051
「ハルちんって何者なんですか?」
屋敷の広い庭でひとしきり投げ飛ばされたあと、カンネイは青ざめた顔で廁へ向かってしまった。パージのおかげで余裕がある僕は、這いつくばりながらも、汗ひとつかいていないハルちんに尋ねた。
「儒学者のようなことを言うのじゃな」
「あ、いや、そうではなくて……」
訂正をしようとしていると、ハルちんは縁側に腰掛けた。
「他人を知りたいのなら、己を開示するべきじゃよ」
たしかに、自分の内面を晒していないのに、他人の内面にづかづかと入り込むのは失礼だった。乱れ息を整え、立ち上がる。
「……えっと、僕は大切な人が不条理の影響で死んだんです。それで執行者になりました」
「おぬし、会話が下手じゃのお。大振りすぎて受け流しとうなるわ」
「ご、ごめんなさい」
会話が下手なのは自覚している。しているからこそ指摘された時にはかなり凹む。信頼できると思った相手には、アクセル全開で踏み込んでしまうのは悪い癖だ。これも指摘されたら、今日は悪い夜になるに違いない。
「……そうじゃのお、わしも最初は他人のために天命を使命としておったの」
ハルちんはそういいながら自身の隣をポンポンと叩く。僕は指示通りに隣に座った。ハルちんからは汗臭さはなく、線香の匂いが染み付いた畳の匂いがした。嫌いな匂いじゃない。
そんなことを考えていると、ハルちんは湯呑みに茶を淹れて差し出してくれた。礼を言って受け取って口につけると、火照った身体には熱すぎた。
「それはオジさんの仲間だった時ですか?」
「お、聞いておるか。そうじゃ、あの阿保弟子と共に旅をしておった時じゃ」
茶を冷やすために話を広げると、ハルちんの表情が明るくなった。なぜか孫の話を振った時の御老人を彷彿とさせるが、気のせいだろう。
「ハルちんは魔王を倒さずに、魔王の腹心を倒すために別行動をとったってききました」
「そうなんじゃよ。魔王の腹心を斃さんと、魔王が斃せんらしくての、それでわしが各地を回っておったわ」
四天王みたいなのがいたのかな? そのシステムが実際にあり、事実を知らずに魔王と戦った場合、多くの勇敢な命が失われることになる。よく途中で気がつけたものだ。
「一人でですか?」
「一人の時もあったし、他の天命持ちと共闘した時もあったの。すべて手に汗握り、頬に血飛沫つけさせる戦いじゃったわ。懐かしいの」
庭先から見える空を見ている目は、どことなくここにはいない。その目がすっと光を失う。
「しかし、共に闘ったほとんどの天命持ちは元の世界に帰ったが、一部のやつはまだこの世界にいおるのが、わしの心残りじゃ」
「……ギョームとか?」
「ああ、奴とも共闘したの」
語り口は変わらない。でも、悲壮感を感じさせる。
「ギョームってどうゆう人なんですか?」
知りたがりなので同じ質問をする。ハルちんは、どうゆう、と呟いて過去のギョームを思い出しているのか、答えるまでに少しの間があった。
「……人類の未来を語り、その未来がどうすればやってくるかを考え尽くす男……理想主義で傲慢、といえばそうなのじゃが、わざとそういう風に振る舞っておるような気がするのじゃよ」
「わざと?」
「奴の目が未来を見据えているようにはわしは見えなかったのじゃ。もっと別の未来、もしくはその先にある後ろ暗いなにかを考えている目じゃった」
この現状がギョームが見据えた未来なのか。人類の幸福のために作り上げた国の一つ地域がこうなっているのが、理想的なのだろうか。
「……ま、得体の知れない男ということじゃな」
共に命を賭した人間にさえも、本性を掴ませない男、それがギョーム。
ギョームの輪郭は僕の中で定まらない。ずっと得体の知れない男のまま。憎悪し、排除するべき対象なだけ。
「そういえば……」
輪郭の話しでハルちんを見つめる。ハルちんは二十年前にこの世界にやってきたことになる。現在、見た目は十代後半にしか見えない。一体何歳なのだろう。それに、執行者なら僕と同じ世界にいたはずだ。ハルちんはいつの時代の人であろうか。
「なんじゃ?」
小首を傾げるハルちんに、伝えて良いものかと困った唸り声を上げる。喋り方と振る舞いが一致しないだけで、一応見た目は歳が近い女性なんだよな。
「なんじゃなんじゃ? 思わせぶりな態度かの? あ、さてはわしに惚れたのかの?」
「そうではないんですけど……」
「じゃあなんじゃ?」
ハルちんは不機嫌そうに顔を近づけてくる。その分僕は身を引いて、ついに訊ねることにした。
「オジさんは歳をとっていたんですけど、ハルちんは年をとらなかったんですか?」
ハルちんのくっきりとした長い睫毛が羽ばたく。
「なんじゃそんなことか。美少女に年齢を訊くもんではないが、執行者のよしみじゃ答えてやろう。わしは…………十七歳じゃよ」
なんか変な間があったけど、追及するのはよそう。ハルちんが十七歳と自称するならそうなのだ。
「なんじゃ、信じとらんな。みよ、このしみもしわもないスベスベな肌。筋肉の比量が贅肉に勝っておる脆弱さ! 何事も水分を欲しがる髪! な、十七歳じゃろ!」
どんどんハルちんが身を寄せてくる。上半身だけが離れていくが、もう逃げられない。たしかに肉体的には十七歳なんだろうが、節々に貫禄がありすぎるんだよな。
「あれか、言葉遣いじゃな、現代はナウいとか言うんじゃろ!」
訳知り顔で胸を張るハルちん。その姿はなぜか微笑ましさと、哀れさが混じっていた。
「あ……あー、今はヤバいとかエグいとかって言うんじゃないんですかね」
多分、若者の概念がオジさんに教わった時代で止まっているのだろう。そうなると、つまりハルちんはオジさんよりも前の時代の人となる……マズいこれ以上詮索するのは失礼な気がしてきた。
「エグいとヤバいか……エグヤバ! どうじゃ! これで最先端じゃな!」
「え、ええ」
造語を作って最先端とするのは、無理をしている気がしてならない。まあ本人は喜んでいるからよしとするか。
「ヌシも困ったことがあればわしに遠慮なく言うのじゃぞ。エグヤバな事態になってからでは遅いからの」
それは幻聴や幻覚のことを言っているのだろうか。ハルちんはオジさんの師匠であるから、勘がいい。僕がそれらの症状で困っているのも織り込み済みでこう言ってくれているのかもしれない。今、言うべきか。
「お二人とも、お食事できましたよ」
口から言葉が漏れそうなところで、ラジエルが廊下の奥から現れた。
「お、もうそんな時間かの。明日、カンネイを呼んできてやれい。飯にするぞい」
茶器一式を片手に持ち、立ち上がったハルちんは、僕の肩を叩いて行ってしまう。
「なにかお話ししていたんですか?」
若女将のような前掛けをかけたラジエルが首を傾げると、まとめたおさげが揺れる。
「うん。ハルちんの経歴とかね。じゃあ僕、カンネイ呼んでくる」
なにも悪いことをしていないのに、ラジエルに背を向けると、心に澱が溜まっていく気がした。




