第16話 それぞれの教室 前半
決闘魔法の授業が終わった後、ディムローは別の講義棟へ向かっていた。
次の授業は、触媒構造論。
名前を聞いただけで、少し足取りが軽くなっている自覚はあった。
決闘魔法の演習場では、正直、居心地が悪かった。
魔法を撃ち合う場。貴族たちの視線。
SクラスとAクラス、Bクラスの上位者が入り混じる空気。
その中にいると、どうしても背中が硬くなる。
自分が何を言うべきか、どこまで踏み込んでいいのか。
余計なことを口にして、また取り返しのつかないことにならないか。
けれど、触媒構造論の教室に入った瞬間、その硬さは少しだけほどけた。
広い講義室だった。
正面の壁には、長さも素材も異なる杖が並び、
その隣には指輪や首飾り、腕輪、剣型の触媒まで置かれている。
一見しただけでは用途の分からない、複雑な金属器具もあった。
生徒たちの机には、小さな魔石と数種類の金属片が用意されている。
教材の並ぶ机を見た瞬間、胸元で握っていたディムローの手が、
いつの間にかほどけていた。
他の生徒には、どれも同じような教材に見えるのかもしれない。
けれど、ディムローには、同じ金属片など1つもないように思えた。
どこから魔力を受けるのか。
どこで増幅するのか。
どこに負荷が溜まるのか。
術式が乱れた時、最初にどこが壊れるのか。
その壊れ方は、使い手を守るためのものか。
それとも、使い手ごと巻き込むものなのか。
考え始めると、胸の奥が勝手に熱を帯びた。
「触媒は、ただ魔力を強くするための道具ではありません」
教壇に立った老教官が、静かに言った。
白髪の小柄な男性だった。
声は大きくない。けれど、教室は自然と静まっていた。
老教官は、机の上の短杖を持ち上げる。
「増幅も役割の1つです。ですが、力を大きくするだけなら、優れた触媒とは呼べない」
老教官の指が、短杖の柄をゆっくりとなぞった。
「使い手の魔力を受け取り、流れを整え、術式へ正しく通す。少ない魔力を、より無駄なく結果へ変える。それが触媒の基本です」
ディムローは、気づけば身を乗り出していた。
強い道具が、良い道具なのではない。
使い手の調子が良い時にだけ、完璧に動く道具でもない。
手が震えた時。
魔力が乱れた時。
術式を間違えた時。
判断が一瞬遅れた時。
その時、何を壊し、何を守るように作られているか。
そこまで含めて、道具だ。
「優れた触媒には、逃げ道があります」
教室の何人かが、首を傾げた。
逃げ道。
その言葉に、ディムローは小さく息を呑む。
「過剰な魔力を受けた時、触媒がどう振る舞うか。術式が乱れた時、負荷をどこへ逃がすか。壊れるなら、どこから壊れるべきか」
老教官は短杖を机へ戻し、次に古びた杖を取り出した。
先端が黒く焦げている。杖身には、細かな亀裂が幾重にも走っていた。
その杖が掲げられた瞬間、ディムローの指がわずかに持ち上がった。
亀裂の向きと、焼けた位置を、もっと近くで確かめたかった。
「これは失敗作です」
その言葉が耳へ届くと、持ち上がりかけた指は机の上へ戻った。
「増幅率だけは優秀でした。ですが、過剰な魔力を逃がす構造がなかった。使い手が一度だけ出力を誤り、魔力が逆流しました」
教室が静かになる。
老教官は、焦げた杖を見下ろした。
「触媒は、使い手を助けるものです。使い手の失敗を罰するためのものではありません」
ディムローは、膝の上で手を握った。
その言葉が、妙に胸の奥に刺さった。
使い手の失敗を罰するものではない。
そのはずだった。
けれど、道具は簡単に人を傷つける。
作った者が望んでいなくても、別の誰かに異なる使い方を与えられた時。
あるいは、作った者自身が、その先まで考えられなかった時。
自分が作ったもの。
それを手にした人間。
そして、その先で起きたこと。
古い光景が記憶の底から浮かびかけ、ディムローは目を伏せた。
思い出しかけたものを、そこで止める。
今は授業中だ。
過去と向き合うために学院へ来たのだと、
胸を張って言えるほど、ディムローは強くなかった。
それでも、何も作らないままでいたいわけでもない。
その間で、ずっと立ち止まっていた。
ディムローは、ゆっくりと顔を上げた。
老教官は今度、剣型触媒を手に取っている。
「武器型触媒は、杖より扱いが難しい。攻撃を受ける構造と、魔力を流す構造を、同じ器の中に持つからです」
ディムローの目が、自然とその剣へ向いた。
武器型触媒。
すぐに、ユアンの双剣を思い出す。
左の短剣。
右の、背が厚い片刃の長剣。
あれは、ただ斬るための剣ではなかった。
真正面から力を止めるためでもない。短剣で端を乱し、長剣で斜めへ流す。
無理やり勝つためではなく、無理な力を受けても生き残るための形。
一般的な剣とは、重心も形も違う。
剣士によっては、扱いづらく、無駄の多い形だと評するかもしれない。
だが、目的がある。
使い方がある。
少なくとも、力の逃げ道を作ろうとした形が残っている。
