053
「コウサイ様の御也」
品のある呼び声で楽器が鳴り、呂樹国主であるコウサイがその姿を現す。短身でふくよかな身体つき、肌は化粧で白くしても黄味を帯びている。黒の着物の袖には鳳の家紋が入っていた。
姿が見えて一歩踏み出す前に全員が膝をつき叩頭する。姿が見える前から叩頭している者もいた。そうしなければ不敬罪を科せられるからだ。法の一つに、国主の許しなく御姿を覗き見てはならぬ、がある。なぜ? 簡単だ、格が違うから。なんとも差別的な法だが、僕の世界でも昔はあたり前であった。
だから僕がコウサイの姿を見たのは叩頭する一瞬である。服の袖の中にはナイフが握られているから、記憶に残ったのだ。
パージを通してわかる。この場は色んな感情が渦巻いている。旅芸人一座の使命、上級官吏達の怯え、場を作っている官吏の緊張。ハルちんからは何も感じない。一人一人それぞれの感情が混じり合って嫌な熱を作り出していた。
「面をあげよ」
演奏が終わり、高い声が中庭まで響き渡った。部屋の中の人達が身動ぎ絹が擦れる音がした。僕達はまだ顔を上げられない。格が違うから。コウサイの顔を再び見ることができるのは、宴会が始まってからだ。
そこから段取り通りにつつがなく結納式は進行していく。玉が簾のようについた簪ーーそう聞こえてきたーーが贈呈され、アイキが受け取り受書を渡す。二人は首飾りを記念品にし、拍手が巻き起こる。締めの挨拶がされ、また拍手喝采。
破裂音のような音たちで、僕はようやく居心地の悪さを理解した。
「では皆も存分に楽しんでおくれやす」
コウサイの合図で宴会が始まり、参加者の前に御膳が足早に運ばれてくる。
この場は狂っている。どんな経緯があったとて、祝事の席であることには間違いない。だが、誰もがそれを心から祝っていないのだ。上っ面だけ笑顔で手を鳴らしている。
「おめでとうございます」
高級旅館の特上コースのような御膳に手をつけることなく、参加者がコウサイの前に列を成す。最初の官吏のような男は下手を擦りながら挨拶している。それがやはり気色が悪い。
コウサイが労うと、次に回っていく。誰もが祝辞を述べるが、本気じゃない。それを理解しているのかアイキは微笑むだけで済ましている。
「おい、合図はまだかよ」
芸の準備を始めるために頭を上げたカンネイが肘で肩を突いてくる。合図はかなり分かりやすくする、とハルちんは言っていた。そんな露骨な合図はない。
「まだだよ……カンネイ、先に動かないでね」
「……わかってら」
今にでも飛び出して行きたいだろう。しかし、僕が一番先頭だと決まっている。でなければ、見えないところで控えている国主直属の衛兵に斬り殺されるのがオチだ。
僕なら衛兵にも勝てると、パージを起動した状態の僕をみてハルちんが決めたことである。なので、己が力量の立場を理解しているカンネイは逆らわない。
「おめでとうございます」
「おおピンインはん、あんさん、あれ、用意してくれはったん?」
「もちろんでございます。中庭をご覧くださいませ」
ピンインと呼ばれた灰仮面が、全員の視線を中庭に向けた。一同の視線が僕達へと注がれる。
「あ」
アイキが目を丸くした。コウサイが顎を上げて目を爛々とさせている。灰仮面の仮面の奥の瞳は充血していた。ハルちんの柔和な表情が目立つ。ラジエルは緊張で唾を飲んだ。カンネイの気持ちが沸き立つ気配がした。まるで時間が止まったかのように、人々の情報が一気に視界へ入ってきた。
「演奏開始だね」
誰でもない声の背後から、空気を裂く鷹の声のような音が立ち昇っていく。一瞬の静寂が耳を煩くさせる。
ドン! と腹の底を突き上げる音がして、頭上に目一杯の光が発光する。目が眩むほどの光は足元の白石に濃い影を作り上げた。
