007
男児の遺体をお墓に埋めてから四時間後、僕達はようやく舗装された道にでた。
道中、弾んだ会話はなかったが、事務的な会話を幾つかした。まず、ここが目的地であるノルン国にいないこと。ノルン国では寿命が真っ当に成就されるからだそうだ。
次に、魔物の類はいない。二十年前に英雄が魔王を討ち滅ぼしたので、眷属である魔物も消えた。道中の脅威は自然動物か、飢え、らしい。
「どっちだと思います?」
道に出たところで、バックパック(山小屋にあった洋服で手作りした)を背負っているラジエルは両手の人差し指を左右に示した。右手にはなだらかな勾配の舗装された平野の道、遠くには青い空がぐんと伸びている。
左手には平坦な舗装された道、遠くの方には雲を帽子にした山岳が立ち並んでいた。どちらかと言われても、僕にはわからない。
「ラジエルはこの辺の地理に詳しくないの?」
「すみません。これも不安にさせると思って隠していたのですが、私もここがどこだかを正確に理解していません」
ラジエルは僕のスキルに関することとは別に、記憶喪失になっている部分はあった。
「え、じゃあどこへ向かっているの?」
「わかりません。ノルン国に行くとの使命は覚えているので、道を目指して歩いていただけです」
どうやら最初の質問に戻るようだった。僕は知識の天使であるラジエルから情報を拾い上げる。
「ノルン国はどんな地理の国かは覚えている?」
「盆地ですね。山に囲まれた平野に、山から流れる清らかな水源を持ち、その水源が川となり、平野を流れ、谷を越えて海へ行きます」
「さすが知恵の天使。ノルン国の外側は?」
「北はかなり高い山岳地帯で、東は湖と沼地が多く、南は山林が多いですね。西は谷を抜けて程よく行けば海です」
ラジエルは腰に手を当て、胸を張りながら答えてくれる。質問すると嬉しそうな声で滔々と語るように返ってくるので、質問のしがいがあるものだ。
僕はその情報をパズルのように当てはめて、頭の中で地図を作りだす。
「じゃあ、あっちじゃないかな」
左手に見える山岳を指差した。盆地のノルン国の外にいるなら、山を目指すのが堅実だ。それに、道の先には人里があるはずだし、もしかしたら道中誰かと会う可能性もある。
「はい。では参りましょうか」
僕達は左手の道をまた、とぼとぼと歩き始めた。
歩き始めた道は、左には林、右には緑豊かな原っぱが広がる道だった。道の脇には名の知らぬ黄色い花がまばらに咲いている。春風のような陽気な風が吹くと土のむんとしたにおいがした。隣を歩く、絵画から抜け出したような姿をしているラジエルを一瞥し、頭上を見上げると、甲高い声で鳥が頭上で鳴いて、旋回している。なんて長閑なんだろう、そう思った。
太陽が頭上を越えて背中を照らし、拝借した水筒の水が底をつきかけたところで、ころよく原っぱに大きな欅の木が一本生えていたので、その陰で休息をとることにした。
「全然人が歩いていないね」
熱を持った脚を放り投げるように座ってから、バックパックの紐を解いているラジエルへ言う。二時間ほど歩いた気がするが、誰とも会っていない。
「そうですね」
「まだ遠いのかな」
「ノルン国が近い証拠だと思いますよ」
ラジエルはため息をついた僕を気遣いつつ、ハムを挟んだパンを差し出してくれた。
「どうして?」
礼を言って受け取り、いただきます、と頬張った。一度で噛みきれないくらい硬いし、パサパサで水分も奪われ、とても美味しとは言えないパン。ハムも脂身が浮き出ていて、パンよりかは柔らかいが、野生味のある味がした。
「ノルン国の周りにいた人は寿命を奪われたからです」
ラジエルの発言に、飲み込もうとしたパンが喉につまりそうになったので、最後の水で流し込んだ。
「それじゃあ、僕達も?」
「私達は天命を授かっているので、対象外です」
ラジエルはパンを千切って口に入れた。僕は短息をつき、そこで疑問が湧く。どうして僕は道中この疑問を思いつかなかったんだ。
「ノルン国ってチーターだけの国なの?」
「いいえ、一般人も沢山います。国の人口は十億五千万くらいでしょうか。移民、難民を受け入れるので、もう少し増えているかもしれませんね」
「えっ、どうしてノルン国の人は寿命を奪われないの?」
頭の中に疑問符が立った。ノルン国民が全員チーターじゃないと、寿命を奪われてしまう。なのに、チーターだけの国じゃない。どういうことだ?