ディムローは、知らず知らずのうちに指先で机を叩いていた。
どこに虚環銀を入れるべきか。
刃へ入れるのは危険かもしれない。
攻撃へ触れるたび、どの程度のマナを吸うのか分からないからだ。
柄に近い芯か。
それとも、背の内側か。
短剣と長剣で、役割を変えられないだろうか。
左で触れた力を散らし、右で外へ逃がす。
だが、そもそも虚環銀へ吸わせたマナを、意図した方向へ動かせるのか。
吸い込んだまま内部へ残るなら、剣の方が先に耐えられなくなるかもしれない。
ユアン本人には魔力がない。
なら、通常の触媒と同じ構造では動かない。
外部から触れた魔力を受け取るとして、それをどこへ留め、どこから逃がすのか。
吸いすぎた時の熱はどうする。
金属へ残る負荷は。連続して使った時、内部で何が起きる。
「ディムロー」
名前を呼ばれて、ディムローははっと顔を上げた。
老教官が、こちらを見ている。
「随分と先のことまで考えていますね、ディムロー」
教室の何人かが振り向く。
ディムローは、一瞬で背筋を伸ばした。
「あ、す、すみません」
「謝る必要はありません。では、聞きましょう」
老教官は、剣型触媒を掲げた。
「武器型触媒へ、魔力を一時的に留める素材を組み込むとします。攻撃へ触れる刃と、使い手が握る柄。あなたなら、どちらへ配置しますか」
教室が静かになる。
ディムローは、わずかに口を開いた。
答えは、もう出かけている。
けれど、言っていいのか迷う。
こういう時、いつも少し怖くなる。
自分が言ったことが、誰かの手で形になるかもしれない。
形になったものが、別の誰かへ渡るかもしれない。
そして、それがまた誰かを傷つけるかもしれない。
けれど、老教官は待っていた。
急かさず、笑わず、ただ答えを待っている。
ディムローは、ゆっくり息を吸った。
「……刃には入れません」
思ったより、小さな声が出た。
「理由は?」
「攻撃に触れるたび、受ける魔力の量も方向も変わります。素材がどれだけ留めるか分からない状態で刃へ入れると、負荷を制御できなくなると思います」
言葉を出すと、少しだけ呼吸が楽になった。
「柄に近い芯か、背の内側です。留めることだけを優先するなら、柄の方が使い手から状態を確認しやすい。でも、受けた力を流す用途なら、背へ経路を作る方法もあるかもしれません」
老教官の目が、少しだけ細くなる。
「続けなさい」
「ただ、留めた魔力を動かせるかは素材によります。吸収する場所とは別に、負荷を逃がす経路が必要になると思いますが、実物を調べなければ断定できません」
ディムローは一度、言葉を切った。
「使用者自身の魔力を流さない構造なら、素材が受け取るのは外部から接触した魔力だけになります。ただ、それなら通常の触媒とは設計そのものを変える必要があります」
教室の空気が、少し変わった。
何人かが、思い当たったようにこちらを見る。
ディムローはその視線に気づき、わずかに喉を詰まらせた。
「……そういう特殊な使用者を想定するなら、ですけど」
老教官は、少しだけ沈黙した。
それから、ゆっくり頷く。
「良い答えです」
一瞬、誰のことを言われたのか分からなかった。
遅れて、自分へ向けられた言葉だと気づく。
「良い、ですか」
「はい。強くすることだけを考えていない。壊れ方と、負荷の逃げ道を見ている」
老教官は、剣型触媒を机へ戻した。
「触媒構造論では、それが重要です」
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
褒められたことが嬉しいのではない。
いや、嬉しくないわけではない。
けれど、それ以上に、今の考え方は間違いではないと認められたような気がした。
良い道具とは、強い道具ではない。
使い手が失敗した時に、何を守るかまで考えられた道具だ。
そう考えた瞬間、胸の奥に残る古い痛みが、わずかに疼いた。
それでも、今度は目を逸らさなかった。
ディムローは、机の上の金属片を見る。
それから、ユアンの双剣を思い出した。
目的が明確な、変な剣。
あの剣に虚環銀を入れるなら。
どうすれば、ユアンの手の中で壊れずに済むのか。
どうすれば、あいつが無茶をした時、少しでも生き残る可能性を増やせるのか。
気づけば、ディムローは授業用の紙片に小さな図を描いていた。
短剣。
長剣。
虚環銀。
負荷を受ける場所。
逃がすための経路。
紙片の上で、短剣から長剣へ線を引く。
その線の上を、試験場で見たユアンの腕が動いた。
左で崩し、右で逃がす。
まだ何も作っていない。
虚環銀を本当に使えるのかも分からない。
持ち出しの許可も下りておらず、自分が関わると決まったわけでもなかった。
紙の上に引いた線も、途中で止まっている。
怖い。
それでも、見てみたいと思った。
あの剣が、どう変わるのか。
あの変な使い手が、それをどう振るうのか。
なぜそこまで気になるのか、まだ自分でも分からない。
ただ、紙片の上を走る指だけは、止まらなかった。




