第七章②
『ディーオン、本当にいいのかい?』
「いいんだよ」
憂いを帯びた瞳でファフニールが訊ねてくるのを、鼻息を鳴らしてディーオンは突っぱねた。
洞窟のなかは苔むして湿っぽい。スキルを返せと迫ってきた天使を撃退しつづけ、天使から逃れるために日の目を避けた暮らしが長く続いていた。
『わたしの為なら、気にしなくていいからね。どうせ追い先短い人生さ。最後にディーオンと過ごせて楽しかったよ。だから』
「私がここを気に入ったんだ。それにもうあの国に尽くす気はない」
祖国に生涯を捧げ、深き眠りついた。覚めることがない目を開けたら、未開の島で身なりが変わった姿になっていた。天使から経緯を説明されるだけされ、文字も持たず、言語音だけで話す部族のなかに一人取り残された。
二回目の人生は誰の庇護下にも置かれず、気ままに過ごすと決め、得意な文学と歴史の知識で、ファフニールの居場所を突き止めた。
『でも、ずっと逃亡生活は嫌だねぇ』
「はっ、いっそ恩知らずな天使どもを殺してやるか?」
「それはいい。実にいい案だ」
降って湧いた声に振り返ると、そこには見慣れぬ男が洞窟の逆光を浴びて立っていた。一人と一匹は警戒心をむき出しにして睨みつけたが、男は意にもかえさない。男の名はギョーム。
ギョームが律儀に礼儀正しく自己紹介をしても、洞窟内の緊張感は解けなかった。
「単刀直入に言う。天使を殺すのを手伝ってくれないか?」
「なに?」
「私も天使の所業には煮え湯を飲まされた気分だ。天使は私達のことを消耗品の道具としてしか捉えていないのは君も感じていたのではないか?」
島に放置された時からいけ好かない奴だと判子を押したディーオンは心の中で同意した。しかし、三流歌劇舞台役者のうに胡散臭さが鼻につくのが、気を荒立たせた。
「弱い人間は道具となって生きていくしかない。人間は所詮社会の部品だ」
貴族社会だろうが、庶民であろうが、奴隷であったとしても、生まれたからには世界の部品である。国に奉仕してきたディーオンの矜持であった。
「国の奴隷の次は天使の奴隷でいいのかな?」
「人は生まれた時から死の奴隷だ」
「それはそうだ。死は覆らない。死の先があるか分からないからこそ、私達は生きてきた。この世界が、死の先の世界のヴァルハラだとは思わないか?」
「お前、ヴァイキングの末裔か?」
「そんなところかな。君もこの世界が気に入ったのだろう?」
ディーオンは気づかれない程度にファフニールを一瞥し、ギョームへと視線を戻した。
「私も気に入ったんだ。だが、どうやらこの力を持ってこの世界にはいられない。与えて奪うのは為政者の特権だな」
「だから天使を殺すってか? 奴らはファフですら手に負えない、どうやって殺す?」
「天使の輪は私たちを管理していて、発見すると羽を使ってすっ飛んでくる。しかし奴らの殆どは文官上がりで、現場で起こる臨機応変の対応が遅いのだよ」
「騙して不意をつくのか、そんなの一度しか使えないだろ?」
「一度成功させれば充分」
ディーオンは目を疑う。ファフニールも瞳孔を開いていた。見つめる先のギョームの姿に、羽と輪が追加されたからである。
「奪ったのか?」
「快く借りたのだよ」
誰も成し遂げられなかったギョームの実績に、ディーオンの心は揺れ動いた。天使を殺し、淘汰すれば、陽を浴びる生活に戻れる。それはなんとしても取り戻したい健やかな生活であった。
「分かった。手伝おう」
「ありがとう、君とは良き友人になれそうな気がしていたんだよ」
ギョームは手を差し出したがディーオンは握ることはしなかった。
「お前、英雄なんだってな」
睨みつけるてくるディーオンへと、英雄は小さく頷く。
「お前が魔王を殺したせいで、私たちの生活は終わった。お前があの時に私達を殺したんだよ」
魔王が死んだことにより魔物が消え、課されていた天命が消失したのが始まりだった。
「責任はとる。だから俺はこうしてまたここにいるんだ」
「責任? 軽口野郎が二言目に吐く戯言のことか? 他人の時間を奪った責任を取って見せろよ!」
ディーオンの叫びは八つ当たりである。英雄が正しくあるほど、自身が惨めになってしまうのだ。それでも言わざるおえない。
英雄は言葉を真摯に受け止め、目を逸らさない。
「……その為には、あんたが必要だ」
「は? ふざけるのも大概にしろよ!」
「俺も責任をとる。だが、あんたもだ」
「結局か……結局、責任を行動したものに押し付ける卑怯者のやり方か」
「いいや、あんた一人には押し付けない。一緒に……取ろう。あんたの生活は戻らないけど、これからまた俺達とやりなおそう。そのために俺は、あんたが必要だ」
ギョームには言われなかった論理。あちらの世界においてきた情。与えられる未来という対価。そして英雄という男の包み込むような人柄。情も、論理も、対価もあるからこそ、ディーオンの心は荒む。
「ファフを殺すのだろ?」
「ああ。しかし俺のせいであっても、あのドラゴンは元から永くないのだろう? あんたの手で静かに眠らせてやったらどうだ」
「私が、ファフを?」
「それがあんたの責任だ」
全て見透かされた気がした。
契約は声が聞こえなくなった時点で切れた。ファフニールは別の人格を宿した。もうファフは、共に過ごしたファフニールではない。一人称も、虫を見るような目も、ブレスを放射してきたことも事実。もうあの生活には戻れない。
ファフニールへ引導を渡せるのは自分しかいない。
生まれたからには死の奴隷。だが、終わりを迎える時くらい解放されていいはずだ。そんなディーオンの祈りは握りしめた拳に詰まった。
「分かった……私がファフニールを殺す……」
「……そうか。すまないな」
英雄の憂いを帯びた瞳に懐かしさを感じたディーオンは、ファフニールが去った西の空を見上げた。
「俺の名前は大路英雄。あんたは?」
「ディーオン・デュパル」
「よろしくディーオン」
ディーオンは、英雄が差し伸ばした手を一瞥してから握った。