「ぬおっ?! なんや眩しっ?!」
「ち、ちがう。なんだあれは?! 私の作品ではない?!」
足元に出来上がった影は、エグヤバと読めた。
合図だ。
僕は部屋の中に踏み上がって、突然の光に目を細めている人々の間を通り抜ける。幸い大声を出した灰仮面のおかげで、注意はそちらにも向いていた。
「かあっ!!!」
アイキに辿り着く前に、コウサイが立ち上がった。気付かれた。いや、それにしてはなにか様子がおかしい。コウサイは喉を抑え口から泡を吹き出す。そのまま身を捩りながら膳へと上半身から倒れ込んだ。
灰仮面に注意を向けていた人間達、僕を目で追った人間達の間で沈黙が出来上がった。それでも僕は止まれない。この部屋に上がった時点で罪なのだ。木の床を踏み締める音は続く。
「毒よ!」
アイキがいち早く叫んだ、そしてその言葉を最後に、紐が切れた人形のようにアイキも倒れる。床に叩きつけられるところで、ギリギリ間に合った僕が支えた。
再び全員の視線の的になった。
皆、目を丸くさせている。まだなにが起こったかを理解していない表情。一番近くにいる不気味な灰仮面でさえ、中庭を向いたままだ。
「曲者じゃ!」
誰かの叫び声で、僕以外の時が再び動き出した気がした。慌てて金屏風の裏から衛兵が飛び出してくるも、僕はもうアイキの脱力した身体を抱えて中庭へと降りていた。
このままアイキを抱えて逃げる。かなり無謀な作戦だが、第三の門を抜ければ、外で待機している間者がいて、隠れ道に案内してもらえる手筈になっている。そこまでが行き当たりばったりなのが、この作戦の破綻している部分だ。
だが飛んでくる矢も弾ける僕ならば、第三の門までならなんとでもない。身体と、パージに支配された思考はそう考えている。
一回の跳躍で連絡通路の屋根に飛び乗った。カンネイとラジエルは、もしも僕が一回目の突撃で失敗した場合に、荷物のなかから白煙を噴射する玉を巻く係である。その後、その混乱に乗じて逃げるこになっていた。
「なんだこの煙わ!」
「曲者は屋根だぞ!」
手筈通り中庭には白い煙が充満するが、僕の姿は捉えられてしまっているようだ。
「明日さむぐっ!」
部屋からも、中庭からも視線は僕に注がれている。そのうちの一人であるラジエルが、僕に視線を向けてもいない男に顔面を掴まれていたのが、頭上から見えた。そしてラジエルは忽然と消えた。煙の中にではない、男の、灰仮面の手の中に消えたのだ。
ひゅんと耳元で風切り音がした。
「馬鹿者! アイキ様に当たるだろうが! 矢は使うな!」
屋根の下に衛兵達が集まりだしている。もう一度中庭を見ても、全体が煙包まれて、影が慌ただしく蠢いているだけだ。
ラジエルが拐われた。それは不測の事態だ。このままアイキを置いて取り戻しにいくべきか、作戦を実行するべきか。分からない。だが絶対にあの灰仮面はスキルを持っている。人を一瞬で消すなど人間技じゃない。執行者の使命を果たすべきだろう。僕はそのためにここにいる。
「必ず助けるんじゃないの?」
耳元で囁かられたのか、命令を聞かず次矢を放ってきて頬を掠めた音なのかは判断が難しい。
僕はカンネイにも、ラジエルにも同じ言葉を言った。一体どちらに真摯であるべきなのか。それも分からない。僕一人ではどうにもならないことだけは、分かる。
「この場は任せい!」
深い沼に取り込まれる直前に、ハルちんの凛とした声が響いた。僕に向けた言葉なのか、取り乱れた場を第三者として纏める方便なのかは煙で見えない。だけど、僕に向けられた言葉なのだと解釈した。ハルちんは、執行者だ。
三本目の矢をナイフで弾いて、僕は連絡通路の屋根を駆けだした。




