第23話 追憶・リュウ〈後編〉
箱を拾い上げる際、俺は不自然な重みを感じた。
蓋を開けた俺の目に飛び込んできたのは腕時計ではなく、その上に置かれたスマートフォンだった。ケースもストラップもついていなかったが、俺は直感的にそれがリユのものだと確信した。
リユの遺体のそばでスマホは見つかっていなかった。それがどうしてこんな場所にあるのか。
考えるよりも早く、俺はそのスマホを充電器につないでいた。
はやる気持ちを抑えて電源を入れる。ロックを外すパスコードは6桁。リユの誕生日を入力するが開かない。
もしやと思い、俺は「0X1026」と――自分の誕生日を打ち込む。
「…………開いた……!?」
勝手に中をのぞくのは気が咎めたが、俺はどうしても知りたかった。リユが死ぬ前に何を考えて、何を遺したかったのかを。
通信を切ってメッセージアプリを立ち上げる。よかった、認証は切れていない。
トーク欄の最上段にあった相手。名前は――「トガ」。
Rゅ『今日もアニキうざ
そろそろムリかも』
トガ『家族から逃げられないのキツいよね
オレも毒親育ちだしわかる』
Rゅ『かたじけない』
トガ『逆に考えなよ
自立するいい機会かもしれない』
Rゅ『家出るってこと?』
トガ『そ 今からこっちおいで
オレの言うとおりやれば仕事身につくし
資格も学歴もなくて大丈夫
リユは地頭いいからぐんぐん伸びるよ』
トガの甘い言葉にリユは乗せられていた。
今使ってるスマホは処分しろ。
新しいスマホ渡すから、アカウントも別に作れ。
そうやってトガはリユと俺との接点を奪っていった。
だけど、リユのスマホはここにある。
「……絶対に…………探し出してやる」
警察の手が及ぶ前にトガを見つけて、リユとの関係を問いたださなければならない。俺はその一心で、メッセージの履歴や写真からトガの居場所を洗い出す。
その日のうちに、市内にあるガールズバーの店長の名前に俺はたどり着いた。
翌日の夜、俺は外でトガを待ち伏せしていた。
店の裏口から出てきた三十がらみの金髪男に、俺は背後から呼びかける。
「どうも、トガさん。おつかれさまです」
「は? あんた誰?」
男の反応で俺は確信した。
「妹がお世話になったそうで。詳しく聞かせてほしいんですが」
「妹? あんた、リユの兄貴か!?」
問い返しながら、トガは人気のない路地の方へ後ずさっていく。よほど俺との会話を聞かれたくないらしい。それがわかる程度には、まだ俺は冷静だったといえた。
「いいから答えろ! 妹に、リユに何をした!?」
詰め寄っていった俺の肩を、トガの両手が押し返す。
「今さらゴチャゴチャうるせえなぁ! 甲斐性のねえあんたの代わりに、オレはあいつに美味しい思いさせてやったんだ! むしろ感謝してほしいぐらいだよ!」
何も言えなくなった俺に、開き直ったトガはおぞましい言葉を浴びせ続けた。
「あのガキ、風呂沈める前にいろいろ仕込んでやるつもりだったのによぉ。ちょっと酒飲ませたぐらいでくたばりやがって」
「……やっぱりお前か……俺の妹を殺したのは……――!!」
俺をにらみつけたまま、トガはどこかへ電話をかける。
「あー、もしもし? 例のヤツが嗅ぎつけてきたんで処理しちゃってください。……はい。店の裏んとこです」
本気かハッタリかを見極める余裕は俺になかった。恐怖のせいではない。燃え上がる憎しみが、俺の心をすっかり染め上げてしまっていたから。
悪意に歪みきったトガの顔つきが、俺の脳裏に焼きついている。
「ごめんねえ、タツキくぅん。キミもうすぐ人生終了みたいだわ」
暴力とは無縁の人生を送ってきた俺の、どこにあんな力が眠っていたのか、今でもわからない。
「それがどうした」
俺はトガに襲いかかるや、馬乗りになって顔面を殴り続けた。
拳の皮膚は裂けていたし、激痛の走る小指側の骨は折れていたに違いない。
それでも俺は、振り下ろす拳を止めようとはしなかった。
俺の意思とは無関係に、体から力が抜けていくあの瞬間までは。
「ク……ッソ、が……イカれてやがる……」
トガが俺を押しのけてふらふらと立ち上がった。
血だまりの上へ蹴り転がされた俺の脇腹には、ナイフが深々と突き刺さっていた。
全身を襲う猛烈な寒気と、腹部を焦がす熱い痛みの間で、俺はただただ祈った。
あと10秒、いや5秒でいい。俺の命よ、もってくれと。
俺は残る力を振りしぼり、自分の腹からナイフを引き抜く。かすんでいく視界にただ一つはっきりと映るのは、トガの去りゆく後ろ姿だけだ。
オ前ダケハ許サナイ――
不規則に響く二つの足音が重なったとき、ナイフの刃はトガの背中を貫いていた。
うめき声を漏らし、痙攣しながら息絶えるトガの姿を、俺はしっかりと見届ける。
リユ。俺のたったひとりの妹。
ひどいこと言ってごめん。
仲直りできなくてごめん。
情けない兄貴でごめん。
一言でもいいから謝りたいのに、リユはもうどこにもいない。
あいつさえいなければ、やり直すことができたかもしれないのに。
今にも消え去ってしまいそうな心を、憎悪の残り火にゆだねて、俺はどこまでも歩き、さまよい続けていた。
俺は今どこにいるんだろう。
誰か、教えてくれ――
*
「リュウはここにいるよ」
君がそう言ってくれたから、俺はここにいられる。




