第七章③
『わたしの急所かい? そりゃあ心臓だねえ』
「どこだよ、胴体にあるのか?」
『そんなことを聞いてどうするんだい? はっ?! もしかしてわたしのことを食べようってかい?』
「誰が食うか、お前の急所を保護するんだよ」
その一言にファフニールは瞳を丸くさせた。不器用ながらも、自身を慮るディーオンが愛おしく、自然と目を細くさせる。
『大丈夫だよ。わたしの鱗は人間の武器は通さない。天使のは……どおだろうねえ。どちらにせよ、人間の防具よりわたしの鱗のほうが硬いよ』
「……それを早く言え」
防具製作に必要な代物を見繕おうとしていたディーオンは不満気に手を止めた。
『すまないねえ…………でもディーオン、もしも、もしもわたしに介錯が必要になったら、ここを狙いな』
ファフニールは首の付け根を器用に指差した。
「逆鱗ってやつか?」
『逆鱗は逆剥けみたいなものさ。ここには古傷があってね。鱗が通常よりも脆いのさ』
「そうか」
『連れ合いと喧嘩してね、それはもう命の取り合いさね』
「そうか」
『……もうちょっと親身にきいてくれてもいいんじゃないかい?』
「そうしているだろ?」
真顔で言うディーオンに、ファフニールは昔話を言う気も失せた。過去を語りたくなるのは長寿なドラゴンの悪い癖である。現在と未来が薄明るいならば、過去も仄暗くあるべきで、自身に影が落ちた時に語ればいいのだ。ファフニールは凄惨な過去をディーオンという新たな友人で彩った。
『お腹が空いたね』
「そうだな、飯にするか」
英雄に担がれて空を滞空するディーオンは、過去に思いを馳せていた。追憶はたったそれだけで、まさにそれが自身の覚悟の表れなのであろうと、身が固まっていく。英雄はその硬直を腕の中で感じた。
一回の解放で、妙山から聾丹まで移動し、人々が逃げ惑う、燃える聾丹の街中へと再度スキルを使用し着地する。
聾丹の目抜通りにある家屋の屋根は黒煙をたてて轟々と燃えている。二人は煙を多く吸わないようにフードと手拭いで顔を覆った。
家財を持って逃げる人々、怪我して逃げ遅れた人々、消化活動に勤しむ人々がまだ街の中には残っている。救命を懇願する声、子供の哀哭、燃え弾け倒壊する家、全ての音がディーオンにとって耳障りでしかなかった。
ドラゴンの鳴き声が街一体に響いた。人の声はピタリと止み、燃える街の音が長時間あたりを支配する。実際には二秒程であるが、声を聞いて怯える人々には途轍もなく長く感じられたのだ。
「どうやって殺すつもりだ?」
「俺が足を止めている間にディーオンがトドメを刺す」
「もっと具体的なことはないのか? お前のスキルは力を増幅させたりするんじゃないのか?」
空中を飛び、素手でドラゴンの頭部に痛手を与えられる力があるはずなのをディーオンは承知していた。しかし。
「俺のスキルは、俺自身の身体には何も及ばしていない。付属させているに近いな。ドラゴンを殴ったときは、俺の力と反動と重力だけだ」
「それは……お前の身体が持つのか?」
英雄は軽快に笑うも、目は上空で旋回するファフニールから逸らさない。
「鍛えているから、あと二回は持つ」
常人なら一回でも持たないだろ、と言いたくなったが、ディーオンは口の中で転がすにとどめた。
「あれの弱点はないのか?」
「ないこともないが、動いていると、そこを一点に狙うのは難しい」
「ではやはり、当の作戦で行くか」
杜撰な作戦だな、と思ったとき、風向きが変わり、ファフニールが降下を始めるのが見えた。狙いはどうやら一段と殺気をファフニールに向けている英雄である。間近で感じ、全身の産毛が逆立っているディーオンはすぐに理解し、英雄から距離をとった。
「ギュオオオオン!」
