プロローグ
「この世界は今、未曾有な危機に侵されています」
未来をともに看取った看護師に、彼女のことで大事な話があると声をかけられて、病院の中庭に連れ出された。茫然としていた僕は、理解不能な話の切り出しかたに、買ってもらったパックジュースを握りしめた。
「ふざけているんですか?」
未来は高年齢運転のトラックに轢かれた。そして二日間死の淵を彷徨いながら、なんとか一命を取り留めたが、半身不随になった。だが、昨晩に容態が急変し、さっき死んだ。脳出血が原因だとか、聞こえていたが、全容は知らない。僕にとっては、彼女が死んだことには違いない。それをこの看護師は茶化した。
「ふざけてはいません。未来ちゃんはそれによって亡くなったんです」
パックジュースが音をたてて潰れ、手に冷たいリンゴジュースがかかった。パックを投げつけてやろうかと思ったが、未来がいい顔をしないから、やめておいた。
「私達の、明日さんにとっては異世界と言えましょうか。とにかく、私達の世界では、ある一定の地域外の人間の寿命を奪う現象が起きています。それはその地域外殆どの人間の寿命を奪い尽くし、この世界の人間の寿命すらも奪い始めました。未来……さんは、その影響を受けています」
内容の説明が荒唐無稽過ぎて、笑ってしまった。
「人を馬鹿にするのも大概にしろよ!」
僕は我慢できなくて、パックを人のいない明後日の方向に投げてしまった。パックは、指先から離れたところで静止した。僕の目が錯覚を起こしていないなら、空中に浮いていることになる。
「なっ……に、これ」
「私の力の一端です」
看護師の方へと振り向くと、看護師の頭の上には神々しく輝く輪っかと、身体より大きい純白の羽を背中から生やしていた。
常軌を逸した姿に誰も騒ぎ声を上げない。それよりも、音が一切しないことに気がついた。周りを見ると、人も、動植物も、動かなくなっている。それはまるで時が止まっているようである。
「私は天の使令、天使です。信じてくれますか?」
まだ誰も動こうとはしない。頭の上では飛行機までもが止まったままだ。こんな異常な風景を観察していられなくなって、希釈した現実を受け入れるために頷いた。
「明日さんには、私達の世界に来て頂いて、その現象を起こしている人達を止めてもらいます」
「待って」
「いきなりで心配でしょうが、この通り、私達は時間を操れます。行き帰りの時間の調整はお任せください」
「いや、そこも心配だったけど、未来を殺した原因を作っているのは……人なの?」
天使は頷く。神から天命を受けた人達が授かる、神のスキル、チートスキル。それを持った人間が天に返さず。天命の期限が切れたチートスキルを使うと、人の寿命を奪うそうだ。それは、不条理。こちらの世界では、不条理は不幸として訪れるらしい。
「じゃああのトラックも不幸だったってこと?」
天使は苦い顔をしながら逡巡していたが。重々しく口を開いた。
「……明日さんは、その不条理を跳ね除ける体質なんです。チートスキルを持てば一定期間は耐性を得ることができますが、万全を期すならば、体質としてあったほうが良いですし、私達が新たに創り上げたチートスキルとも相性が良いのです」
「待って、待ってよ。じゃあ居眠り運転のトラックに轢かれるはずだったのは……僕だったの?」
喪に服すかのように天使は頭を下げた。あの時の光景が蘇ってくる。未来の笑顔、激しいエンジ音、突き飛ばされる胸、吹き飛ぶ未来、擦りむいた腕、頭から血を流す未来、動かない未来。身体の底から冷え始めた。
脚に力が入らず、全身の血管が手先を冷やしていく。目の奥が痛み頭痛へと変わった。自分を確かめるために両手で頭を抱える。それでも痛みは和らがない。
そんなの、嘘だ。そう言葉にしたいのに、荒れた呼気だけが漏れでる。
僕のせいで未来は死んだ。不条理を、不幸を未来へと押し付けたのだ。そうでなくとも、あの時未来が庇ったのは僕が未来にとって不甲斐ない存在だったからである。僕が守られる存在だったのがいけないのだ。
いや、なんにせよ変わりない、僕が人殺しなのは事実なのだ。
チートスキルを持った奴らがいる限り不条理はずっと続いていくだろう。これからも僕の大切な者を奪っていくはずだ。そして僕だけが不条理から逃れて一人ぼっちになる。なにもしなければそんな将来が待っているのが視える。そんなのは絶対に嫌だ。
真面目な人間が不幸を被るのは、フィクションの中だけに留めておくべきだ。
「そいつら……不正者を殺せば、未来が事故に出会う前に戻せる?」
伏せていた顔を上げて言うと、天使は微笑を作った。
「殺すかどうかは人それぞれですが、手っ取り早い手段はそうですね。明日さんが、全員からスキルを取り戻してくだされば、お望みはなんでも叶えましょう。是非、全員を執行なさってください」
「そう。それを聞けて安心したよ」
必ず未来を甦らせてみせる。そのために。
「不正者執行するよ」




