052
「あー見て! 旅芸人さんだ!」
子供の声がして丸く小さな指がこちらを向いていた。布を巻いた傘を頭に被った僕は目立たないように手を振った。子供は気がついたのか、笑顔で手を振りかえしてくれた。
僕達は呂樹の宮殿が真正面に見受けられる大通りを歩いていた。あれから三日、ついに計画は実行されるのだ。
体調は万全とは言えない。ハルちんの修行で節々が痛いし、それ以外の時間は、仮初だとしても騙さないと意味がないので、ラジエルと一緒に芸事を仕込まれていた。
どっちも付け焼き刃だけど、なんとかはなった。
これから僕達は呂樹の中心である宮殿に入る。そして、結納の儀が行われる庭へと案内される手筈である。そこでアイキを発見し、隙をみて拐かすことになっていた。
「本当に大丈夫なのでしょうか」
隣にいるラジエルが心配を口にする。屋敷を出てからずっとこの調子だ。それもそのはずで、隙をつくる具体的な案が説明されなかったからだ。
「まあ、ハルちんを信じるしかないよね」
その隙をつくる役目は、僕達とは別にギルドの会長として招待されているハルちんだ。当の本人はこの旅芸人一座にはいない。次に顔を合わせるのは中でなので、まず会えるかどうかが心配でもある。
心配をしたところで状況は動いている。もう宮殿へと入るための二つめの壁が目の前にあった。
呂樹には、というかそれぞれの領の都には壁が二つあるらしい。一つは城下町を外敵から守る壁、もう一つは城下町と城を隔てる壁。二つめの壁の周りには堀が作られており、通るには橋を渡るしかない。
僕達はその橋の前で手荷物、身体検査を受け、無事通り抜けた。このなかで殺傷武器を持っているのは僕だけである。有事の際は率先して行動しなければならない。考えないようにしていたことを考えると、緊張してきた。
「はー、すげぇな、首都は城じゃねぇんだな」
第二の壁を抜けると、赤に統一された平屋の建物が整然と並び建っていた。それをみて首都といえば城が当たり前のカンネイが、これから物見遊山するような感想を漏らしている。
ラジエル先生曰く、呂樹だけが宮殿で他二つの領は城なのだと。それ以上の知識は、呂樹の過去を紐解くことになり、作戦前なこともあり、遠慮したので知らない。
「あんまりキョロキョロしないでよ。ただでさえ目立つんだから」
「む……そうだな」
ここ数日のカンネイは大人しい。悪態も文句も言わず、日々是是とやるべき事をやっていた。華奢なハルちんに投げ飛ばされるのが、男子の尊厳を相当傷つけたのかもしれない。
「大丈夫だよ。必ず成功させるから」
笑顔一つ溢さないカンネイの腕を軽く叩いてやる。尊厳もあるが、一番は幼馴染であるアイキを思っているからだろう。大切な人を取り戻す気持ちは僕にも分かる。失敗すればその人そのものを完全に失ってしまうのだ。平常心ではいられない。だからこそ、一人で抱え込んでほしくないのだ。
「……おう……おう!」
カンネイは両頬をぴしゃりと打って背筋を伸ばし、前を向いた。どうやら暗く固い世界から連れ出せたようだ。
「他人には偉そうに言うくせに、自分は鑑みないんだね。卑怯者じゃない」
珍しくない声が聞こえてきたが、それは雑踏に消えていく。
官吏と呼ばれる役人が傭兵を引き連れてやってきて、案内を司った。均一の高さの塀から、規格が変わらない建物が顔を覗かせている。それがどこまで続いており、前に進んでいる気がしなかった。
あるところから、楼閣を有する大門が見えてくる。どうやらその門を目指しているようで、迷路くんだりをして辿り着いた。
大門は格子窓がついていて、その格子窓には鉄が嵌め込まれている。楼閣の屋根と大門に併設する小高い壁には尖った鉄のかえしが取り付けられていた。これは第三の門なのは見てとれるも、敵愾心が剥き出しになっているのが気になる。宮殿に獰猛な野生動物がいるのだろうか。
