第十章
私がやらなきゃ。
窓から入ってくる夜風に天蓋が揺れるのを見つめながら、ベッドに横たわるアイキは深く決意した。
決意を声として表明しなかったのは、隣の部屋ではいつでも呼び出しに応えられる侍女がいるからである。しかし侍女らは気配を一切も感じさせない。この後宮へ来た時に、試しに呼んでみたら即座に現れたので、控えているのは間違いなく、おかげでアイキは言葉を胸の内に留める癖がついていた。
人質としてこの後宮にやってきて三ヶ月。村は、村民らは元気にしているだろうか。城は制裁を受けていないだろうか。そんな不安だけが募っていく。
アイキの耳に入ってくる情報はすべて、統制された情報である。峯芒とは友好的に付き合えている、村々は畑仕事に精を出している。良いところだけを誇張して切り抜いた情報だ。それがアイキの見聞きする世界になってしまった。
「このお米は、アイキはんの村のお米どす」
つい数刻前の国主コウサイとの食事会の会話が、寒い夜風とともに降りてきた。
「アイキはんと御食事するために、国庫から態々取り出したんよ。どや? お味わ」
コウサイはふくよかな頬を弛ませてアイキへと語りかける。その口調は愛玩動物に語りかけるものそのもので、怒りと怖気がアイキの胸郭のなかで創造された。
付き合わせた膝がぶつかりそうな小さなテーブルなので、そのまま蹴り上げてすべてを台無しにしてやる衝動にも駆られた。だが、米を口に入れて、パサパサで濃すぎる味付けと感情を飲みこんで、アイキは口角を必死に伸ばした。
「美味しいです」
三本の蝋燭だけが灯りの狭い部屋には、鼻通りの良い香のにおいがする。それもまたアイキの故郷のにおいを模しているものだから、胸中穏やかではいられない。
「そやろ、そやろ。アイキはんが喜んでくれて私も嬉しおすわ」
コウサイは銀のスプーンに米を乗せて口に運ぶ。この米は本来であれば、峯芒の民が食べるはずの米だった。それを税として極限までに奪い尽くし、国庫に保管した。本来口にするのは、民なのに。その事実がアイキには口惜しい。
「結納式の時にお出しする料理に追加しよか」
実父の峯芒城主であるリホウが謀反人としてコウサイに目をつけられた。その疑いを晴らすためにアイキは自ら人質として出向いて、コウサイの側室の一人となった。そんな因果である。
しかし、この因果関係は間違いなのだが、アイキはまだ知らない。
宮廷花火師で画家でもあるピンインが、村娘であったアイキを描いた絵を、コウサイが見たことで一目惚れしたのが因果の始まりだ。その後、調査をすると、アイキがコウサイにとっての目の上のたん瘤であるリホウの妾の娘だと調査が上がってきた。
リホウはその情報を掴み、村からアイキを峯芒城へと匿い、誰にも軽々しく手出しをできなくした。それは愛娘を守る愛なのか、政治的な手札を失いたくない自己防衛だったのかはリホウ自身も心の内を定かにしていない。だがこの行為がコウサイの逆鱗に触れたのは確かだった。
コウサイは、反気をみせたリホウに暗殺者を送り込み殺害を試みた。それは失敗に終わったが、暗殺者を含め、三人の人死がでた。自身のせいで人死にがでたアイキは苛まれ、峯芒領の税の負担軽減を条件に、半ば自暴自棄で人質となったのだ。
人質になることが峯芒に手綱をかける意味なのは、周りの助言がなくともアイキは承知の上であった。ただ、自分のせいで人が死ぬのが耐えられないのである。そしてやはり、ことの始まりだけアイキは知らないのだ。
アイキはコウサイが呂樹全土を手中に納めなければ気が済まない獣だと思っている。そのとおりだ。コウサイは親から受け継いだこの土地すべての代物を自身のものだと思っている。人も家畜も食料も土地も、何もかもが自分の所有している代物で、ただ管理するのが面倒なので貸してやっているのだ、との態度だ。
だからこそ、誠にアイキのことを欲しているなどアイキは微塵も思っていない。顔と女体にしか興味のない下衆。それがアイキからコウサイの評価だった。
「嬉しない?」
返事がないことにコウサイは手を止める。蝋燭の火へと視線を移動させてから、アイキは再び強欲の狂気が渦巻く瞳に視線を合わせた。
「……嬉しいです」
コウサイの機嫌をそこなえば、人質としての価値は無くなる。契約を反故にするのを厭わない男だ。契約を遵守しないのは呂樹の人間ではない。こいつは獣だ。この国に住まう獣。贅を貪る獣。アイキがそう認識を改めると、まん丸とした図体の影が大きく見えた。
「そやろな。ほんにアイキはんは従順で愛おしいわ」
コウサイの指が獲物を待つ蜘蛛のように動き、アイキの肌が泡だった。身体に触れられることは偶にある。夜の勤めは結納をしてからだと焦らしている。なぜかコウサイは喜んで納得しているが、それでも、気が変わっていつ交わるかと考えれば吐き気がしてやまない。
助けは来ない。来るはずがない。
仙人が現れて空飛ぶ雲で人攫いしてくれない。顔を数回しか合わしたことしかない実父が、軍隊を引き連れて呂樹を制圧してくれるわけがない。そのなかでいの一番に幼馴染が救いの手を差し伸べてくれるはずがない。すべて夢物語だ。
「結納まであと三日やね」
結納まであと三日。
獣と交わるくらいならば、結納の場で殺してみせる。誰も助けに来ないならば自分自身でやるしかない。この獣の死を誰もが望んでいる。これは、使命だ。
使命との単語に拳を作る。
使命を果たせば、その後に自害しよう。アイキは揺れる天蓋に首を切った自身を視た。
私がやるしかない。
再び決意すると、俄然とやれる気がしてきた。




