032
滝壺に落ちて、視界が歪む。火照った身体を冷静にさせる冷たさのなか、身体は上のブレスを警戒するも、頭の上にあったブレスは消えていた。
遅れて、焦げた物体が水中に落下してきて、泡を吹き出しながら沈んでいく。その後、大きな影が過ぎ去っていった。
息が持たないので、ようやく顔を水上へと覗かせる。喘ぎ、水面と格闘しながら息を吸った。水が口に入りながらも、歪んだ視界を明瞭にするためになんども瞬きをする。
それでも視界は滲む。シーク達がいた場所は黒ずみ、黒く丸まった物体が二つあった。焦臭さが、ようやく鼻につき、肉が焼けた臭いもした。
シークは、シークさんは僕を助けてくれた。そしてドラゴンのブレスに巻き込まれて、プラック諸共消し炭になった。
ついさっき言った懺悔をする。それでもキリキリと腹が痛んだ。身が引き裂かれるくらい、身体が震えだす。血流に冷水を入れたかのように冷えが全身に回ってきた。
僕の身体は黒ずんでいない岸へと向かい、上がる。そして、二人の遺体に追悼する時間も与えてくれずに、無情にもさっき着地した場所へと斜面を登っていき、辿り着く。
ブレスが通った痕は黒く焦げ炭化している。炭化を免れた草木は枝葉に火がついて、パチパチと音を鳴らして燃えていた。
どこからか、苦しむ声が聞こえてきた。身体は明確にそちらへ足先を向ける。
ブレスの痕を横目に歩いていくと、見知った人物がいた。声の主は、両脚が焼け爛れたブラディであった。
ブラディはナイフを持っていて、口に布を含み、荒い鼻息を鳴らしながら、脚を見つめていた。気配を察知したか、僕と目があった。
僕が着地した先にブラディがいたのだろう。そして避けられず、両脚を焼かれた。簡単に予想ができる。
「因果応報だ」
僕が呟くと、ブラディは眉間の皺を濃くした。噛んでいた布を吐き捨てると、脂汗を拭いて睨んでくる。
その態度の変わらなさで、全身の毛が逆立つ。
最後に滝壺に落ちてきた焦げた物体、方向転換をしたブレス。この二つの事柄で予想できるのは、ブラディがドラゴンに生物をぶつけて、ブレスの方向を変えたに違いないことだ。
この男は、自分が生き残るために、また人を殺した。
「お前が、オジさんの手を取っていれば良かったんだ! お前が、スキルを返していれば良かったんだ! お前が、正しかったら、こんなことにはならなかったんだ!」
訳もわからず巻き込まれて、酷い死体に出会って、命を奪われかけて、そして僕を助けてくれた人が、目の前で死んだ。殺された。全ては目の前にいる不正者が起こした出来事。
母は、正しくあれと言った。
あいつは、やりたいことをやるべきだと言った。
オジさんは、中途半端な態度は過ちを犯すと言った。
ラジエルは、僕ならやり遂げると言った。
僕は、ブラディへとゆっくり近づく。鼓動は妙に落ち着いている。手の震えもない。しっかりとナイフの柄の形を掌で確かめられる。ブラディと合った目を背けず、腕を振り下ろせる位置までやってきた。
ブラディが持っていたナイフを振るい抵抗してくるも、軽くあしらうように弾く。ブラディの上がった手首を左足で蹴ると、ナイフは茂みへと飛んでいった。
ブラディの腰に身を落として、膝で腕を押さえつけた。どこかで獣が鳴いている。夕暮れ前の風が草木を揺らし、火の粉が舞う。僕とブラディの間には自然の音しか無かった。
この男は、不正者だ。正直に生きている人達を嘲笑い、生き血を吸うだけ吸って、吸えなくなれば目を向けない。そんなことが目の前で起こっていて、力を持っているのに何もしないこそが、人間ではないだろ。僕には関係ないと、見ないふりしていられないだろっ!
僕はナイフをかかげる。そして、振り下ろした。
ざくっ、と表面が固く、突き破れば柔らかい物体に突き刺さった。
ブラディの荒れた息が聞こえる。上下する胸板が目下で動いている。ナイフは、ブラディの顔の横の地面に突き刺さっていた。
「できない……」
胸へと突き刺そうとしたスキルを制御するために集中を割いていたら、思考が言葉になっていた。言葉にすると、自分の不甲斐なさに嫌気がさして、涙が溢れてくる。溢れた涙が、ブラディの頬に落ちた。
「人の命は、平等でしょ」
誰に言ったのかは、わからない。思考を蝕むパージに対してかもしれない。
土草と加齢臭が混じり合ったブラディの臭いがする。人のにおいだ。そう思ったら、心臓が早鐘を打ちだす。
「戦場ではそうではない」
「……ここは、戦場じゃない」
ブラディの大きな舌打ちが弾けて、深く息を吸う音がした。
「生きるっていうのはな、戦いなんだよクソガキが! 命を奪って、その命を糧にして生き残る! そうなってんだ!」
酒臭い唾が飛んでくる。僕の顔が歪み始めた。
「そこに人を組み込んだら……組み込んだら、悲しいじゃないか!」
「それが現実なんだよ! お前は戦争を知らない! 人を踏み台にしなければ死ぬ恐怖も知らない! そんな現実を知らないクソガキに説教垂れられる程、私は耄碌していないわ!」
ブラディの顔面が勢いよく近づいてきて、僕の身体が勝手に近づき返した。目の前が光る。額に痛みがして、ブラディの呻き声がした。
「恵まれたものはいつもこうだ。恵まれているから考えやがる。そして、道徳を宣う。いつだって上から目線でいやがる!」
ブラディは下半身をもがき始める。それでも腰を下ろした僕からは抜けられない。
「人の命は平等だ? だったら平等に与えられ、平等に奪っているだろうが! 私はそう生きてきた、私は私だ!」
下半身の動きとパージの制御に気を取られていた僕は、ナイフを持つ腕を、膝から抜け出したブラディの両手で掴まれてしまう。
殺される。その危機察知が僕の手により力を入れた。
「いいかクソガキ、これが奪うってことだ」
ブラディの熱が手に伝わる。しわがれて、年季のあるカサついた手。その手が胸へと引き寄せられた。
肉を裂く知っている感触。
ブラディの口から血が吐き出されて顎下を伝う。何が起こっているのか把握できない僕へと、蠕動する口で片方の口角を上げた。
「お前も……い……」
爪が立てられるほどに握られていた手から力が抜けて、首がすわり、ブラディの目から覇気が失われる。
認めたくない身体が震え始め、振動がナイフに伝わり、ぐじゅぐじゅと水音がする。それがより一層そこに何もないことを感じられ、ブラディから命が失われたことを実感した。
固くなった右手首を左手で掴んで、ナイフから指を離す。水音はやむが、歯が重なり合う音が頭を支配する。
僕の身体は後ろへと逸れた。ブラディの腐葉土のような体臭が離れても、爪痕のついた手首の温もりは消えない。
さっきまで動き、話していた人間は、動作を見せずに横たわっている。目を開けながら、眠りについた。
僕が、奪った。
ブラディの命を奪った。
それは彼がしてきたことと何が違うのか。
「ああっ、あああああっ!!!!」
また目頭が熱くなって手で顔を覆うと、手にこべりついた血の臭いだけは変わりなく鉄くさい。その変わりのなさに笑ってしまう。
僕の慟哭は、意識が落ちるまで、日の暮れる山間にこだました。
意識が途切れる前に、僕はようやく執行者になったのだ、と絶望しながら理解した。
一部の終わりです。
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