一国の主になるとめっぽう臆病になるのかもしれない。
大門をぬけると、どうやって隠れていたのか、荘厳な建物が現れた。目を見張るような朱の柱に、金細工が施されている。そこだけで第二の門より規格外なのだが、床も壁も薄剥げた色をしていない。どれも色が濃く、一際綺麗であり、汚いところがない。それが逆に不自然に際立っている。足元の白い砂利さえも太陽光をさんさんと反射していた。
つい先日まで死臭が漂う荒んだ景色であったのに、三つ門を超えただけで、こうも現実の見え方は違ってくるものなのか。
大門が金切り声のような音をたてて閉まった。まるであの現実を見ないように蓋をしている気がしてならない。
今度こそ僕達は中庭へと案内された。茅葺き屋根が美しい長方形の部屋から中庭を見通せ、その部屋には結納の儀に必要な豪奢な飾り付けや、賓客用の座布団が均等に配置されている。部屋の奥には段があって、金一色の屏風絵が飾られていた。その手前に結納の主役が座るのだろう。
中庭には池があり、官吏に段取りを説明されて、僕達はその前で芸を披露することになった。準備のために地面に赤い絨毯を敷く。その間に部屋と繋がっている連絡通路から招待されたであろう身なりの良い客がやってくる。そのなかにハルちんもいて、目は合わなかったが一先ず安心した。
官吏が説明した段取りはこうだ。コウサイが始まりの口上を述べ、結納品を納め、アイキが受書を渡す。結納の記念品を互いに披露し、締めの挨拶。そして食事会が開かれる、諸官や賓客が挨拶を一通り終えると、合図が送られる。そこで出番らしい。
段取りを頭に入れて準備を終えると、官吏や賓客が雑談を交わして部屋の中が騒がしくなってきた。
「あっ」
そんな喧騒はどよめきに変わった。どよめきと同時に声を発したのは、部屋の奥を見据えるカンネイだ。衆人とカンネイの目線を追うと、白無垢に包まれた女性が、金の屏風絵の前に移動するところであった。
「アイキ……」
カンネイの声は、アイキを持て囃す声に飲み込まれた。
「あれがアイキ様か、お綺麗だ」
「しかし、どうして先に席へ? もう時間ですかな?」
「いえ、開始時間には早いですな」
アイキは遠目からでも顔が整っているのが分かる。ただ顎を軽く引いているせいか、物憂げで悲しそうに見えた。アイキの心境を思えばこそ、そう見えるのかもしれない。なんにせよ、この結納式は台無しにはなる。
また声の形が違うどよめきが起こる。どよめきを向けられた主は連絡通路から、部屋に入るところであった。白と黒の陰陽の仮面をつけた長身の男性である。官吏であるもの達が、背筋が伸びたせいで巨人のような出立ちの男性から目を背けた。
男性を畏怖する雰囲気が僕でさえも感じられる。しかし男性はそんなことを意にも返さず、アイキを認めると会釈した。アイキが目礼をすると、そのまま所定の席へと向かった。
「灰仮面が」
庭に一番近い官吏が忌みするように呟いた。個性的だとこういう集団からは嫌われるものだろう。祝いの席で仮面を外さないのが、個性的で済ませられるかどうかは知らないけども。
「?」
灰仮面と呼ばれた男性が席につく前に、こちらを見ていた。画面の奥にある双眸に捕らわれたと肌で感じ、産毛が逆立った。
この感じは、ここ最近で何回かあった。この身を竦ませるような感覚。得体の知れないものを見聞きした時と同じ感覚。獲物として見定められた時。
僕の脳裡にドラゴンの目が蘇る。
ポン! と鼓が打たれた。僕は反射的に音の方へ視線を移動させる。演奏者の姿は見えないがどうやら始まるらしい。それが結納式の開始の合図だと分かったのは、どよめきが静寂に変わったからだ。視線を灰仮面に戻すと、灰仮面はもうこちらを見つめていなかった。




