第12話 書き残しましょ
俺は突き動かされるようにグローブジャングルへよじ登り、宙を泳ぐシズエの方へ手を伸ばした。
「シズエ、つかまれ!」
おびえているように見えたシズエの顔が驚きへと変わり、さらに決心めいた色を帯びる。
シズエは唇を固く結んで、俺の方へ目いっぱいに腕を伸ばす。
「もう……少しだ……!」
柔らかくて、ひんやりとした手先が、俺の人差し指と中指をつかんだ。いける。俺は確信して慎重にシズエを引き寄せる。
ゆっくりと近づいてきたシズエの両腕をつかまえて、そっと隣に座らせる。思わず大きなため息が俺の口から漏れ出た。
「まったく、本当に……今のは焦ったぞ」
出るはずのない冷や汗をかいた気分だ。そんな俺をじっと見ていたシズエが、目を細めてクスクスと笑い出した。
「自然に降りてくるって言ったのに、リュウったらあんなに慌てちゃって」
「ん、ああ? たしかにそうは言ってたかもしれないが……」
身体が勝手に動いたんだよ、文句あるか。俺が顔を逸らした隙に、シズエが腕にしがみついてきた。
「嬉しいなぁ。私のためにあんな必死になってくれて」
「おい、くっつきすぎだ! 第一あれはシズエのためじゃなくて……」
「じゃなくて、何?」
俺がシズエと離ればなれになりたくなかったから――なんて言えるか!
「……忘れた。記憶喪失だ」
「えーっ、気になるなぁ。それよりリュウ、気づいてる?」
シズエが指先でコツコツと、俺たちの乗ったグローブジャングルの金属パイプを鳴らす。
そうだ。俺はどうやってここまで登って来た?
「たしかに……手でつかんで登って来れた」
シズエを助けるのに夢中で意識していなかったが、これで俺も現世の物に干渉できることが明らかになった。
「この調子なら複製だってすぐにできるようになるよ」
師匠からのお墨付きも俺の自信につながったのは確かだ。
いつしか雨は止み、空には虹が出ていた。
グローブジャングルの上で、シズエと肩を寄せ合い眺める景色は格別だった。
*
そして、2日後の現在に至るというわけだ。
「おめでとう、リュウ」
本屋の文具コーナーにシズエの拍手が鳴り響いた。もちろん俺にしか聞こえない祝福のリズムだ。
「ありがとな。シズエのおかげだ」
俺の複製物第一号となったミントブルーのボールペン。生前愛用していたものと同じデザインだけあって、指にもよくなじんでいる。
「素敵なペンだね。きっとリュウの思い入れが深かったから再現しやすかったんだよ」
「かもしれないな。家でもずっと使ってたし」
そう答えながらも、俺は小さな引っかかりを感じていた。
数あるカラーバリエーションの中で、なぜミントブルーなのだろう。
俺が自分で買うとするなら、無難な黒やシルバーを選ぶはずだ。誰かからのもらい物だったのだろうか。
「リュウ、また固まってる。なうろーでぃんぐ?」
目の前でシズエが手をひらひらさせている。俺は我に返り、
「そういえばシズエは筆記用具とか持ってないよな」
「一応あるのはあるよ。でもあんま使わないかも。幽霊が書いたものなんてどうせ残らないでしょ?」
普段は明るいシズエだが、たまにこういう冷めたような、諦めたような態度をとることがある。
そのたびに俺はモヤモヤして、つい言い返したくなってしまうのだ。
「それは生きてる人間だって同じだろ。いつかは消えてしまうってわかっていても、その場で残しておきたいものだってある。シズエとこうしてる今だって、すぐに過ぎ去ってしまうかもしれないけど、俺にとっては大切な瞬間だよ」
ちょっとクサいことを口走ってしまったか。笑われるのを覚悟したけれど、そうはならなかった。
シズエは目を伏せて、どこか遠慮がちに言うのだった。
「リュウは詩人だね。アーティストとか向いてるんじゃない?」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
素直には喜べない俺がいた。高校に上がったらギターを始めると決めていたのに、断念した過去が心にのしかかっていたから。
そういえば何がきっかけで諦めたんだっけ……?
「そうだ。これリュウにあげる」
シズエに渡されたのは、ピンクの表紙をしたハードカバー本――いや、これは日記帳か。
「いいのか?」
「可愛いでしょ。持ってるだけで使わないのももったいないと思って。これに思い出したこととかメモしておくといいよ」
「それもそうだな」
シズエの言うとおり、俺はありがたく使わせてもらうことにした。
日記帳のペンホルダーには、作ったばかりのボールペンがぴったりと収まった。
白紙だったページにはこの日から俺たちに起こった出来事、そして俺のシズエへの想いが書きつづられていくことになる。




