029
ギルド直轄の酒場で件の依頼を請け負うも、身分証明書の提示を求められた。僕は身分証明書が無いので、結局ここでもシークに提出してもらうことになる。勇んだ足をいきなり挫かれた気分であった。
妙山は標高千三百、長さが十五キロもある山だ。聾丹の町へ胸を突き出すような三日月型をしており、呂樹や聾丹から剣岳へと向かう壁となっている。
僕達が調査に向かうのは三日月型の上部分にある川の上流の池のようだ。
池は人の手が入っておらず自然豊かであり、沢山の動植物が生息している。そのおかげで、聾丹の水は名水とも言われているらしい。しかし、ここ最近、水質汚染が発見されて、原因を解明すべくギルドから派遣されたが、依頼が受注されず放置されていた。
「派遣されたのが、ぼくなんです……」
息を切らす背中で説明してくれたのは、依頼主のプラック・ラックである。
池までの道中は険しく、人一人が歩けるか怪しい急勾配の獣道に、落ち葉や足の長い草に足を取られ、頼りになる太い木がなければ、滑落しそうになる。これは序の口で、切り立った滑る岩場を縄で登ったり、高さ二十メートルはある谷を、一本の紐だけの橋とも言えない橋を渡ったりした。確かにこんな危険な思いをしてまで、地元民は近寄らない。
そもそも呂樹の人々は山の上まで行かないのだ。それが信仰と繋がっているらしいが、詳しくは知らない。
とにかく、僕はそれらの試練を密かにパージを使って乗り切った。
「しかし、お二人が請けてくれて本当に安心しました」
平坦でぬかるんだ道に変わってから、濃いくまがあるプラックは、くまを濃くして力無く笑う。プラックは僕と同様に線が細く、男性としては背も平均以下で頼りない雰囲気を出している。僕が言えた義理では無いが、道中滑落しないかが些か心配であった。だが彼は、危なげながらも先導役を恙なくこなした。
「地元の人は行きたがらないし、ほんとどうしようかと思っていたんです」
酒場の隅っこで、ジョッキに頭をつけるくらい項垂れていたプラックの悲壮感は、世界の終わりを思わせた。
「この検査キットを一人で運ぶのは骨が折れるものね」
最後尾にいるシークが、背負ったポリタンク型の検査キットを一瞥する。僕は三人の食料や医療具や、登山道具を入れた鞄を背負う役目を担っていた。
「地元の人がいかない理由はなんでなんですか?」
「そうだね、理由は二つですね。一つは仕事が怪しすぎるからと、もう一つは堯教の教えで山の上は神獣が棲む聖域だと教えられているからだと思いますよ」
「エヴェル教にも同じようなのはあるが、禁足地のようには扱わないけどね」
「そこは宗教観だと思います……呂樹は堯教の方が多いですから、そこに起因しているのではないかと、滞在して感じました」
「プラックさんは呂樹出身じゃないの?」
「ええ、僕はノルマン生まれです」
ノルマンはノルン国の首都だ。悪の親玉、ギョームがいる場所でもある。
「僕は山の上に神獣がいるなら会ってみたいですけどね。ほら、ドラゴンとか、あ、こちらでは竜と言うんでしたっけ?」
僕の身体が強張った。そこでようやく気がつく。竜騎士がこの山をドラゴンのねぐらにしているなら、数ヶ月前に発生したこの水質汚染は何か関係しているのではないか、と。
考えすぎだろうか? 聾丹は山に囲まれた町、炭鉱がある山々の方に住んでいるかもしれない。そもそも、まだ町の人々がドラゴンを見たと噂もしていなかった。だから、まだオジさんの憶測を超えていない。
「アケビ、大丈夫? 汗かいてるよ」
シークに声をかけられて、顔に不快な汗が浮きたっているのに気がついて、土汚れがある袖で拭い、微笑みを作る。
「大丈夫です。プラックさん、あとどれくらいですか?」
「うん? ああ、もうそろそろ見えてくるんじゃないかな。あ、ほら、開けてきた」
プラックの言うとおり、奥まった木々が広がっていき、視界に大きな青緑色の池が現れた。この池は自然にできた溜池になっているらしく、右手に上流から細く流れている小川があって、ここからはわからないが、どこかに流れ出る場所があるのだろう。
風がぶわりと吹いて、西に傾いた陽の光を水面が揺れ動かす。涼しげな風は青臭く、泥の臭いを含んでいた。
自然の心地よさに深く息をつくと、対岸でリスが池で顔を洗っているのが見えた。
「暗くなる前に帰りたいので、始めましょうか」
プラックの声でようやく平常心に戻り、気を引き締めた。
水質調査と言っても、僕達が手伝うことは水を汲むことくらいだ。僕達の主な仕事は荷物運搬と護衛である。
プラックが背負っていた荷物からガラス製の試験管を帯状にした物に、得体の知れない物質や鉱石を入れるのを、休憩しながら見守った。
一時間くらい経ち、池の風景も見慣れてきた頃、プラックがガラス瓶を太陽に掲げながら、顔を顰めた。
「お二人とも、これ、何色に見えますか?」
試験管には鮮やかな青色の液体が入っている。僕もシークも同様に答えた。
「……お二人とも、もう少し上流へ向かってもよろしいですか?」
「ええ、構いませんが、どうかしたんですか?」
「水質汚染の原因がこの池より上にあるかもしれませんので、行ってみようかと思いまして」
「日が完全に暮れるまでに降りるなら、もう時間がないんじゃなくて?」
「検査はしません。この先の地形を調べ、水を汲むだけです。この先は情報が無く、また危険になりますが、報酬は上乗せします」
シークがどうする、と目で訊ねてくる。少しでもお金が貰えるのなら、ちょっと無理してもいいだろう。プラックも夜の山を下山するのがどれだけ恐ろしいかは知っているはずだ。
「行きましょう」
僕達は荷物をまとめて、小川を導に上流を目指した。




