられているらしい。


俺は近くの木へ手を伸ばした。

指先へ、ざらついた樹皮の感触が返ってくる。


これが学院の中に作られた環境だとは、にわかには信じられなかった。


幻覚を見せられているわけではない。

森に見えるだけの張りぼてでもない。


少なくとも、今ここにある土も、風も、木々も、本物と区別がつかなかった。


外から見れば、巨大な半球状の施設にすぎない。

その内側へ、これほど広い森を丸ごと作り上げている。

しかも、その地形を途中で組み替えるという。


魔法を使えない俺には、どれほどの術式が重ねられているのか想像すらできなかった。


世界最高峰。


その言葉が、初めて実感を伴って胸へ落ちた。


だが、感心して立ち止まっている時間はない。

俺はすぐに腰を落とし、周囲の気配を探った。


風。

葉。

遠くで流れる水。

右前方から、何か重いものが地面を踏む音。


近い。


俺は短剣だけを抜いた。

長剣はまだ鞘へ残す。

相手の性質も分からないうちから、両手を塞ぐ必要はない。



視界の端に、小さな光の板が浮かんでいる。


所持ポイント。

0。


簡易地図。

自分の周辺だけが薄く表示されている。

地図の外側は灰色に塗り潰されていた。


上位順位はまだ表示されていない。


右前方の茂みが揺れた。

音が止まる。


こちらも動かない。


数秒。


静寂。


次の瞬間。


茂みを突き破り、灰色の塊が飛び出してきた。


四足。

全長は人間の腰ほど。

背中から頭部にかけて、岩のような甲殻に覆われている。

前脚は太く、爪の代わりに黒い鉱石のような突起が伸びていた。


岩甲獣。


教本で見たことがある。

危険度は低い。

だが、正面の甲殻は低位魔法程度なら弾く。


動きも、見た目より速い。


岩甲獣は地面を蹴り、一直線に突進してきた。


俺は、その動きを見た瞬間に攻撃の軌道を読んでいた。

少なくとも、目の前の魔獣は人間より単純だった。


恐怖も。

怒りも。

空腹も。

身体の動きへ、そのまま表れる。



前の世界では、数え切れないほど相手にしてきた。


種類も。

大きさも。

力も違う。


だが、獣が獲物へ飛びかかる時の癖は、大きく変わらない。


俺は横へ避ける。

必要最低限の一歩。


前脚の爪が、戦闘服の裾から離れた場所を通り過ぎる。


振り向くより早く、尾が横薙ぎに飛んできた。


来ることは分かっていた。

短剣で受ける必要もない。


身体を沈め、頭上へ通す。


魔獣は勢いのまま木へぶつかった。


低い唸り声。

甲殻が木の幹を削る。


攻撃の直後。


首と前脚の付け根がわずかに開く。


弱点。

予想どおりだった。


俺は踏み込んだ。

右手で長剣を抜く。


その瞬間。


岩甲獣の口元に光が集まった。


低位の魔力弾。


回避できる。

魔獣の攻撃動作も、次に狙う場所も読めている。

この程度なら、剣を試しながらでも余裕はある。


俺は左の短剣を魔力弾の軌道へ置いた。

正面から受けない。


端だけ。


淡い黄色の魔力弾が、短剣の背へ触れた。

虚環銀の細い筋が、一瞬だけ光る。


衝撃はあった。


だが、左手はぶれない。

痺れもない。

以前なら、魔力の表面を弾こうとした瞬間に力が刃へ重く残っていた。


今は、短剣がその負荷を受け止めるのではなく、触れた場所から崩している。

魔力弾の輪郭が、わずかに乱れた。


完全に消えたわけではない。

威力も残っている。


それでも、力の方向が1つではなくなった。


俺は短剣を下へ落とし、そのまま長剣の背を重ねる。


押し返さない。

斜めへ。

黄色の光が、長剣の背を滑った。


魔力弾は俺の脇を抜け、後方の木へぶつかる。


乾いた破裂音。

樹皮が削れた。


俺の腕は、構えた位置からほとんど動いていない。


想像していたよりも、ずっといい。


剣の補助が強すぎるわけではない。

俺が本来行っていた動きを、ほんの少しだけ滑らかにする。


自分の身体と、改修された双剣。

どちらも問題なく動いている。


俺は止まらない。


魔力弾を放った直後、岩甲獣の首は伸びきっている。


一歩。


地面を蹴る。

長剣を返し、甲殻の隙間へ刃を滑り込ませた。


深く斬る必要はない。


刃先が首元へ触れた瞬間、岩甲獣の全身を青い光が包んだ。

魔獣の姿が、細かな光へ変わる。


消滅。


目の前の光板に数字が加算された。


討伐ポイント。

10。


初戦。

危険度の低い魔獣。


大した点ではない。


戦闘と呼ぶほどの苦戦もなかった。

前世から積み上げてきた経験を考えれば、この程度の魔獣に時間を取られる理由はない。


それでも、俺は剣を下ろさず、周囲を見回した。


別の気配はない。

そこで初めて、短剣へ視線を落とす。


鈍い銀の筋。

触れれば、ほんの少し温かい。

低位の魔力弾を1発。


腕には何の異常もない。

剣も、俺の動きを十分に支えていた。


問題は虚環銀の方だ。


安全設備で試した時より、残った熱が少し強い。

訓練用の魔力弾よりも、実際の魔獣が放つ魔法の方が流れが粗かったからか。

あるいは、単純に出力が違ったのかもしれない。

理由までは分からない。

ただ、実戦では試験時より早く熱が溜まる可能性がある。


しかし。


使える。

想像していた以上に。


だが、使い続ければ限界が来る。


俺は短剣を軽く振り、剣身へ残った熱を空気へ逃がす。

完全には冷えない。


時間が必要だ。


「なるほど」


独り言が漏れた。


魔法を受けるほど強くなる剣ではない。

受け続けられる剣でもない。

必要な一度を、少しだけ通しやすくする。


その程度。

それでいい。

その一度が、生死を分けることもある。


俺は双剣を鞘へ戻した。


簡易地図を見る。

少し離れた場所に、低得点魔獣らしい反応が2つ。

さらに遠くに、水辺。


地形を確認するため、まず高い場所へ出たい。

走り出そうとした、その時だった。


遠く。


森の向こう側で、赤い光が空へ立ち上った。

木々の隙間からでも分かる。


炎。

高く。

鮮烈に。

結界で作られた空が、一瞬だけ赤く染まる。


距離がある。


正確な場所は分からない。


それでも、この規模と立ち上がりの速さを見れば、誰の炎かは考えるまでもなかった。


もう戦い始めている。


あの火力なら、序盤の魔獣など相手にならないだろう。


俺は炎が消えた空を、一瞬だけ見上げた。


そして、地面を蹴った。

こちらも、止まっている暇はない。


大演習迷宮は、まだ開いたばかりだった。


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