005
「使令体ってなんなの?」
翌日、上体を起こせるようになった僕は、隣で丸椅子に腰掛けて、昼食用のパンを削っているラジエルに訊ねた。
「天の使令を受けた者が、作った身体です」
「不死なの? 人間ではない?」
あの時、ラジエルは確実に死に体だった。なのにこうして生きているのは、僕の考えが及ばない力を持っているのだろう。この現実を少しづつでいいから、受け入れていくしかない。そう、昨日一日で結論づけた。
「肉体的には死にますが、人間ではありません」
僕は意味がわからず顔を顰める。ラジエルはパンを皿の上に置いて、徐に上の制服を持ち上げた。ラジエルの白く透き通るような肌があらわになる。
「お腹に縫い目があるの、見えますか?」
見ていいものか迷っていたが、見ろと言われたので、しっかりと目を見開いてラジエルの腹を注視する。ラジエルの縦に細いへその右隣には、右脇腹へと続く縫い目の跡があった。
「うん」
「それは先日、熊に薙飛ばされた時に出来た傷を縫ったものです。そこから裂かれた小腸とか、破裂した膵臓が漏れ出して」
「待って、グロい」
「人間の身体のお話しですよ?」
僕が静止させると、服を戻しながらラジエルは至極ふしぎそうな顔をする。
「だとしても、僕はそういうの苦手」
解剖とか、肉体の断面図とか、映画のグロテスクなシーンとか、注射をされるところを見るのとか、それらを嫌なほうへと想像してしまい気持ち悪くなるのだ。ラジエルはとくに悪びれた様子はなく続ける。
「そうですか。とにかく、臓器が飛び出しました。血液も無くなり、心停止です」
「……でも、こうして生きているよね」
普通なら死んでいたはず、素人でもわかるくらいの出血量だった。
「心停止していますが、意識はありますからね。使令体はチートスキルで造られた身体のようなものなので、意識さえあれば、時間はかかりますが造り直せます。私は臓器を造り直して、こぼれ落ちないように糸で適当に縫ってから、熊の下敷きになった明日さんを助けました」
半日ほど明日さんを背負って彷徨った挙句、ここへ辿り着いたんです、とラジエルはいう。
「使令体自体は不死身な身体なのはわかったけど、ラジエル自身は……痛くないの?」
「よくぞ聞いてくれました!」
ラジエルは目を見開いて前のめりになり、顔がグイッと僕へと迫ってくる。
「めちゃくちゃ痛かったです! 臓器を再形成している時とか、尋常じゃない疼痛がありました! それは気が狂いそうになるくらいに! ね!」
語るラジエルの目が血走っている。意識がありながら、傷を治す痛みが襲ってきて、身動きもできない。今の僕の怪我とは到底違う痛みが襲ってくるのだろう。それは生き地獄じゃないか。
「ありがとうラジエル」
心からの感謝の言葉を言っていた。僕はラジエルに助けられなければ、熊の下で圧死、または窒息死していたはずだろう。傷を治して、熊の下から出してくれたラジエルには感謝してもしきれない。
ラジエルは身を元の適正な位置に戻してから、上擦った咳払いをする。
「いえいえ、お互い様です。私は明日さんに助けられていますからね。使令体を持っていても、私は戦う手段を持ちません。明日さんに守っていただかないと、この世界ではすぐに死んでしまうことでしょう」
「ラジエルは、使令?なんだよね?」
「ええ、天の使令です。つまり天使ですね」
天使の響きに、ラジエルをまじまじと見る。だから人間離れした美しさを持つのか。
「羽が生えていない、頭に輪がついていないと仰りたいのですね?」
「いや、別にそんなことはないよ」
「皆まで言わないでください。私の身体は従来の使令体ではありません。それに羽や輪を持つ本体は天にいます。ここには私の精神が宿っているんです」
胸を平手で叩くラジエル。彼女は話を強引に進める性癖なのかもしれない。まあ僕はその方が楽だから気にはしないけども。
「死ねないのに、精神がずっと身体に宿っているの?」
「……痛いとこに目をつけましたね。そうですよ。私、死ねるのに、意思はずっとあるんですよ」
ふふふと、ラジエルは遠い目して笑う。治すのも生き地獄だが、死傷を受けた際の痛みも常に伴っているとなると、同情を超えて、一体なにをすればこの仕打ちをしなければいけないのかが気になってくるな。
「なんか、ごめん」
それもこれも僕のせいではないが、可哀想なので謝っておく。
「お気になさらず、私に課された役目ですので。ですが、できれば、守っていただきたいです」
「でるならそうしてあげたいけど、僕はただの高校生だよ」
「なーにを仰っているんです。明日さんはチートスキルを持った高校生ですよ。もう、最近の方はこういうのに憧れていらっしゃるはずなのでは?」
「読むことと体験するのじゃあね」
物語の途中で僕だったらこうしているな、とか違う場面を想像したりはするけど、こんな目にあって、自分が異世界転移して良かったとは思わない。
そもそも僕は異世界転移に憧れていたのかどうかも、思い出せない。
「それよりも、あのチートスキルってなに? 身体が勝手に動いたんだけど」
「明日さんのチートスキルはですね! ………チートスキルはですね!」
ラジエルは目線を上にして、左右に動かす。あれ? と呟いて顎に手をあてた。
「どうしたの?」
「いえ……あの、チートスキルの名前ってなんでしたか?」
「パージ、うわっ」
発声すると右手の中にサバイバルナイフが現れて、勝手に握りしめた。
「これだよ、僕の意思に反して今も握っている………ラジエル?」
スキルを使ってでてきたナイフに目もくれないラジエルを不思議に思い問いかける。
「………明日さん、さっき私の身体が従来の使令体ではないと言ったのを覚えていますか?」
「うん。羽根と輪っかがないんでしょ?」
「おかげで、ほぼ人体と遜色はありません。先日、頭部も強く損傷したので、そのせいだと思うのですが、明日さんのチートスキルに関したことが思い出せないのです」
「えっ、それって記憶喪失ってこと? ラジエル自身は大丈夫なの?」
「はえっ?!」
「えっ、なにか間違ったこといった?」
「い、いえ、ぁりがとうございます」
ラジエルは頬を赤らめて前の方が聞こえない感謝をした。なにか間違ったことを言ったみたい。
「私の身体は問題ありませんが、明日さんに説明することができないのが心苦しいです」
ラジエルは肩を落として、膝に置いた手を握って、スカートにしわをつくった。
記憶がなくなったのなら仕方のないことだ。僕もないし。記憶がないことを献身的なラジエルに報告してもいいものかと、散々迷っていたが、今、報告しても、ただ彼女に不安材料を作るだけになってしまうのがわかった。
僕は仮にも異世界転移した身、自分の意志か、他人の意志かで変わってくるが、ラジエルは義務的でも僕のことを相当大事にしてくれている。そんな彼女を困らせたくない。
だから、どうして僕が不正者を執行しなければならないのか、この疑問は絶対に口にしない。
「いいよ。とりあえず、これからは戦闘をしなければいけない時に出すようにするから」
「知識の天使の面目もありません」
ラジエルは今にも泣きそうな顔をしながら肩をすぼめた。
話が区切られたので、僕は吸飲みの水を飲むと、ゆっくりと身体を倒した。まだ、本調子じゃないみたいだ。
ラジエルは再びパンを削りはじめた。その音を聴いていたら、いつの間にか寝ていた。




