054
瓦屋根が擦れ合う音は、甲冑が留め具と擦れ合う音に似ている。その両方が僕の足元から聞こえてきていた。
「いたぞー!」
塀の上に設置されている楼閣から叫び声がした。第三の門を起点として、この宮は小高い塀に囲まれている。塀の角には楼閣があって、全てを監視できるようになっているのが、屋根の上からなら一目瞭然だ。しかし、位置がバレたとしても依然関係なく屋根を伝って第三の門を目指す。
「本当に門前に人がいると思うのか? お前が向かうのがバレていれば、門の前は人払いが行われるんじゃないか?」
酒臭い声がした。いや、アイキに酒気があるだけだ。門の前が人払いされたとしても、とにかくそこへ向かい、作戦が上手くいっていることを信じるしかない。考えを放棄しているんじゃない、起こってから対処できる力が僕にはある。だから、とりあえずは作戦が破綻するまで作戦通りに行動するのだ。
それにしてもアイキは一向に目を覚まさない。全身を僕に預け、悪路の馬車よりも身体が揺れているにも関わらず、瞳を閉じたままだ。
毒よ、とアイキは叫んだ。コウサイはどうやってか毒殺された。アイキも口から泡を吹いていないので、死体を見て卒倒したのだと思っていたが、もしかしたら彼女も毒に侵されているのではないか。そんな不吉な疑問が頭によぎる。
「死んでるかも」
今度は女子の声。いや、生きている。体温は失われていっていない。呼気も正常、肌艶も良い。抱いているから直に生を理解できる。毒に侵されている気配は現状はない。
そもそも周りのものが同じ症状になっていないので、空気感染ではない。考えられるのは経口摂取、つまり食べ物だ。あの時コウサイは御膳の食べ物を口にしていたか? 分からない、覚えていない。合図のことで頭がいっぱいだった。
「毒について考える意味があるのか?」
「ないよね?」
両耳から違う声がする。あるのだ。毒を盛った人物がいるということは、第三の勢力が紛れ込んでいるということだ。それは予期せぬ事態を生みかねない。狙いがコウサイとアイキならば、アイキを殺そうと躍起なっている可能性もある。
「弓矢はいらん! 追いかけろ!」
怒号が響く。そこでふと、先ほどの矢を放ってきた者のことを思い出した。矢を射てきた衛兵は、なぜ命令無視してまで矢を当てようとしてきたのか。アイキにあたれば事がさらに大きくなるではないか。殺そうとした? その考えに辿り着くのは簡単だった。答えに辿り着いたら、今までの考えに符合がいく。
コウサイとアイキを殺そうとする者が、ここにはいる。
流石にそれが誰かを突き止めるには情報が足りない。だが、第三勢力が確実にいると分かっただけでも、アイキを守る行動選択を頭に叩き込む事ができる。このパージとかいうスキルは、すぐに他人を蔑ろにするから、言い聞かせないといけないのだ。
考えていると、第三の門が大きくなってくる。楼閣を有する第三の門、その楼閣に連絡を受けてか、複数の衛兵が集まっていた。全員手には槍、弓などを構えており、備え付けの弩もこちらを向いている。
「あれを人一人持って超えるのは、骨が折れるよね」
上手い泣き言を言っている場合ではないが、そうでもしないと、心の底にあるモノが僕を押し潰そうとしてきそうだった。
僕が近づくと、第三の門が悲鳴をあげながら開き始めた。
「おい! なぜ開門している?! なんだお前たぐあっ!」
楼閣にいる衛兵が叫んでいたが、門が完全に開ききる前に楼閣から姿を消した。
門下にいた衛兵の一人が周りの仲間を斬り倒して、それを合図に同じ光景が繰り返され、赤い血溜まりを作り上げる。楼閣でも野太い悲鳴があがり、床に伏せる硬い音が幾つかした。
僕が最後の屋根の上に辿り着く頃には、赤黒い斑点を肌や甲冑につけた衛兵達が、こちらを見据えていた。
通れ、という事だろうか。僕は失速させた脚を地面に着地させ、衛兵達の様子を確認する。どの衛兵も興奮してギラついた目つきをしている。表情は固く読めない。確実なのは、どの衛兵からも人殺しの気配しかしないのだ。殺気立ちすぎて、判断がままならない。
「門のほうだ!」
背後から床を軋ませる足音と、砂利を踏む音が近づいてくる。衛兵の目が急かしている気がする。心の中で舌打ちをして、仕方なく僕は門へと駆けた。
もう鉄を含んだ臭気が鼻につく。慣れたくもない、嗅ぎたくもないにおいだ。あの晩の温もりが、手の中に再現されてしまいそうになり、アイキの女性らしい身体を強く抱き、自分を取り戻した。
「いたぞ!」
追いつかれ発見された声が聞こえた瞬間には、衛兵の横を通り過ぎるところだった。血溜まりがぴしゃりと水滴を跳ねさせる。右腕が動いて、僕の胸目掛けて突き出された槍の穂先を切り上げた。
横にいた衛兵が槍を突き刺してきたのだ。敵? それとも、今後の身振りのための敵のふり? 血走った目に訊ねるも、答えは得られない。
「そのまま捕らえろ!」
背後の集団の誰かが叫ぶ。この衛兵が敵であろうがなかろうが、無視だ。このまま押し通る。幸い矢は飛んで来ずに、門をくぐる事ができた。門の外は、中よりも死体の数が多かった。
切り傷を受けた者、背中から矢を受けた者、しかもそれが門前を警護していた衛兵だけではなく、官吏の姿や女中の姿をしたものがいる。それが左右の曲がり角にいたるまで続いていた。
頭の上で弩の動く音がした。脚が急ブレーキをかけて、これ以上外へ出るのを拒んだ。門は潜れた、しかし、道に出るのはマズイ。考えていると、門前の衛兵が武器を構えながらじりじりと寄ってくる。その目は感情を押し殺したように薄暗い。こいつら、敵だ。考えていた第三勢力だ。
さすがに一斉掃射されれば身体のどこかに受ける。しかもアイキに当たれば、致命傷になりかねない。戻るべきか、せめて道の角まで曲がれれば、もしかしたら協力者がいるかもしれない。それも排除されていたら? こいつらは、僕がここへ来ることを知っていたのだ。つまり情報が漏れていることになる。
「コウサイ…の居室に向かいなは……って!」
耳元でした声へと目線だけ向ける。アイキの目が開いていて、切れ長で赤茶の瞳と目があった。
「早よ! あっち!」
アイキは視線で左側を指す。手前には槍を持った衛兵がいる。だが、今は従ったほうが解決の糸口な気がした。
「しっかり捕まって」
そう呟くと、首に腕が回ってきてアイキの化粧ばんだ顔が近づいてくる。互いの熱を確認して、再度駆け出した。