矮小な存在から殺気を明確に飛ばされ、苛立ちを覚えたファフニールが口内に炎を溜める。そして明るくなった通りへと目掛け、直線軌道に入った。目抜通りにいた人々はそれを認めたが、一部の人間しか逃げる余裕はなかったし、逃避行動をしても遅かった。
英雄が腰を低くし、右手を前に突き出し構えた。
受けの姿勢だと?! 火の手が回っていない雑貨店に避難したディーオンは、構えを見て固唾を飲んだ。中では店主が女を庇って倒れていたが、ディーオンにとっては優先することではなかった。
ファフニールが英雄に向けて炎を吐く。直線上にいる全てを手前から焼き払ってゆき、業火が身体を焼き尽くす前に、英雄は突き出していた右手を握り込んだ。
「すまない」
炎が螺旋状に歪んでいる。いつでも飛びだせる、または店の奥に逃げ込めるようにしていたディーオンは、久方ぶりに観た人間業を超える所業に目を瞬かせていた。
英雄の右手の前で炎がうねり、渦巻いてそれ以上の直進を拒んでいる。少なくともディーオンにはそう見えた。
英雄が身体を横に一回転させると、うねりが回り、まるで龍のように、しなやかな軌道を残す。正面へ戻ってくると同時に、英雄は左手をファフニールに向けて広げた。炎の切先がファフニールへと矛先を変え、吐き出した勢いを二倍増しにして返される。雑貨店が大きく傾き、家鳴りを軋ませたのと、ファフニールに直撃したのは同時であった。
ドラゴンの鱗と皮膚は耐火性能があり、同種または自身の炎を受けたとしても、持続的に一過集中されなければ火傷さえもしない。しかし、英雄が返した炎は火傷を及ばさなかったが、衝撃だけは倍にして返したのだ。その結果、胸部を圧迫され多数の臓器が痙攣を起こし、脳に障害を抱えたファフニールの身体は、身体機能を一時的に休ませることを選んだ。つまりは、墜落してくるのだ。その事実がディーオンの腰に携えた剣の重みが増してゆく。
広がった翼膜に力がなくなり、ファフニールは顔面から大通りへと土煙を巻き上げて墜落した。風圧が通り過ぎた瞬間にディーオンは雑貨店を飛び出した。
土煙の濃い場所へとむかう。火災の明かりのなかに見覚えのある巨体の影があり、長い首の横には右腕に火傷を負った英雄が立っていた。
英雄はなにも言わない、目からも感情を匂わせない。ただ、焦点があっていない目をするファフニールとは違う哀しさをディーオンは受け取った。
ディーオンは腰に携えた剣を抜く。ファフニールの鱗を溶かして作った代物は、静止したドラゴンの皮膚を突き破るのは容易い。
これ以上、本意ではないことをさせるのは忍びない。私達は誰にも仕えることはないのだ。目的もなく、晴耕雨読のような余暇を過ごすだけであったはず……仕えていたのだろう。あの時、ギョームと手を組んだ時からあいつに縛られていたのだ。それを互いに気付かないふりをして過ごしてきた。その代償がこれ。いや、もしかしらファフはずっと忠告はしていたのかもしれない。その思いが、自身を反射する剣に映った。
遠い思い出でファフニールが指した場所の前へと移動する。ファフニールの首と肩の間に鱗が薄く、奥にある肌を透かして見える部分があった。そこを突き下ろせば、ファフニールは絶命する。
刃を突き立てて位置を確認する。視界の隅ではまだファフニールは意識を取り戻さない。このまま、ゆっくりと命が消えていくならばどれだけ良かったか。前世で仕事仲間に情を持つのは御法度であったのは、こういうことになるからだ。
『すまないね』
視線を移動させてもファフニールはだらけた舌をだしたままだった。謝罪をするのはファフニールの口癖で、ディーオンはずっと謝罪を受け流してきた。
「ありがとう」
様々な感情が湧き上がってきながらも、一番に湧いた感情を言葉にし、ディーオンは剣を振りあげ、力一杯に皮膚へと突き刺した。