「ノルン国はギョームが使令体を使って国土を拡張した国だからです。ノルン国は、最初は連邦諸国の一国でした。チートスキルを使って政治をし、各国に使令体を置いて国土を広げたんですね。そして、使令体には天命が宿っています。ギョームはどうやってか使令体を大地に浸透させました。そうしたことでノルン国は天の意思、世界の条理外の国、つまり、天命を授かった土地になったんです。天命がある限り、その土地は不条理を受けません」
国の中にいる限りは不条理が起こらないのは保証されているってことか。そしてその不条理は外に向かう。だからノルン国の外に人は少ない、と。
「でもそれって、ノルン国以外の人達は反発するよね」
「ええ、まあ、いました。ですが、この世界では、国と国の闘争が天によって禁じられています。破れば、国の政治に関わっていた全員が死を負います。ギョームはその法をつき、多数の不正者を抱えてながらも、政治に関わらせませんでした。そのせいで生半可な政治行動は、その不正者を送り込まれ、内乱や、暗殺なりと、自国の首を絞めることになるので、政治闘争に勝ち目のない元々あった国は和睦し、吸収されました」
そうしてノルン国ができた。天使の屍の上に座る、姿形のないギョームという人間を想像して、僕は身体が竦んだ。
「今はこの地に私以外の使令体がありませんので、国土は拡張していませんが、それでも、ノルン国の外にいる人達の数は減る一方です……」
お墓を見つめていた時と同じような面持ちでラジエルは目を伏せた。
「ギョームって人は、なんでそんなことを」
ラジエルは力無く首を振る。
「人の幸せのため、らしいですよ」
僕は意味がわからず、言葉が出なかった。あの子供の有り様が人の幸せためなのなら、到底受け入れられない。ざわざわと欅の枝葉がざわめいて、土葉臭さで、ハムの味が濁った。
休憩を終えて、日が平野に頭を隠したころに、僕達は村に着いた。木でできた三角の屋根に、赤茶の土壁で長方形の家が、鶏舎や、田んぼ、畑を経て、ぽつぽつとある。しかし、鶏舎は音一つなく、田んぼはひび割れて乾燥していて、何も植えられていない。畑は雑草が生え伸びて、腰までの高さに到達している。
暗さが侵食している村には人の気配はなかった。田畑の中にも、畦にも、道にすら人の気配を感じられない。嫌な予感が胸の中に集まってきた。
「あの家を訪ねてみましょうか」
ラジエルはこの村の中で一番大きな家を指差した。僕は頷く。
村の中を歩いても、やはり人の気配はない。家の木製の窓戸は閉まっているから、中の様子はわからない。でも、どこの家も日暮なのに、灯りが見えなかった。
一番大きな家の入り口の前にまで来たが、ほのかな灯りが扉から漏れてもいない。今日出てきた、空き家の気配を醸し出している。
「ごめんください」
僕は扉をノックする。軽薄な音が静寂を打ち壊し、あたりに響いた。
返事はない。
「誰かいませんか?」
僕は再びノックする。
返事はない。
「ごめんください」
僕の横を通り抜けてラジエルが扉を押し開けた。扉は簡単に開いたが、途中で何かに詰まったのか、止まった。
「ううっ」
扉の奥から、生ゴミを更に腐らせた臭いが漂ってきた。これは今日、朝嗅いだものと同じだ。臭いが沁みたのか涙が溢れ、喉が閉まって、胃液が込み上げてきそうになるのを耐える。
ラジエルは急に屈んだ。そして、地面に伏せていた、干からびた手を両手で優しく包み込んだ。
扉を詰まらせていたのは、この家の元主人であったであろう男性だった。僕は喉の熱に耐えられず、離れた場所にかけて、我慢の栓を解いた。
僕等は、その男性の家で一晩世話になることにした。




