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しんじゆうしましょ -俺とシズエの364日-  作者: 真野魚尾
第二章 ミントブルーの追憶

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第17話 追憶・シズエ〈後編〉

 平成初期、シズエは多感な十代の日々を過ごしていた。


 恋愛に興味はあったけど、付き合いたいとまで思える人は現れなくて。

 中学、高校とも仲間内では適当に話を合わせていた。


 事の発端は高校3年の5月、仲のよい女子グループでの他愛ない雑談だった。


「今度来た教育実習の先生、カッコイイよね」


 友だちが口にした何気ない話題に、シズエも「そうだね」とうなずく。

 ただの愛想笑いと生返事が、いつしか既成事実を作り上げていたことにも気づかずに。



  *



「まぁ、私も若かったからさ。自分がけっこう目立ってるってことに無頓着だったっていうか」


 シズエは歩道橋の欄干につかまりながら、訥々(とつとつ)と往時を振り返る。強がりが半分、後悔が半分といったところか。


 女子にしては背が高めで、大人びた見た目のシズエに、同年代の男子たちは近づき難かったに違いない。あくまで俺の想像でしかないけれど。


「私ね、陰ではモテてたっぽいんだ。告白してくる人がいなかっただけで。そんなわけで、高3にして初彼氏だったのね」


 胸がジリジリと焼かれるように痛んだ。とっくに肉体なんて失ってるはずなのに。

 これ以上聞きたくないという気持ちがなかったかといえば嘘になる。

 でも、ここで耳を塞いでしまったのでは、俺は今後シズエのそばにいる資格はないと思ったから――。



  *



 シズエは高校卒業後、就職するつもりでいたのだという。

 ところが折からのバブル経済で親の収入も上向きになり、大学進学も視野に入れることにした。


 友人たちからの勧めで、シズエは噂の教育実習生――仮にAとする――に進学の相談に乗ってもらうことになった。

 初めは校内での立ち話、それが空き教室での会話になり、いつしか喫茶店での待ち合わせへと変わる。


 Aの気さくな人柄に触れて、シズエも次第に打ち解けていった。

 だが一方でシズエは、自分の意思の弱さをAに見抜かれているような違和感も覚えるようになる。


 その勘はあながち的はずれではなかったのかもしれない。

 シズエの気持ちを置き去りに、友人たちは乗り気だった。


「A先生もシズエのこと気に入ってるってさ」

「このまま付き合っちゃいなよ」


 それって私の意思はどうなるの?――シズエの喉から出かかった言葉は発せられることはなかった。


 シズエは自分のどっちつかずな態度を悔いたが、流されるままAと交際することになった。

 男女の恋愛って「こういうもの」なのかなと、無理に納得をしながら。




 付き合い出した途端、Aから迫られることが何度もあった。そのたびにシズエは「18歳になってから」と断り続けてきた。


 でも6月17日はすぐにやって来てしまった。


 待ち合わせの帰り道、相合い傘の下で。


「誕生日おめでとう、シズエ――」


 Aから唇を奪われる寸前、シズエの胸の中で何かが爆発した。


 私の人生いつまで従順な女を演じ続けるの?

 私は彼氏っていうアクセサリーが欲しいわけじゃない。

 私だって男にとってのトロフィーになんかなりたくない。


 シズエは耐えきれず、Aを突き飛ばして雨の中へ走り出す。夢中で歩道橋の階段を駆け上がった。


「待てって! 急にどうした?」


 Aはすぐに上まで追って来た。追いすがる手を振りほどいて、シズエは喉から言葉を絞り出す。


「ごめんなさい。別れてほしい」


「なんでそんな……オレたち今までうまくやってきただろ?」


 シズエにとっては「急に」なんかじゃなかった。

 「うまくやってきた」ように見えたのは、シズエがずっと我慢をしていたから。


「オレに嘘ついてたってわけ? あんな親身になって話聞いてやったのに」


「それは……感謝してるけど」


「だったら考え直してくれないかな? まだ付き合い始めたばっかじゃんか」


 別れる。別れない。Aとの押し問答に至って、シズエはようやく自分の本心を理解した。


「先生のことが嫌なわけじゃない。私が私のこと大嫌いだって気づいたの」


 波風を立てたくなくて、周りの空気に流されるだけの自分を。


「オレはシズエのこと好きだよ」


「ごめん。それ私じゃないから」


 誰かと付き合う付き合わないが問題なんじゃない。みんなが善意で押しつけてくる普通の幸せが怖かった。


「……はぁ? ちょっとわけわかんないな。子どもじゃないんだからさあ」


 Aは傘を閉じて大股で詰め寄ってくる。一見して普段と変わらない顔つき。だけど、まばたきもせず、まっすぐにこちらを射抜くような視線に、シズエの心はかき乱された。


「シズエは一方的すぎるよね? こっちの都合とかちゃんと考えてる? オレがお前のこと落とせたら、お前の友だちにも男紹介するって約束しちゃってんだけど?」


 傘を叩きつける音が歩道橋の上に響き渡った。びくりと震える両肩の間で、(せば)まる視界の中で、シズエは悟った。最初から自分には味方なんていなかったんだと。


 とにかく今はここから逃げ出したい。


「お願いだからこのまま帰って! じゃないと私――」


 脅しのつもりだった。面倒な女を演じれば諦めてくれると思っていた。

 けれど、その選択はあまりにも軽率で。


「ここから飛び降りるから!」


 手すりの上に立って間もなく、シズエは雨で足をすべらせて落下した。

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